6/19(月)

 

 

@妙典

イオンシネマ にて

 

 

 

 

怪物

 

 

2023年|日本|125分

 

監督:是枝裕和

脚本:坂元裕二

音楽:坂本龍一

出演:安藤サクラ、永山瑛太、黒川想矢、柊木陽太、高畑充希、角田晃広、中村獅童、田中裕子 他

 

 

 

息子(黒川想矢)が

いじめられているのではないか

その加害者は担任教師(永山瑛太)

なのではないか、という

母親(安藤サクラ)の視点から話ははじまり

 

その同じ時間経過を

 

次いで

その担任教師(永山瑛太)の視点で

 

さらには

子どもたちの視点で、と

 

三度繰り返されるつくりになっていて

 

その違う視点での光景を目にする度に

まるで違う様相が浮かびあがってきて

 

まさに「現実」のようだな、と

 

 

ひとは、自分の目にした

耳にした範囲で

物事を把握し、判断する

 

どうしても「主観」が入る

 

そして、事なかれ主義の

ロボットのような、暖簾に腕押しのような

どうしようもない人物に見えた

校長(田中裕子)が

誰かに、確かな救いの言葉を投げかける

 

それから、他意のない

「結婚して幸せに」や「男らしく」

 

そのひとことが

誰かを強烈に追い詰める

 

というような

 

物事や、人物は、一面ではなく

多面的で、複合的である

 

というところには

最近観たばかりの『TAR ター』を思い出し

 

 

とにもかくにも

 

視点が変わることによって

まったく見え方の変わってくる事態に

 

そのそれぞれの視点や

気持ちを噛みあわせながら

 

それぞれの時間軸を擦り合わせ

整理しながら観ていくこととなり

緊張感がとぎれず

 

通常ならば、途中途中で

持参している小さな水筒の白湯を

飲んだりするのだけれど

 

この日は

その口をいっぺんも開くことなく

 

終映後、誰かの

「ひさしぶりに、おもしろいものを観た」

という声が聞こえてきて

 

「おもしろい」と

言っていいのかどうかはわからねど

見応えのあるものを観た気がします

 

 

タイトルの「怪物」

 

最初、観ているうちは

 

この、視点者によって

まったく見え方が変わってくる事態のなか

いったい誰が「怪物」なのか

ということなのか、と思っていたけれど

 

そののち、加わってくる別の要素

 

それを踏まえて思い出したのは

小説『ぬるくゆるやかに流れる黒い川

 

読んでいて感じた

「呪い」というのは

呪われていると思っている側が

つくりだしているものだということ

 

これがこの「怪物」も同様な気がして

 

「怪物」というのは

「怪物」だ、と思っている側にとって

「怪物」なだけであって、その実

ちっとも「怪物」なんかではない

 

こどもたちがするゲーム

「怪物だーれだ」と言って

それぞれの額の前に掲げたランダムなカード

掲げている本人には見えないそれを

見えている相手に、動物ですか? 等

質問する形で、それがなんの絵柄なのかを

当てていくゲーム

 

そんな風に、それがなんなのか

どういったものなのかを知っていけば

それは「怪物」ではなくなる

 

そういった意味でも

誰でも「怪物」になり得るし

誰も「怪物」ではない

 

すなわち、やはり

「怪物」をつくりだすのは

それを「怪物」だと認識する

 

自分とは切り離したり

理解しようとしない人たち

 

もしくは「怪物」という

レッテルを押しつけ、貼りつけ

そう接し、行動する人たち

なのではないか、と

 

 

終盤の

台風で横転した廃車両(=秘密基地)の

窓を必死で拭う大人たち

 

拭っても拭っても

土砂は覆い被さり

そのうえを雨粒が叩き

 

さながら星空のようになっているのを

綺麗だな、と、それと背中合わせのような

哀しみの予感とともに、眺めていたけれど

 

 

ラストシーンには、つと

『あらしのよるに』や『ユリ熊嵐』を彷彿し

 

どちらもテレビアニメだけれど

 

どちらも、いまの世界では

いっしょにいることができないふたりが

別の世界へと旅立っていくラストシーンで

 

いまだ、変わらずなのかな… と

なんとも言えない気持ちになったけれど

 

フォローしている方が書かれていた

「嵐を抜けて、笑って過ごせる日が来ますように」

 

強くそう願います

 

このシチュエーション、展開が

早く過去のものとなりますように