幸せな顔をした人のいない競馬場 -30ページ目

幸せな顔をした人のいない競馬場

~でもあなたはしあわせでありますように~

少し前、お彼岸までにはきっと涼しくなりますね、みたいなことを書いたのですが、彼岸に入ってもやっぱり暑いし、今日彼岸の中日だけど、思ったほど涼しくない。


強い雨がふってるというのに。


もう半月以上(←これくらいで不満漏らすな、ですね…。すみません。)、たとえ競馬場経由であれ、毎日事務所に行き、今日もこれから行かなければならないのですが、この雨の中、疲労した状態で出て行くのは気が進まないです。


先日から自分のパソコンの中を整理しています。


父が死んで1年あまりですが、まだ1年なんだな、と思いました。


3,4年はたっている気がします。


時間が遅く流れているという感じはなく、いろんなものを引きずって重い、という印象もない。


ただ、まだ苦しいですね。


PCの中のいろんなものを読むと、僕は人に恵まれてる、とつくづく思います。


リアルの世界でもそうだけど、ウェブ上でもこれまでいろんな人と付き合いがあり、僕が知っている最も優れた書評ブログの管理人さんとのやりとりとか(この人とは現在リアルでも時々お付き合いがあるが。)、資格取得のための勉強をお互い少しだけ励ましあいながらやっていた、芥川が好きで、おそらく少し風変わりで、けれどその変わっている方向が僕と似ていて、でもリアルではきっと本当に女性らしい女性の方とか、突き放すような、でもなんでこんな愛情にあふれた叱咤をしてくれるんだろうと思うような、風俗業界で働いているブロガーさんとか、そのときどきの言葉を読み返すと、ありがたくって胸がつまります。


父の死とは無関係な話ですが、立ち直ったらもう一度あなたにメールします、と書き送ったこともあって、僕はそのことをすっかり忘れていた。


多分、人には、死の準備をするよう与えられている期間があって、その長短にかかわらず、人はそこで自分の弱さ、醜さ、愚かさに苦しみ、呆れ、諦め、そして最終的に、、、どうなるかはわからない。


僕はまだその期間の中を生きているから。


うろおぼえでまったく申し訳ないが、徒然草の中に、死というものは、沖を眺めている人の背後に、陸の方からいつの間にかそっとしのびよっているものだ、というようなことが書かれた段があり(←調べる気にならないので、興味のある人は調べて、正確なところを教えてください。第121段か第123段あたりだったと思います。)、また森有正は老いというものは昼寝をしている間にふっと取りつくものだ、ということを言っている。


僕はまだ老いという年齢からは遠いけれど、それに健康診断でも悪いところは見つかってないけれど、それでもいつ死ぬかはわからないわけで、そう思うと、はやく立ち直って彼女にメールしないといけないな、と思いました。


復活という言葉、好きな人多いよね。


シャア・アズナブルの人気の隠れた秘密って「逆襲の」がついてるからじゃないかな、と僕は思うことがある。


不如意な時期から上昇するってとこに、自分を重ねて見るからなんだと思う。


ディープインパクトがあれだけ人気があったのも、最後方を進み3コーナーから追い上げ、直線で他馬全頭を抜き去ってゴール、というレースぶりに、自分の人生を重ねて見ようとした人が涙したからなんだよね。


それにしても「逆襲」なんだけど、先に攻撃した人とされた人の数(のべ人数)は物理的には等しい、それは坂道の上りと下りの数が物理的には等しいのと同じなのだけど、「逆襲」に魅かれる人が多いってことは、人間がどれだけ勝手か、を示していると思う。


さて、事務所に向かうか。

今日も競馬場経由で休日出勤の浮舟の弟ですが、、、


さっきメールを見たら、某工業高校の機械科2年生を相手に、


「身近な工業製品を通しての知的財産権の基本的な事項の講演」


をしませんか?


