お世話になったM先生の所へ行って来た | レジストリーTIME

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このブログを いつも 御覧になっている

 

コアなファンの方々だと

 

ブログの中で 何人か ご紹介した事がある

 

 

オレの 人生において

 

大切な先輩方や お世話になった「先生方」

 

 

この「先生方」の中には

 

オレが 学生時代に お世話になった恩師や 

 

ちょくちょく このブログで 登場する

 

下鴨のおばあちゃん

(オレが 小学生の時の 校長先生)

 

という 位置付けの 「先生方」と

 

 

オレが 20代後半の頃 数年だけ 働いた

 

職場の小学校で お世話になった

 

同僚であり 上司であり

 

人生の先輩である 「先生方」という

 

2種類の 「先生方」が おられる

 

 

本日 ご紹介するのは

 

オレが 小学校で 働いていた時に

 

オレを 救って下さった M先生

 

 

M先生は 今年 63歳に なられた

 

すでに 定年退職を しておられるのだが

 

御縁があって 再び 小学校で

 

非常勤のような形で 働いておられるらしい

 

 

M先生は 文才が 豊かで

 

ご本人も 日々 起こった 出来事を

 

小まめに 書き留めておき

 

それを ドラマチックな 文章に

 

仕上げる事を 趣味としておられる

 

 

数年前に お父様が 永眠されたとの事だが

 

お父様が 永眠される前に

 

在宅看護で 一生懸命 M先生と奥様が

 

看病をしておられた時に

 

ラジオから

 

「10分間で 朗読をする会」というものが

 

ある事を知り 応募されたとの事

 

 

小さな会場だが そこに 朗読を発表する方々が

 

数人 集まり お互い 持ち寄った内容を

 

10分間 発表する会だそうで

 

M先生は ラジオで この事を 知った時から
 
ほぼ毎月 その朗読会に 参加しておられるという
 
 
そして 発表した作品が 少しずつ 増えると
 
プリントアウトして 1冊の本にして
 
時々 オレの家のポストまで
 
わざわざ 届けて下さる
 
 
恐らく 誰彼構わず
 
作品を 送っておられるとは 思わないので
 
オレも 心して 拝読した後
 
1つ1つの作品で オレが 感じた感想文を
 
今度は 郵送したり お家まで 届けたり
 
そんな 遣り取りを していた
 
 
M先生は また 気遣いも 素晴らしく
 
「新しい作品が できました 良かったら
 読んで下さい 感想文は いりませんよ」
 
と ご丁寧に 封筒の表に
 
書いておいて下さるのだが
 
 
その作品集の 1作目の 表書きには
 
「良かったら 読んで下さい 感想を聞かせて頂ければ
 なお 嬉しいです」
 
と 書かれていた事を オレは 見逃しておらず
 
結構な分量の 感想文を 毎回 書いていたw
 
 
「多分 M先生も オレの感想文を 読むのが
 結構 ヘビーになったやろかなぁ~?w」
 
等と 思っては いるのだが
 
ついつい M先生が オレと似たような
 
思考回路と行動を しておられるので
 
 
「多分 M先生やったら 『また ぎょ~さん
 書いて来よって 読むの大変やなぁw』等と
 思いつつも 多分 嬉しいハズw」
 
という所までが 1セットで 見えているので
 
毎回 そこそこの分量を Wordで作成して
 
お送りしていた
 
 
いつだったか オレが 直接 手渡ししに行った時
 
M先生のお家の ご近所の喫茶店で
 
M先生に直接 お会いして
 
感想文を お渡しした所
 
「コレ…今 読んでもエエか?w」と
 
満面の笑みで 黙読して下さった
 
 
そして M先生が 感じておられるであろう心情を
 
オレが さも 言い当てたかのような文章を見て
 
「そう!ホンマこれ!そうやねんっw」
 
と これまた 嬉しそうに オレの感想文を読んで
 
相づちを打って下さった
 
 
その時に
 
先生
「それにしても レジはん 文章 上手やなぁ
 目の前に 情景が 浮かんで来るわぁ!」
 
と オレの文章を 褒めて下さったのだが
 
オレは
 
「M先生…それは チャウで!何で ボクが
 そんだけの文章を 書けると思う?それは
 M先生の文章が 的確に ボクの頭の中に
 イメージとして 情景が 浮かび上がるような
 そういう 書き方をしてはるからやで?
 毎回 読ませてもらって ボクなんかが
 こんな事 言うのは スゴい失礼やと
 思いますけど M先生の文章は ホンマに
 頭の中に パッと景色が 浮かんで来るから
 ホンマに スゴい!いつも そう思いながら
 読ませてもらってるから ボクも 感想文を
 書かずには いられへん感じなんですってw
 毎回 長々と 済みませんm(_ _)m」
 
