幸せな顔をした人のいない競馬場 -25ページ目

幸せな顔をした人のいない競馬場

~でもあなたはしあわせでありますように~

『CLASS ACTION』は『訴訟』と邦訳され1991年に公開されているらしい。

当時はぜんぜん知らなかったが、今日TSUTAYAでDVDを借りて観た。

あらすじ(goo映画の紹介に少し手を入れました。)は以下の通りです。



弱者の弁護に人生を捧げ英雄視されてきたジェフは、大企業アルゴの自動車メレディアンを欠陥車として、事故被害者の損害に対する賠償を請求する訴訟を起こそうとしていた。

ジェフの娘マギーも父と同じ弁護士の道を歩んでいたが、父が名声の後ろで、女性関係により妻エステル(マギーにとっては母)を泣かせてきたことからジェフを憎み、父娘の間には深い溝があった。

マギーはアルゴの顧問弁護を務めるクイン法律事務所に勤務していて、メレディアン訴訟を出世のチャンスと考え、上司でもあり恋人でもあるマイケルに頼み込み、この訴訟を担当することになった。

裁判は開始され、父と娘は法廷で激しくぶつかる。その争いにショックを受けたエステルは脳血栓で倒れ、他界する。その死をきっかけに父と娘は心を通わせるが、仕事のことでは激しい口論が続く。

マギーは、車には欠陥があったこと、その欠陥は当時の担当だったマイケルのミスもありそのまま放置されていたこと、また、欠陥車を回収し修理するより、事故が起きる台数を計算すると、起きた事故の裁判で支払う費用が安く済むために回収しなかったという大企業の人命軽視の考え方、更には、マイケルによる証拠隠滅の事実を知って、マイケルや事務所を裏切る。



こんなストーリーなんですが、考えさせられました。

僕がマギーの立場にあっても似たような行動を取るとは思いますが、それは、もちろんマギーが途中で弁護士をやめたい気持ちになるのは本当によくわかるけど、基本的にマギーの置かれている立場は、不運といえるくらい社会的には複雑でも、倫理的には単純だからです。

企業に勤めている人なら、マイケルの理屈も、わかるところあるんじゃないかな。

マイケルはこんなこと言ってはいないが、正義のため、現在や未来の自分の職を捨てた後に目にするものが、自分がいなくなっただけのよそよそしい世界だったら、というか、ふつうはそうなんだと思うけど、そんな世界を見たとき、一層人間を嫌悪する自分が容易に想像できるし。

それに、もし、自分が今の職を失ってはならない事情、たとえば親や子供が深刻な病気でその治療に多額のお金が必要だという事情があったとしたら、僕はどうするかわからないな。

原告は金銭的に補償される、自分の親や子供は死んでしまうでは、経済より生命が重視されるべき、という考えは、逆の結果を生んでしまうではないか。

と、こんなことを考えていたんですけど、映画は以前はラブコメが大好きでしたが、今ではこんな社会的な問題を視野に入れた作品の方が好きかも。

重い作品は観たくないことも多いですが。



徳川家康が残したとされる有名な人生訓(実際は後世のもの。)に、


人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し 

いそぐべからず 

不自由を常とおもへば不足なし

こころに望おこらば困窮したる時を思い出すべし

堪忍は無事長久の基

いかりは敵とおもへ

勝事ばかり知てまくる事をしらざれば害其身にいたる

おのれを責て人をせむるな

及ばざるは過たるよりまされり


がありますね。

どうしたんだろう、最近これがよく頭に浮かんでくる。

小学生の頃、家の本棚にあった名言集を読むのが好きで、家康って偉いなー、と子供心に思っていたけど、なんにも知らない子供が偉いなんて思える深さではないよねぇ…。

どんどん汚れて、少しずつ話をしない人間になっている僕にも、もし生きるのであれば、こうするのはひとつの手だよ、と教えてくれているこの人生訓を、実行するのが本当に難しいことはわかる。

というか、実行できれば、汚れ具合もずいぶん違ったろうに、と思う。

ときどきぜんぶ投げ捨てたくなるね。
小学生の頃、太平洋戦争に関する本を読み漁りました。

戦史はもちろんですが、艦船、航空機、戦車等の兵器が大好きで、スペックなんかも詳細に記憶していました。

男の子は、歴史は戦国時代が大好きだし、ま、そんなものだと思います。

『日本「軍人」列伝』は、主に第2次世界大戦時の日本の軍人について書かれた本です。

この手の本を久しぶりに読みました。

数ページでひとりの軍人を書きつくせるはずはないし、短いなりに正確に書けているかどうかもわかりません。

人間には、いろんな顔があって、この人はこんな人、となかなか言い切れるものではないですから、その軍人について筆をとった人の意見として読みました。

軍隊の中に、現代社会と似ている点を多く感じましたが、人間が構成する組織って、似たものになってしまうんですかね?