講師の謝礼2万円+交通費、


みたいなメールがきていて、講演は3時間半やるそうなんだけど、準備はかなりかかるだろうし、2万円じゃやってらんないよー、と思った。


いつか暇になったらやりたいと思わないでもないのですが、とりあえずしばらくは無理 (→o←)ゞ


でも知的財産に関する意識向上は必須だし、まじめな僕は社会的な責務を強く感じてもいるので、女子の比率の高い高校などでいつか講演させていただきたいと考えております ヽ(゜▽、゜)ノ

金曜日に横須賀に打ち合わせにいき、重要な発明だから、と、10日で4件の出願原稿をつくる約束をしたため、さすがに焦って土日は事務所に一人こもって仕事をし、今日は横浜で打ち合わせ。


ちなみに明後日も打ち合わせ。


いったいどんだけ仕事があるんだ…。


さすがに疲れてきたらしく、今日は男性ボーカルを聞きたくなって昔のCDをひっぱりだしてきた。


僕は疲労すると、女性の声ではだめで、倉木麻衣ではもちろん、みゆきさんでも×になってしまうのです。


ちょっとおかしい感じの男の声が聞きたくなる。


だから福山雅治や小田和正では×。


今日はイエモンにしたけど、気分しだいでエレカシのときもあるしラルクのときもある。


ときどき尾崎豊までさかのぼることもあるが、尾崎豊の場合別の原因があることが多い。


久しぶりに『GOLDENYEARS SINGLES 1996-2001』を聴いて思ったのは、吉井さん、やっぱり変だ、ということ。


それから身にしみる、10年前これらの曲を一緒に聴いた女の人のうち、ある人は結婚し、ある人はもういなくなってしまったという現実。


『悪人』を読みたいのに時間がねー。

交差点で信号待ちをするとき、街路樹や建物の影の中に立つ人が少なくなりました。


今日は菊の節句だし、あと2週間、お彼岸まで待てばきっと涼しくなりますね。


9月9日はカーネルサンダースの誕生日だったんだそうで、今日ケンタではチキンを1ピース無料サービスしてくれていました。


久しぶりにケンタを食べたいと思って出かけたら、すごい列で、びっくりしました。


並ぶ気にならなかったので、スーパーで唐揚げ、マツキヨで部屋干しトップを3箱買って帰りました。


明日は朝早くから打ち合わせ。


新しく事業を展開するために特許がほしいのだそうで、この仕事は、通常仕上げではなく、丁寧仕上げでやろうと思ってます。

今週、来週と打ち合わせが続きます。


ちょっと忙しい状態です。


9月は土日祝に出ないとまずいかな、と思いはじめていますが、急ぎの出願を依頼されれば仕方のないことだと思います。


僕はサラリーマンだし、サラリーマンの中でも、よく言えば相当自由に仕事をしており、歯切れ悪く事実を言うと勤務態度に多少型破りなところがあり、普通の感覚の持ち主からはそんな働き方でよくクビにならないね、てかなんであんた文句言われないのか不思議、と驚かれるタイプなのですが、多分このブログを読んでくださっている方は、僕が根はまじめであることはわかってくだっていると思うのですが、まったくその通りでありまして、僕は期限を含め、どんな小さな仕事上の約束も破ったことはないのであって、本当に自分でも嫌になるくらいまじめなのです。


自由と責任はいつも一緒に僕の中にある。


なので引き受けた仕事はきちんと仕上げます。


というわけで9月はけっこう祝日もあったりしますが、仕事している可能性が大です。


更新してもいないのに、時々のぞいてくださっている方もいらっしゃるみたいで、とてもありがたく、また申し訳なく思ってます。


今日は僕の抜き書きノートの中から、かなり印象的なこのフレーズを紹介。


意識は病気である。


これは『地下室の手記』(ドストエフスキー 新潮文庫)の解説部分に書かれている言葉です(と僕のメモにある)。


ドストエフスキーを読めば、少なくともドストエフスキーの意識が世間的評価としては病的であろう、とは思いますよね。


僕は邦訳のあるドストエフスキー作品は全部読んでます(←多分)が、彼は人類史上最も偉大な作家だと思います。


芸術作品を語るとき「調和」という視点で評価がなされることも多いのですが、ドストエフスキーの作品には通常の「調和」なんてものはなくて、ただ「調和」なんてどうだっていいじゃん、と思わせる圧倒的な真実が次から次へと示されます。


北杜夫がずっと昔のエッセイで、もうドストエフスキーは読めない、読んだら小説を書けなくなる、という内容のことを書いていたのですが、きっと本心なんだろう、と思いました。


