ギター好きにはたまらないサイトを発見。
http://guitar.about.com/library/bl100greatest.htm
昔良く聴いた曲も入っているけど、知らない曲も多いものである。
僕が好きな曲は、88位(Steely Dan「Kid Charlemagne」)にようやく見つかった程度だったが。
All Aboutというサイトが海外にあったことに気づいたのも新鮮であった。
ギター好きにはたまらないサイトを発見。
http://guitar.about.com/library/bl100greatest.htm
昔良く聴いた曲も入っているけど、知らない曲も多いものである。
僕が好きな曲は、88位(Steely Dan「Kid Charlemagne」)にようやく見つかった程度だったが。
All Aboutというサイトが海外にあったことに気づいたのも新鮮であった。
今年の9月末に閉館となるジョンレノンミュージアムへ行ってきた。
開館前に到着したが、行列が出来ていた。閉館になると聞いてきた人が多いのだろう。
ジョン・レノンの没後30年になる今年だが、このミュージアムが創設されたのはちょうど20年前だったそうだ。
ジョンが死んだとき、ちょうど40歳。生きていれば、もう70歳になっていたのだ。
僕はどちらかと言えば、ポール・マッカートニー派だったので、それほどジョンへの思い入れはなかったのだが、
今日はジョンのおいたちを初めて知ることができた。
展示内容は一切撮影禁止だったので、ミュージアムの中の写真はないのが残念だが、年代を追って順路が設定されていて、しっかりした展示内容だったと思う。
今月末でなくなってしまうのは、非常に残念な気がする。
オノ・ヨーコさんのコメントによれば、この展示内容はどこかまた別の国で公開されるような説明だった。
展示内容を見てまわった後、最後に立ち寄ったミュージアムショップで買ってしまったものは、アップルレコードのトレードマーク入りのTシャツ、ヘルプ!のみにタオル、そしてWar Is Overの時計である。
2010年9月18日土曜日11時30分、予約していたトップツアーのバスに京都駅に乗り込む。
4月に富士五湖で初挑戦したウルトラマラソンだったが、その時はあえなく80キロ地点でリタイア。
特にそれを機に練習を積んできたというわけでは決してないが、リベンジのつもりのレース参加である。
網野町にあるアミティ丹後に到着し、受付を済ませる。しばらくすると、富士五湖でも司会だった高瀬みどりさん、24時間マラソンの坂本雄次さん、増田明美さんによるトークが始まった。高瀬みどりさんはなぜかランスカ姿で、足の筋肉が凄い。相当鍛えている感じで3時間1分でフルマラソンを走るらしい。
トークショーが終わったので、マイクロバスに乗り、民宿へ移動。荷物を置いてから、目の前にある琴引浜へ降りてみた。ここは鳴き砂が有名で国の天然記念物に指定されているそうだ。眺めがよくて本当に気持ちの良いところだった。そして、しばらくすると、夕日が沈み始めた。
絶景である。なかなかこれだけの夕日を見る機会はないと思う。
18時過ぎに夕食をとる。周りはランナーばかりで、グループ、家族連れ、夫婦、僕もそうだがおじさん一人という人も何名かいた。
19日日曜日、1時45分に携帯電話の目覚ましのメロディーで目覚める。この宿の売りである、24時間入れる温泉に入ってから、出発のしたく。宿の車でスタート地点のアミティ丹後に送ってもらい、到着は3時30分。
もう多くの人が集まっていた。
僕も荷物を預けてから、スタートポストの前に並んだ。
富士五湖では、80キロ地点で足の負傷のためリタイア。原因は、最初から飛ばしすぎたこと、シューズが厚底ではなかったことだったと思っていた。だから今回は、キロ6分~6分30秒のペースでLSD用のシューズでゆっくりと着実に完走を目指すつもりだ。足への負担を少しでも和らげるためにCW-Xのロングタイツもはいてきた。
4時30分にスタートのピストルが鳴った。