どこまでいっても人間、ということでしょうか。

夏の暑さみたいにやりきれないです。

知らないことも多く書かれていました。

M十字を創業したのは、731部隊の部隊長の右腕だった人とか、ね。

とすれば、現代社会が軍隊に似ているところがあるのも当たり前か。

戦争は、人間の最大の不幸のひとつだと思います。

平和ボケしていることは、他者を平和ボケ扱いする戦争マニアの精神状態より、断然素晴らしいと思っています。

僕は日本国憲法を涙なしでは読めない人間だし、もちろんそんな人でも違う道を、自分の信念にしたがって選択する人はたくさんいると思うけど、

今後日本が直面することになるはずの、国家間の武力抗争については、

馬鹿で無能者呼ばわりされる道を選択する側につきます。

その道は、どんな道より、人間の尊厳が蹂躙されるように見えるかもしれないが、一番悔しい道に感じられるかもしれないが、それを神聖だといって自己満足する気もさらさらないが、僕は以前もこのブログに書いたことがあるけど(→過去記事はこちら)、すべての人間が詩人になるのでなければ人間の真の幸福はない、という埴谷雄高氏の言葉は真実だと思う。

詩人というのは詩を書く人間のことではない。

詩を書く人間が真に詩の心をもっているとはかぎらない。

世間でごみみたいに扱われている人たちの中にも、多くの、貴重な詩人がいる。

僕は真の詩を書く人たちに協力する。
どんな願いもかなえるという聖杯をめぐって展開される、戦いとか愛とかが描かれているようです。

アニメです。

アニメって少年と、それより精神年齢の高い少女がでてきて、その二人の間の心情が描かれること、多いですが、そういう設定の物語を見るにつけ、男って本当に情けない、と思います。

それから僕は剣道をやっていた関係で、女性剣士、大好きですけど、少女がむやみに剣を振り回すものではないと思います。

製作者は、少女に思想めいたことを語らせ、更に少年に、それを超える思想めいたものを語らせたがりますが、もうとっくの昔に少年でなくなっている僕は、まったく共感できません。

てかもし僕が小中高のいずれかの時期にこの作品を見ても、共感しなかったろうと思います。

ただ少年はひとつだけ面白いことをしました。

自分の理想を、自分の希望のために、破壊する、という行為をしたんです。

希望と理想とが、作品の中ではっきりと使い分けられていないため、正直、意味不明ですが、自分の理想を自分の強い意志で積極的に壊す、ということ、これについては今後考えてみたいと思います。

なんか、生きる上で、すごいヒントをもらったような気がします。

明日は父の日ですか…。

来月、父の三回忌のために長崎に帰ります。

親は死んでも子に教える、といいますね。

自分の死によって、子に死というもの、そして生というものを教える、自分がいなくなってからも、教え続けるのだそうです。

本当にたいしたもんだと思う。
採用者には毎年1億円の報酬が生涯約束される企業の採用試験の最終選考に残った8人の行動を描くサスペンス。

ですが、

こんな試験を行う企業に就職したいと思うか?

というか、

こんな採用試験を行う企業は信用ならないから、1年つとめて1億もらったらやめた方がいいと思う。

8人の前には、問題の書かれていない紙。

彼らはまず「問い」を発見するところから開始するのだが…。

オチはあまりにアホらしかったりします…。

僕はこの映画、駄作だと思うけど、何かを考えるきっかけにはなるかもしれないとは思います。



僕は「問い」ってすごく面白いものだと思っていて、たとえば

何のために生きてるのか?