こう切り返すと
 
M先生は
 
「そうか…嬉しいわぁ ありがとうなぁw」
 
と ニコニコしながら 続きを 読んでおられた
 
 
オレが20代後半 小学校で 働いていた時
 
パワハラの校長に こんな事を 言われた
 
・お前は 一人っ子やから 仕事が手ぬるい
 
・育成学級(軽度の障がいがある子ども達の学級)
 ごときで アップアップしてたら 教員としては
 使い物に ならない
 
・普通学級を持たない事には 認められない
 
・さっさと結婚して 子どもを作れ
 そうしないと 男として 1人前とは 認められない
 
…等々
 
 
こんな事を 言われて
 
オレは この校長に対して
 
オレを 中学3年間 イジメ続けた連中と
 
同じ位の 怒りを 覚えた
 
 
それは
 
オレが「一人っ子だから」という フレーズ
 
本来 オレには オレの下に
 
弟が 産まれる予定だった
 
けれども 出産間近になった時
 
母が 風疹に かかってしまい
 
両親が 苦渋の決断を 迫られた上で
 
産まないという 決断をした
 
 
同じ事が 2回 起こったため
 
その後 子どもを産むという 選択肢は
 
両親の中で 無くなったという…
 
 
今だったら 両親の決断は
 
責めを受ける決断と 取られるかも知れない
 
けれども オレは その時
 
オレの両親が 最善の方法を 選んだ結果だと
 
思っている
 
 
結果として オレは 「一人っ子」に なったが
 
両親もオレも 望むべくして
 
「一人っ子」に なった訳では無い
 
 
両親の こんな気持ちも 知らない
 
赤の他人の たかだか 小学校の校長風情に
 
ココまで 両親の決断を 否定される筋合いは
 
微塵も無い
 
 
もちろん この校長が 上記の事実を
 
「知らなかった」とはいえ
 
毎年 「人権月間」で 小学生には
 
「人権を守ろう」「差別を無くそう」等と
 
声高に 全校集会で ほざいている
 
同じ人物とは 思えない
 
 
オレから 言わせれば
 
この口先だけの 校長が
 
デリカシーの欠片も無い
 
「ゴミ以下」の存在に 思えて 仕方無かった
 
 
校長から このような
 
罵声を 浴びせられた オレは
 
「ホンマ 京都市の教育界は 腐り切ってる
 こんなバカしか 校長にならんのなら
 オレが どんだけ 正論を ぶちかました所で
 所詮は こんな 口先だけの人間が 出世し
 現場の 教職員を 苦しめる構図が
 出来上がる訳か…
 結局 オレが イジメられた 中学時代の環境と
 全く 変わらんやんけっ!最低じゃっ!」
 
と 思ったと同時に
 
全身に 力が 入らなくなった
 
 
----------------
 
中学時代に イジメられた オレに
 
担任は 「ちゃんと 守ったげるから!」
 
と 言い放った…
 
 
だが 結局は 何もせず
 
オレは 3年間 イジメられ続けた
 
3年間 同じ担任だった
 
この担任が 卒業式の時に
 
1人1人に 手書きの手紙を 手渡した
 
 
卒業式から 帰宅して その手紙を見た…
 
「何もして上げられなくてごめんね」
 
と 一言 書かれていた
 
 
バカか お前っ!!!
自分で「無能です」って
言うてるって 思わんのかっ!
無能と自覚してるなら
今すぐ退職しろっ!!!
 