まだこの時間だとあたりは真っ暗で、山の中の道には街灯がないため、照明が道のあちこちに置いてある。
気温は22度程度だが、湿度が高くて暑い。今回のレースの不安要素のひとつが暑さである。最高気温31度の予報で、日中の日差しが難敵となる。
しばらくするとようやく夜が明け始めて、周りの景色もちゃんと見えるようになってきた。海沿いの道を走るのでところどころで綺麗な眺めも見える。
ここは夕日ヶ浦というところで、サーファーたちがいた。
日が高くなるにつれて、日差しも強くなり始めた。暑さ対策として、できるだけ日陰を走るようにし、エイドでは、スポーツドリンクをごくごく飲んで、次のエイドまで乾きを我慢できるようにした。ほとんど全てのエイド(29箇所あるうちの28箇所)で2~3杯ずつのドリンクやジュースを飲んだので、ちょっと飲みすぎだと思うがそれだけ喉が渇いていた。それから、スポーツソルトとアミノバイタルなども摂取するようにした。
正午頃(記憶が定かでないが)、雨が降り出した。それまでは日差しが強かったので恵みの雨である。きつくなくて涼しさを与えてくれた。雨の後はずっと曇り空となってくれたのはラッキーだった。おかげでそれからは日差しを避けて走る必要もなくなった。
走るペースは自分の考えてきたとおりに出来たのだが、エイドに留まる時間が長いため、途中で追い越した同じ人に先を越されて、また次のエイドまでの間に抜き返すということが何度もあった。途中途中で見る景色は気分を和ませてくれた。
このコースは峠越えが多いのが特徴である。コースを考えた、坂本雄次さんの奥様との出会いの地がこの丹後の町なのだそうだ。七竜峠を2回、そして難関の碇高原である。碇高原は疲れがかなり溜まってきている60キロ地点を過ぎたあたりから始まる。途中下りもあるものの、10キロ近い坂道が続くハードなところだ。坂の始まりには既に歩き始めている人も多かったのだが、その中を走り続けた。本当に厳しい坂道がずっと続くのだが、何とか最後まで走り続けることができた。碇高原総合牧場のエイドが見えたときは本当に嬉しくて涙腺がゆるみそうになった。
73.4キロ地点にある碇高原総合牧場に到着したのが、14時過ぎ。ボランティアの方に足のマッサージをしてもらい、聞いて知ったのだが、14時40分がここの関門時間なのだそうだ。これには少しあせった。途中のエイドのトイレで隣になった人がしきりに関門時間を気にしていた理由がこれでわかった。今までのレースの中では、関門時間など気にしたことがなかった僕には何のことだかわからなかった。ただ、この後は14キロ先で16時38分が関門となるそうなので、この先は下りの道というのもあり、ひと安心。
ここまで特に足の痛みも感じず、ただ膝の疲労感を多少感じる程度だったので、何とか最後まで行けそうな感じになってきた。残り26.6キロを早く終わらせてしまいたかった。
この後は、もう無我夢中で走った。
歩いている人も多く、走っている人もどんどん抜き去って走り続けることができた。思ったより疲労感を感じず走り続けられた。
そして、ゴールのアミティ丹後へ1キロを切った。
沿道のギャラリーが大きな声で声援を送ってくれる。中にはハイタッチをしてくれる人も多く、ありがたかった。ゴール前の直線の道にはずっとギャラリーの人がみんなハイタッチをしてくれる。ゴール前には高瀬みどりさんの声で自分の名前をアナウンスしてもらい、感動、感激のゴールであった。
この町の人たちがわが事のように応援してくれたことが本当に励みになって、気持ちのよいゴールを迎えることが出来た。沿道の私設エイドをしてくれていた人たちも多く、おばちゃん、おばあちゃんは家の前に置いた椅子に腰掛けて声援を送ってくれた。エイドのボランティアの人もお疲れ様~と声をかけてくれた。本当にありがとうございました。
毎回、レースに出場させてもらう度、その地域の人たちの暖かさを感じることができる。特に今回は、その中でも町を挙げてのもてなしの心が伝わってくきたレースだったと思う。
今は次のレースのことを考える余裕はないが、またこの地に戻ってきたいと思っている。