という問いがあったとすると、別にその答えがわからなくても僕たちは刻々と生きているわけで、人間は意味を求めてしまう性質をもつ生き物だから、答えがわからないことも手伝って自ら命を絶つ場合もあるし、逆に答えを見つけてしまったから死ぬという人もいるだろうし、一方で、問いと答えってセットになってる必要もないし、何のために生きてるのか、って確かに問いの形式をとってるけど、実質は問いではない別物だったりするかもしれないし、、、

えーと、映画の感想から「問い」に関する僕の考えに進んでゆきそうなので、ここで終了します。



最近また仕事が忙しくなってきました。

何も考えず仕事をする、ということは、習慣になると怖いのだけど、便利なので、1つのテクニックとして使ってます。

本屋で、仕事ができる人の習慣、みたいなことをテーマにした本があり、10の習慣が表紙に書いてあったのですが、僕は、ものの見事に全部当てはまったので思わず苦笑してしまいました。

自分のために徹する、とか、メールの返信がはやい、とかなんですが、、、けどこれが当てはまる人、そうとうに性質悪い、と思います。

こんなこと、他人にはぜったい言えないなー、と思いました。

『吉原酔狂ぐらし』という本、数日前なにげなく読みはじめて、今日読み終えました。

著者の吉村平吉さんは、戦前、エノケン一座(ピエル・ブリヤント)のレビューに魅せられ、学業そっちのけで文藝部に出入りするようになり、戦争から帰還した後は、新生劇団の代表となるが失敗、吉原で生活しながら風俗ライターとして活躍する、という、いかにも自由人という経歴の方。

でも飄々とした自由人って、けっこうかなしかったり苦しかったりする思いを抱えているもので、このあたり僕にもわかる。

家庭をもち会社勤めを続けながら、自分らしさを回復するために、こっそり、あるいはおおっぴらにちょっと悪いこともする、みたいな人とは、おそらく異質のさびしさをもってると思う。

日本雑学大賞を受賞した本らしいけど、雑学という感じはまるっきりもちませんでした。

著者の、ぜんぜん大げさではない心に触れるという味わいの本です。

何かの役に立てるために読書をする人は読まない方がいいかもしれません。

日常で無駄にすぎてゆく時間をそのまま受け止められる人には、吉村さんの文章はわりと心地よいと思います。

著者も気負って書いているようにはみえないので、どんどん先を読んでいいと思いますが、「最後の幇間たち」という文章は秀逸ですから、もしこの本を手にとる機会があれば、熟読するといいと思います。

幇間(タイコ持ち)は「ゴマスリ男」という意味で使われたりもしますが、吉村さんは「ほんものの”タイコ持ち”はそんな生半可なもんじゃない。」と切り捨てます。

あらゆる身分、あらゆるタイプの客を上機嫌にしなければならない、大演出家先生や名優、最高級の外国人芸術家たちを遊ばせ喜ばせるには、彼らと互角以上の芸がなければならない。

それができたのは、

「色里で鍛えに鍛えられた芸だからだ」

と吉村さんは言います。

なるほど、と納得させられました。




駅ビルにHというパスタ屋があるのですが、麺類、特にラーメンとパスタが大好きな僕は、けっこうその店で食べてから帰宅します。

午後8時を過ぎる頃、ひとりでまたはふたりで食べる20代女性、こう書くと怒られそうですが、なぜかきれいな方が多いお店で、ひとりでパスタを食べる美人さんを見るのはなんとなく嬉しいし、ふたりで食べている人はおもしろい恋バナをきかせてくれるし、パスタの味以上にお得感のあるお店です。

今日もHでバジルがいっぱいのパスタを食べた後、僕は甘いものも辛いものも特に苦手ではないので、通り道にあるショッピングサイトで、

すみません、抹茶ドラ焼き、ひとつでも大丈夫ですか?