秋の夜長に寂しくなったら、ぜひ、まだ読んでいないドストエフスキーを。


人間という存在が、読む前とは違う光に照らされて見えることうけあいです。

ダメ男とオカマと家出娘のホームレス三人組が捨て子を拾うところからはじまる、愛情と嘘と強さと弱さと、悲しみと喜びがいっぱい詰まった物語。


泣けました。


地獄がなければ天国もない、ってエンディングの歌詞にあったけど、そう思います。


ただ地獄は普通は抜けられないし、簡単に抜けられるところであればそこは地獄じゃないんだけど。


だからこういった奇跡が必要なのかもしれない。





善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。


高校の頃不思議でならなかった、でも誰も教えてくれなかった、親鸞のこの言葉の真の意味、今ももちろんわからないけれど、だけど今はこの一文に違和感をもたない。


正確にわからないなりに、その通りだとだと思うようになりました。




『東京ゴッドファーザーズ』、オススメです。

『ダ・ヴィンチ・コード』は劇場で観たのですが『天使と悪魔』は今回DVDで鑑賞しました。


僕は原作小説を読んでいないので細部がわかってなくて、その状態であーだこーだ書くのは妥当ではないのですが、映画は原作から多少変更されてつくられているようだし、僕はブログに記事を書くことで収入を得ているわけでもないので、自分用のメモとして少しだけ記録しておきます。


カメルレンゴが悪者だとは思わなかった…。


そして秘密結社イルミナティの犯行をシンボルを手がかりに読み解いていっていたはずのラングドンが、最終的には録画された映像によりカメルレンゴの企みだという事実を知ってしまうシーンは大きな意味をもつと思う。


ある面における科学技術の勝利という点で。


一方カメルレンゴは、宗教と対立関係にあると位置づけされている、科学技術自体によって破滅する。


これはある面における科学技術の敗北ということになるのではないか。


でも本当は勝利や敗北などどうでもよくて、というか表現上の些末事にすぎなくて、それに宗教と科学の融和というようなこともことさら重要には思えなくて、個人的には、結局人類の全的な営みを人類がどのような方針で行ってゆくか、及びゆけるか、という個と全体の関係も含んだ大問題につなげてゆきたい。


人類の未来について不安を抱く人は多い。


具体的な希望はもてないが楽観している、という人も少なくない。


死が生に含まれるように破滅が発展に含まれると考えるのは、適当なのか、それとも一種の逃避なのか。


ただ人類が全滅するか否かは置いておくとして、少なくとも人類が大きなダメージを受ける日はそんなに先のことではないかもしれない、と僕は思っている。


日本に関していえば、これは僕が1945年前後を生きていないからでもあるのだろうが、印象としては、明治維新から第二次世界大戦敗北までほとんど必然的に連続していると思える歴史の流れが、敗戦によって一見分断されている感じがする。


でも実はしっかりつながっているんじゃないのかな。


そしてかなり悪い事態に陥ってはじめて、連続性が強く意識されるんじゃないのかな、と思いもする。


天使と悪魔は別々に存在するのではなく、天使を反転させると悪魔になり、悪魔を反転させると天使が現れる、そんな関係になってるんじゃないかな、と思う。

突然夏休みの3日めが訪れたのです。


夏休みの2日は8/12、8/13にとり、あと1日をどこでとろうか、と思っていたのでした。


別に夏休みを3日間とらなくてもいいし、有給休暇をくっつけて長期の休みにしてもかまわないのだけれど、お盆前はそれなりに忙しかったのです。


お盆が過ぎ、仕事がわりと暇になり、スーパーサイヤ人になれば、午前中だけで手持ちの仕事を終わらせられる、という状態が到来したので、あと、今朝ちょっと寝坊して、その上、なんとなく身体がだるかったので、加えて、昨夜個人的に買い物を依頼されていたこともあって、今日を、いきなり夏休みの3日めにすることに決定したのでした。


事務所に電話。


事務員さんがでるとおもっていたら、新人クン、といってももう1年以上いるけど、なんだか影の薄い同僚がでた。


え?