 
そう思った
 
余談だが この担任とは
 
オレが 社会人になってからも
 
電車の中や 歩いている時や
 
結構な頻度で ちょいちょい会う
 
オレが
 
「ま~だ 辞めんと 仕事しとんけ?w」
 
と 声をかけると
 
この担任は 気まずそうな顔を してるが
 
オレは 不敵な笑みを 浮かべつつ
 
「2度と オレみたいな生徒 作んなっ!
 覚えとけっ!」
 
と 言い放った事は 1度では無い
 
----------------
 
 
職場で 校長に 暴言を 浴びせられた
 
オレは 放心状態になりながら
 
気力だけで 何とか 業務を熟(こな)すように
 
なっていた…
 
 
そんな時に M先生が オレを
 
職員室の向かい側にある 印刷室へ
 
手招きして 呼んでくれた
 
 
M先生
「レジはん… ちょっと 小耳に挟んだんやけど
 校長に 何か いらんこと 言われたんやて?」
 
 
オレが 育成学級を 担任していた時
 
担任は オレの他に 女性のベテランの先生
 
お2人も 一緒に担任を 受け持っており
 
3人で 1年生~6年生まで 個別の支援が
 
必要な子ども達の 勉強や生活面を 見ていた
 
お2人の ベテランの先生方には
 
校長から 言われた事を 報告していたため
 
お2人の先生方は
 
「育成学級『ごとき』とは 聞き捨てならん!
 私が 校長先生に 抗議しといたげるw」
 
「ウチの息子と 年の変わらん レジ先生に
 何て事してくれてんねんっ!」
 
…等々
 
お2人の先生方には
 
日頃から 仕事で色々と 助けて頂いていた
 
 
M先生とは 放送委員会の 担当教員として
 
一緒に お仕事をさせて頂いていた事もあったが
 
校長に 暴言を吐かれた事は 伝えていなかった
 
 
恐らく お2人の先生が M先生にも
 
伝えて下さったのだろう…
 
 
M先生
「レジはんなぁ…
 あの校長が 言うとる事なんか
 気にせんでエエ!
 お前は ちゃんと 仕事してる!
 例え 他のヤツが 認めんでも
 それは オレが 認めたるっ!
 だから もう気にしんときw」
 
 
オレは M先生の この言葉を 聞くまで
 
この数週間が どこか 上の空だったのに
 
この時 オレは 目頭が 熱くなり
 
涙を溜めながら
 
オレ
「先生…ありがとうございます…m(_ _)m」
 
深々と 一礼した
 
M先生
「レジはん…今度 2人で 放送委員会の
 打ち上げやろなw」
 
オレ
「分かりました!ありがとうございますm(_ _)m」
 
 
 
今でも M先生に かけてもらった言葉を
 
文字にするだけでも あの時の情景が
 
浮かび上がって 涙目になる
 
それくらい オレの中では 一杯一杯で
 
自分では 手に負えない程
 
追い込まれていたんだと 感じる
 
 
後々になって この症状が
 
限りなく 鬱病に近い状態である事を
 
オレは 別の職場で 知る事になる
 
 
たった 一言で
 
相手を 死に至らしめる程の 言葉もあれば
 
相手を 死の淵から蘇らせる 言葉もある
 
 
校長の言い放った 暴言と
 
M先生が オレにかけて下さった
 
心のこもった温かい言葉は
 
同じ言葉でも 相手に与える影響が 全く違う
 
 
今だから 言える事かも知れないが
 

「人を殺す言葉」

 

「人を活かす言葉」

 

オレにとって

 

上述の この小学校での仕事というのは

 

これらを学ぶ機会を 得るための

 
試練だったのかも知れない…
 
 
M先生は この時から オレの中で
 
「オレを 地獄から 救って下さった先生」
 
という位置付けになった
 
 
この写真は 先日 オレが 父と共に
 
新しい玉砂利を 敷き詰めた
 
母方の実家の お墓なのだが
 
実は この同じ墓地に
 
M先生の 奥様のご実家の お墓がある
 
 
何かの拍子で M先生の ご結婚当時の話しになり
 
奥様のご出身の地名が 母方の実家の地名だったため
 
ポロッと ウチのお墓がある お寺の名前を
 
オレが 伝えた時に
 
M先生
「そこ!ウチの嫁はんの実家のお墓がある
 お寺やがなw レジはんとは何か御縁があるなぁw」
 
そう仰っていたw
 
 
だから オレは 母方の実家のお墓へ
 
お墓参りに行った時に このM先生の
 
奥様のご実家のお墓にも お参りしてから
 
帰っている
 
 
いつも 守って頂いている 気がするのと
 
このM先生と 色んな御縁で
 
つないでもらった事にも お礼を伝えている
 
 
そんな M先生に 昨年末 お会いした時に
 

お母様の介護で 大変だという お話しを

 

聞いていたのだが

 

M先生

「レジはんも 今年は 大変やったなぁ

 年明け 飲みに行こっ!また都合が付いたら

 連絡してっ!」

 

と 仰っていたので

 

昨日 メールをお送りした所

 

どうやら お母様の具合が 悪化されたため

 

また 落ち着いたら M先生から

 

ご連絡を頂けるという内容のお返事が届いていた

 

 

先日 オレは 平安神宮に

 

後厄のお礼参りに 行った時に

 

「そう言えば…M先生 元気にしておられるかな?」

 

と 思っていたので その際に お守りを

 

買っておいた

 

 

昨日 メールを 頂いたので

 

M先生・M先生の奥様・M先生のお母様の分の
 
お守りと M先生へのお手紙を 封筒に入れて
 
M先生の お家のポストまで届けて 帰って来た
 
 
先程 M先生には メールで
 
上記の内容を お伝えしておいたので
 
恐らく メールに お気付きになった時点で
 
ポストを 確認して下さるだろう
 
 
オレが 死にかけていた時に
 
窮地を救って下さった M先生には
 
感謝をしてもしきれない
 
 
こんな時に 赤の他人の オレが
 
できる事は 限られているとは 思うのだが
 
それでも 何かの お役に立てるのならば
 
あの時 オレを 救って下さった
 
御恩に報いたいと 思っている