と、尋ねて、おいしそうなドラ焼きとともに部屋に戻りました。




本を読むのは楽しいですね。

先日は『ナチ将校の妻』という本を読みました。

第2次世界大戦時、ドイツに併合されたオーストリアで、身分を偽り、ドイツ社会の中に潜伏して生きた、Uボートと呼ばれる、当時若いユダヤ人女性だった人の手記です。

ウィーンの理性は回復しなかった。

僕のウィーンに対する感情を大きく変えた本です。

脳科学者の茂木氏が、入試カンニング事件で警察に被害届けを出した京都大学に、ツイッターで「ナチス」と罵声を浴びせたのは記憶に新しいですが、世間にはナチの下級将校みたいな人間はうようよしてますよね。

ただ僕の中にもあなたの中にも、ナチは存在します。

それを意識して憎むかどうか、が、おそらく今後到来するだろう、理性が危機にさらされる時代に、どんな生き方ができるか、に大きくかかわってくると思います。

ナチ時代の狂気は魔女狩りの狂気と共通点がたくさんあると思っています。

僕の研究対象のひとつです。

『ナチ将校の妻』は、ナチのほかにも、「女」という、僕には本当のところは絶対にわからない存在についてもいろいろと教えてくれました。

『吉原酔狂ぐらし』よりもなまなましかったです。
僕の場合、本は図書館で借りて読むのが原則です。

が、昔は必ず買って読んでいました。

本を捨てることのできない性分なので、本棚や書籍用ケースがどんどん増え、今住んでいるマンションは3LDKなんですけど、そのうち一室は本置き場と化しています。

この調子でいくと、リビングや衣装部屋や寝室まで本に侵食されるのは目に見えているので、いつの頃からか本は図書館で借りることにしました。

ですが、どうしても手元においておきたい書物もあるわけで、今日は朝から三省堂に出発。

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久しぶりに本を購入 (=⌒▽⌒=)

ついでに調べたいこともあったので、十数冊の本を手にとって情報を収集。

満足しつつ、御茶ノ水界隈を散歩。

隣の水道橋(←WINSがある。)に比べれば、御茶ノ水ってきてないんだよね(←比べなければきてる)。

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ニコライ堂。

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聖橋。

聖橋を渡った先に見えるのが湯島聖堂です。

さだまさしさんに『檸檬』という曲があって、

「或の日湯島聖堂の白い石の階段に腰かけて 君は陽溜まりの中へ盗んだ檸檬細い手でかざす ・・  喰べかけの檸檬聖橋から放る 快速電車の赤い色がそれとすれ違う ・・」

というふうに歌われてるんですけど、

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これがその「白い石の階段」だと思います。

白くはないですけど、さださんが曲をつくった頃(←そうとう古いはずです。)には白かったのでは?(笑)

コンクリートですけど、さださんが曲をつくった当時は石だったのでは?(←いい加減。)

聖橋の上から、快速電車とすれ違うように、喰べかけの檸檬を神田川に放りたい、で、その状況を写真におさめたい、とずっと思っているのですが、うまくいくまでに、檸檬が何個必要になるかわからないし、それ全部喰べかけにするとなると、かなりすっぱいし、そうしてるうちにお巡りさんがきて逮捕される可能性が非常に高い、、、のでいまだに実行できずにいます。

ちなみにこの曲の「盗んだ」はあまり気にならないのですが、尾崎豊の『十五の夜』については、僕は、尾崎豊好きなんですけど、どうも共感できないんですよ。

盗んだバイクで走って、自由になれた気がした、なんて言われても、バイク盗まれた方は、ふざけんなっ!!! と思うだろうし、僕は盗まれた人に同情します。

神田明神へ。

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僕はなにげに平将門って好きで、神田明神に初詣にきた年もあります。

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今年の神田祭は中止です。

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神田明神の屋上庭園。

オオムラサキツツジが咲いています。

ツツジ、わりと好きなんですよね。

長崎県の県花はウンゼンツツジなんですが、長崎市内の眺望で有名な稲佐山にもたくさんのツツジが植えられています。

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神田明神の坂をくだると秋葉原。

「秋葉原クレーン研究所」とか「なでしこ寿司」とか、、、見ただけでワクワクする……人もいるんでしょうね。

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僕は一時期、

ヲタクになれれば人生はラクなんじゃないか?

と真剣に思ったことがありまして、、、でもやっぱり僕の性質とはマッチしないことがわかったんですよ、残念ながら。

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今日の目的地のひとつ、ドンキ。

AKB劇場のある8階に潜入する予定です。

このドンキ、初めて足を踏み入れました。

エスカレーターで上ってゆくにつれ、、、

場違い感が全身を覆い、、、

汗が、、、

でてきました。

萌え系のお店が多すぎ……。

8階AKB劇場ではリセット公演なるものが行われていて、その様子は劇場外のモニターテレビに映し出されています。

人、けっこういます。

警備員さんに、

ここで写真撮ってもいいんですか?