この新人クン、不思議なくらい、電話とらないのよ。


事務員さんがいないとき電話がかかってくれば、普通新人クンがとる、と思うけど、この人は電話が嫌いなのか、とにかくとらない。


なので状況しだいで僕もでることがあるし、上司がでることもある。


僕は驚きながら用件を伝えた。


「今日夏休みの3日めをとるつもりだったんですけど、昨日○○(←期限や所員のスケジュールを管理するグループウェアの商品名)に書くの忘れたんで、僕の欄に『ナ・ツ・ヤ・ス・ミ』って書いといてもらえませんかね?」


で、うだうだした後、浅草に出発。


なぜか、、、


というと、


雷おこしを送れ、


と親から連絡がきていたのです。


今週の土曜日にサンバ祭りがあるからそのときに買おう、と思っていたけど、いきなり夏休みになったので、はやく送るのが親切というものだ、というふうに考え直したのでした。


外は暑い。


事務所でデスクワークしてるのがいかに楽かを知りました…。


「10分もたないね」


「倒れちゃうよ」


と通り過ぎるおじいさまたちが会話していたが、まったくその通りです。


倒れる、で思い出したけれど、みゆきさんの「わかれうた 」に、


途に倒れてだれかの名を~、呼び続けたことがありますかぁ~


という一節があって、どこで読んだのか失念したのですが、松山千春さんが、コンサートなどで、この箇所につき、


道で倒れて誰かの名前を呼び続けてる人間を見たことあるか?


みたいなことを言って、笑いをとってるという記事があって、おかしかったです。


みゆきさんは人生における途のことをいってるのだという弁護がついていたけれど、それは間違いで、みゆきさんは普通の道のことを言ってるんだとは思いますが。


だって人生の途上で、精神的に倒れて誰かの名前を呼び続けない人ってほとんどいないんじゃないかな?


で、僕はしばらく前、何人かにメールで質問したのでした。


途に倒れてだれかの名を~、呼び続けたことがありますかぁ~


で、戻ってきた答えが、、、


「ない」


「ない」


「ない」


「ない」


「ない」


「ない」


「ない」


「ない」


これにも驚いた。


あるだろっ!!


「ない」


僕はあります。


僕はこう考えるのですよ。


足がもう動かない、これ以上一歩も前に進めない、という状況で道に倒れたら、誰かの名前、それは神の名前かもしれないし、自分の心の支えとなっている大切な人の名前かもしれないし、あるいはつい昨日までそうだったかもしれないが今はそうではない人の名前かもしれないけれど、とにかく誰かの名前を(つぶやくように)呼び続ける可能性は低くないんじゃないか?


もう一歩も足が進まない、という経験は僕にも何度かあって、頻発したのがお遍路時でして、そんなときには覚悟をきめて、たとえば山の中腹で寝転がるしかないわけです。


僕はそのとき神の名前をつぶやいたと思う。


そのあたりの道で動けなくなったこともあります。


土手沿いの道で僕はその場にうつぶせて顔を覆って、これは恥ずかしいことかもしれないけれど、ある女の人の名前を繰り返しつぶやいた。


だから、


途に倒れてだれかの名を~、呼び続けたことがありますかぁ~


というフレーズを不思議に思ったことがないんです。


・・・あ、雷おこしでしたね、おじいさまたちとすれ違った後、こんなことを考えてる間に雷門に到着。



幸せな顔をした人のいない競馬場


あ、そうだ、少し前に「浴衣嬢の浅草」という記事をアップしたのですが、諸事情により限定公開にしましたので、そこで紹介した等光寺の今日の写真をのせておきます。



幸せな顔をした人のいない競馬場


等光寺は石川啄木の葬儀が行われたお寺です。


あの後僕は啄木の伝記を読んで、僕は啄木と似た性質をもっているみたいだ、ということに気づき、ちょっとこわくなりました。


えーと、雷おこしでしたね。


雷門の脇にある常盤堂では雷おこし作りの実演が行われています。


「写真撮らせてもらってもいいですか?」


「あ、いいですよ」


と許可をもらって、イケメンさんを撮影。


顔を見たい方、写真は1枚500円にて販売いたしております ヘ(゚∀゚*)ノ


幸せな顔をした人のいない競馬場

雷おこしを3袋購入しました。


そして次に、、、


昨日、雷おこしとともに、親が所望したのが、


ハラダのラスク…。


ハラダのラスクは東京みやげという位置づけなのかどうか、僕にはわからないが、僕にとってはハラダは群馬の菓子屋なので、親が僕のいろいろとよろしくない時期を知っているのかと疑ってしまった。


ハラダのラスクはいつの間にか全国区になっているが、17号を走る人の多くはおそらく、埼玉と群馬の県境にある神流川を越えると検問所よりも手前にハラダの工場があるのを知っている。


