昨日のブログ から引き続いての

 

映画『ピアノ・レッスン』に関する

往復書簡

 

なんだかこの

「往復書簡」という響きに

そもそもキュン 照れ と

してしまうのですが

 

ブロ友さんの記事が

情報の端緒となり

劇場鑑賞することができた

映画『ピアノ・レッスン』

 

私が書いた感想記事(

それを読んだブロ友さんが

書いてくださった記事(

 

それを読んで

私が書きたくなってしまったのが

この記事です

 

 

そもそもがこの映画

『ピアノ・レッスン』

 

私にとっては

とっても玉蟲色な作品で

 

画面に映し出される情報や表情

行動等から、彼女の真意

その心のうちを

推しはかりきることができず

 

若干、迷子状態で

 

だから

どうしても気になってしまった

彼女の行動から

 

それはどういう感情から?

どういう意図? 

どうしてそんなことを?

 

と、こうかな、ああかな、と

考えていっての、初回ブログ記事(

だったのですが

 

ブロ友さんが

書いてくださった記事()を

読んだらば、あ、そうか!

 

素直に、恋愛ものとして

観ることもできるのか!となって

ちょっと目から鱗!凝視

だったのでした

 

 

そして

私が一番気になってしまった

彼女の行動、ブロ友さんいわく

「ウブな夫に対する仕打ち」は

=「大人の女としての意地悪」

 

これ、私も似たような可能性は

考えていたのです

 

もてあそんでいるのかな、と

 

ただ、監禁されている状況で

自身の夫という相手に、それ

(一歩間違えれば、そのまま

無理やりにでもことに至ってしまいそうな)

をするのかな、と打ち消していたのですが

 

ブロ友さんが書かれていたこの

「ウブな夫」というところがキーで

実際、劇中でも、そんなことをされても

必死に耐えるのです、この夫

 

まさに、ちょっと

かわいそうにもなってしまうくらい

ウブで

 

それを見越しての彼女の行動

とも捉えられるんですよね

 

彼が最終的な手出しを

(合意なき性行為を)

できないということを

見越したうえでの

 

監禁への報復、嫌がらせ

意地悪な行動、というような

 

これ、ブロ友さんの記事を踏まえ

恋愛ものの視点で思い返すと

すんなりくる気がして

 

そうすると、もうひとつの

気になっている要素

 

彼女(エイダ)が

娘(フロラ)へと話していた

娘(フロラ)の父親の話

 

言葉を発さないエイダの思考を

受信できたという彼は

やがてそのことに恐れを抱き

去っていった、と

(うろ覚えなので、仔細

違っていたらばごめんなさい;)

 

これ、終盤

エイダの夫、スチュアートも

彼女の思念の声を聞いたと言っていて

 

結果的に、それによって

彼女を手放すこととなっていて

 

という事象にも

 

かつての男が去っていった原因を

夫に自分を手放させるために活用し

結果、彼女の思惑通りの結果になった

 

という風に説明がつくではないですか!

 

わー、なんかちょっとすっきり感が お願い

 

 

それから、また別のブロ友さんからも

ブログにコメントをいただき

そのコメントによって

 

この時代の女性にとって

自分の思う通りに生き

自分の意思で相手を選び、恋愛をし

自分の心からの幸せを得る、というのは

これほどまでの犠牲を払わなければ

叶えられないくらい、難しいことだった

という、そういう向きもあったのかな、と

 

 

そうか、恋愛もの、というか

恋愛を中心としたお話

ラブストーリーだったか〜

 

とすると、なんだか、私、かなり

トンチンカンな見方をしていたような

そんな気もしますが;

 

いえ、言い訳というかなんというか、を

させていただくと

 

あ、そもそも私

恋愛が中心に据えられている作品を

観ることがほとんどなく

ということもありますが

 

こと、この作品に関しては

 

ベインズがあまり

受け入れられなかったのですよ;

(あくまでも、わたし的に)

 

ピアノ・レッスンの初っ端から

「スカートをまくれ」だの

次いで、「服を脱げ」だの

 

わぁ、ちょっと気持ち悪い

と思ってしまい、その印象が

そのままずっと拭えず、で

 

いや、確かに、ベインズも

変化していってはいるのです

 

最終的には

きみを売女にするわけにはいかない

と言って、逢瀬をやめようとする

そんな風にまで

 

ということは

わかってはいるんだけれども

 

どうにも最初の印象が強くて

ゆえに、なぜにエイダと恋仲に…?

という部分が、私のなかでは

腑に落ちない形となってしまい

 

ちょっとあさっての方向に

思惑が広がっていってしまったやも キョロキョロ

 

あ、でも

それでひとつ思い出したのが

 

ピアノ・レッスン中

ベインズがピアノの下へと潜りこみ

スカートを捲らせたエイダの脚に

触れるシーンがあったのだけれども

 

エイダが履いていた

正式な名称はわからないけれども;

ストッキングのような、靴下のような?

に空いていた穴に、ベインズが指を載せ

その肌に直に触れる、というところがあり

 

あれは、もしや

覆われている = 閉じている

もしくは、鎧われている、彼女の

生(き)の部分に、彼が触れた

ということの

象徴的な描写だったのかな、と

 

 

とにもかくにも

私にとってはまったくの

盲点となってしまっていた見方を

教えてくれたブロ友さんに感謝しつつ

 

それを踏まえて

今度はその視点で

もう一度、観てみたいなぁ、と

思ってしまったのでした