と尋ねたところ、

画面が入るとだめです、ポスターだけとか、入り口だけならいいんですが、

との答え。

じゃ、8階の写真、公開。

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僕はAKBのメンバーの名前、数人分しか知らないし、その数人だって、顔写真と名前を出されて、どの娘がだれ? と聞かれたら、正直わかりません。

そんな人間がなぜここにきたかというと、これは本当なんですが、現代日本の文化事情をみるためです。

脂汗にじませながら日本の文化に触れようとするなんて、、、

僕はおかしいのか……?

と自問しながら、蔵前橋通りを歩きました。

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日本サッカーミュージアムという施設がありました。

そして、、、

今日最後の目的地。

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末廣の本郷店。

僕がよく行く銀座末廣の本郷支店です。

僕がこのあたりをうろうろしていた時期にはなかったので、今回初めてです。

「玄海こってり大盛りをお願いします」

食べはじめて、、、

スープは同じだね。

……

あれ?

……

こってり、を注文したのに、背脂が少なすぎっ!!

このときあらためてメニューをみたら、、、

なんと、あっさりもこってりも同じ値段!!

銀座末廣は100円高いんですよ。

あっさりと値段が同じ分、背脂が少ないわけね、、、

と納得。

でも100円払っても、背脂は多い方がいい。

……

あああぁぁぁ!!!

……

そして最大の違いに僕は気づいたのだ。

それは、、、

麺が違う!!!

銀座は通常の博多豚骨よりもやや太いストレート麺。

本郷はそれより更に太いちぢれ麺。

大盛りの料金が異なる(銀座150円、本郷100円)のもそれが原因なのか?

なんか、嬉しくなってきました。

銀座と本郷では、絶品スープで異なる種類の麺が食べられるんですよ。



ではここでほとんどの読者の方は興味がないと思いますが、銀座と本郷の玄海こってり大盛りの価格の違いをメモしておきます。


     玄海    こってり           大盛り

銀座  750円   +100円         +150円

本郷  650円   無料(ただし背脂少ない。) +100円



最後に湯島天神に寄って、

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雨が降る前に帰宅しました ヾ(@^(∞)^@)ノ
縁結び神社として有名な今戸神社に行ってきました ヾ(@^(∞)^@)ノ

良縁祈願が目的ではなく、ただの散歩です。

今戸神社は、招き猫発祥の地として、また、沖田総司終焉の地としても有名ですね。

といっても沖田総司がどんな死に方をしたのか僕は詳しくは知らないんですが(肺結核らしいですけど) あせる

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女性が多いっ!!

男女比の違いにちょっとびっくりでした。

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そして良縁を願う人たち、てか、ほとんど女性が書いたものでしたが、これも絵馬といっていいんでしょうか? 絵猫みたいなものが鈴なり キティちゃん

さらに、

なで猫
 なぎ君(ブチ)
 なみちゃん を
ケータイの待受けにすると
良いことが……みたい!!


と書かれてあったので、写真に撮ってきました。

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この写真、僕は著作権を行使しませんので、ご自由にお使いください。

いいことあるといいですね 音譜

今日のスカイツリー。

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隅田川沿いを歩いていたら、少年たちが野球の練習をしていました。

僕の前にボールがころがってきたので、ひろって、

「ありがとうございます!」

という少年に向けて投げたところ、、、

・・・

・・・

ごめん、

少年の捕れないところにいってしまった……。

これには打ちのめされました。

確かに爪がのびてたのでうまくコントロールできなかった、と苦しい言い訳もできる……。

そういえばもう何年もボールを投げてない、というのも事実です。

でもねぇ、、、ぼかぁ、小学1年生のとき、野球選手になりたくて壁に向かって毎日ピッチングの練習してたくらいなんですよ。

地区対抗の野球大会にもでてたしねぇ…。

それが……。

僕はうつむいて少年たちの練習場を後にしました。

こうなると行くところは、、、

と、かなり前フリが強引な気もしますが、、、

「五十番」しかないでしょ о(ж>▽<)y ☆

「五十番」は王貞治氏の御実家のお店だったことで知られていますね。

野球の練習を終えた王少年はいつも「五十番」で肉そばを食べていたんだそうです。

ちなみに「五十番」の肉そばは野菜が多いことでも有名です ( ´艸`)

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久しぶりに隅田川をわたりました。

スカイツリー、でかっ え゛!