そこは今は高崎市だが数年前までは多野郡新町というところで、ハラダはその町のさびれた商店街にある一軒のお菓子屋にすぎなかった。


おいしいと評判で、僕もケーキとラスクを買いに何回か行ったことがある。


それがいまや全国区。


実力があれば短期間で高みまで駆け上がることができるということですね。


菓子作りの実力のほかに、どんな方針が効を奏したのかよくわからないが、少なくとも群馬銘菓とする売り方を避けた点はハラダの成功を支えたと思う。


今日行ったデパ地下でも、売り子さんとお客さんが圧倒的に多かったのがハラダの売り場だった。


雷おこしとハラダのラスク、たった2つのお菓子を買うだけでも、いろいろ考えてしまって疲れた(←ばか)。

『青葉の時へ』は竹西寛子さんのエッセイ集(新潮社刊)。


僕は、学校の国語の時間にエッセイの読み方なんか教わってないけれど、長じた後に読んだ本に書いてあって、なるほどと思った読み方があって、僕の記憶の中で自己流に変容されていると思うけど、それをここでちょっと紹介すると、、、


①論理をたどるのはもちろんだが、筆者の連想にあわせ、その展開を心理的に追う。


②エッセイは多く日常的な事柄から人生観や世界観へと流れてゆく、その間、想は想を呼び、省略や飛躍が頻発するため、文章中のどんな小さな記述も、それが他の部分と呼応するのであれば、読み落としてはならない。


こんな感じです。


学校に通うお子さんがいれば、上の①、②を意識して読ませることで、現代文の点数は上がると思いますよ ヾ(@°▽°@)ノ


読み方なんか関係なし、自分の感性で読めばよい、と考える人もいるだろうけれど、筆者の言わんとするところをしっかりとらえた上での、自分の感性だと僕は思う。


きちんと読むことが、いい文章を書く人につくす礼になるとも思います。


『青葉の時へ』所収の「青葉の時へ」は、感傷的でなく、深い味わいのある、いいエッセイです。


「やわらかな春野菜や山菜は、手荒な調理をきらう。濃く味つけされるのをきらう。色や、香りをそこなわないでほしいと訴える。山椒の若葉が匂い立ってくると、蛤の潮汁をつくりたくなる。八百屋の店先に筍が出はじめると、おすしをつけたいと思う。」


女の人のエッセイは、こんなことがさりげなく書かれてあったりする点でも好きです。


ココスジャパンの株を100株だけですがもっているので1年に1万円分の株主優待券(食事券)が送られてきていました、配当とは別に。


おいしい株だと思っていたのですが、優待の内容に変更が…。


変更前 ⇒ 変更後

100株以上200株未満  5,000円分 ⇒ 1,000円分
200株以上500株未満  5,000円分 ⇒ 2,000円分
500株以上1,000株未満 5,000円分 ⇒ 6,000円分
1,000株以上       10,000円分 ⇒ 12,000円分


ということみたいです(1回の配布につき)。


株主優待券狙いの僕みたいな株主にとって、うまみは激減です。


そのためかココスジャパンの株価は下落。


ゼンショーグループのココスの株主優待券はゼンショー経営のすき家などでも使えて重宝していたのですが。


今日は優待券を使ってすき家でタダメシを食った後、最近見ることが多くなった台湾スイーツの店「Charmy」へ。


女子高生がよく並んでいて、どんな味なんだろうと興味があったのでスノーアイスを食べてきました。


僕は「ココアミルク」にしました。


「クランベリーミルク」をオーダーしたら売り切れといわれ、「じゃあ、カシスミルク」と続けたらやっぱり売り切れということだったのです。


ふわったした食感でおいしかったです。


最後は「激辛マニア デスソースコラボ」というスナック菓子で締めました。


(株)鈴商と(株)ジャパンフリトレーの共同企画商品だそうです。


「この商品は想像を超える辛さなので…」と書かれてあり、どんなものだろうと思って口に入れたら、、、確かに辛かったです。


でも普通に食べられる範囲だと思いました。


パンプス、スニーカー、バッグはどんなものでも1kg20円で買い取ります、と書かれた貼り紙のあったリサイクルショップを覗いてから家に。


リサイクルショップって面白いね。


買おうとは思わなかったけど。