ところが、、、

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「五十番」は本日おやすみ 泣

しかたないんでこの後、地下鉄で銀座に向かい、いつもの末廣で「玄海こってり大盛り」を食してきました。<過去記事はこちら。>

駅に向かう途中、

まじ、かわいいFIATが キャハハ

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それぞれ好きなクルマに乗ればいいと思いますが、これを見た瞬間、僕の嫁さんとか彼女にはこーゆーのに乗ってほしい、と思ったくらいです。

銀座線の車中、神田に着いたら、となりに座っていたおじさんが、

なんだかんだ、

と言った。

そのお連れの方は無視。

おじさんは、すべったのを理解しつつも引っ込みがつかないのか、

なんだかんだ、

なんだかんだ、


と繰り返す、

という、あー、はやく次の駅に着けばこの人も楽になるだろーに、

と思ってました。
羽二重団子が食べたくなったので、出先から、かなり遠回りをしていってきました。


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お団子が特に好きなわけではないのですが、羽二重団子だけは別です。

「焼き」と「飴」の二種類があり、僕は「焼き」が大好物。

受験勉強時、商標法第3条関係のレジュメにも例としてあがっていましたが、羽二重団子は商標の例ではなく、うまいものの例にあげるべきだと思ってました。


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香ばしいにおい、なんともいえぬうまさ。

もっちりで入って、あっさりと抜けていく食感。

四粒一串、四串の簡易包装で1050円は、安いとはいえないかもしれないけど、高くはないと思います。

店内でも、小さいけれど情趣豊かな庭を眺めながら、お茶や抹茶とセットで食べることができます。

お店は寛永寺谷中霊園のそばなので、墓参の帰りに寄る方も多いです。
上野動物園の「当面」「閉園」はわりとはやく解除されましたね。

今日も先週に続き、上野に行ってきました。

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桜、そろそろ見ごろです。

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動物園は人が多く、

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入場後、すぐに、

「パンダの列の最後尾はゾウの付近です」

というアナウンスが聞こえました。

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でも20分も並ばないうちに観覧できましたよ。

ジャイアントパンダの観覧入り口では、

(1)お子様のみのご観覧(小学生以下) お体の不自由な方と付き添いの方

(2)お子様と一緒にご観覧される方

(3)大人の方のみの観覧(中学生以上)

の3列に分けられ、(1)はパンダに一番近い通路、(2)は次に近い通路、(3)は最も遠い通路を進むことになります。

こんな差別は不当だっっっ!!!

と騒ぐ大人の方はいらっしゃらず、列はスムーズに消化されてました。

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オスのなんとか君。

そして、

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メスのなんとかちゃん。(←名前くらい調べて書け、ですよねぇ…。すみません。)

もう1枚写真をとりたくて微妙に後ずさりしたら、

立ち止まらないでください、

と阻止されました。

ごめんなさい (-"-;A

「エリよりかわいいじゃん」

と男が女に笑いかけ、女が男の頭を軽くこづく光景も見られ、満足でした。

猫耳ではなくパンダ耳をつけているカップルもいましたが、仲がいいことは素晴らしいですね(←揶揄しているのではない)。

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昨夜、トラと冒険する夢を見たので(←まるで子供ですね…)、今日はトラ(スマトラトラ)を見るのも楽しみにしていました。

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インドライオンと目があって数十秒そのままでした。

上はすでに目をそらした後の写真ですが。

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サル山を見ると、太宰治の小説を思い出すんですが、この連想が強い人って、どれくらいいるんでしょうか?

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バクの毛づや、よく見えました。

この後、後ろを振り返って、驚くほどはやく、勢いのよい放尿。

僕の右3~4人くらいの方の悲鳴が聞こえました。

トラもすばやく小用をたしてましたが、動物ってそんなものなんですかね。

ゆっくりしてるとよろしくないのかな。

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オオアリクイは長い舌で容器の中の食事をたいらげてました。

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そしてカバくん。

なんとなくカバ、好きなんですけど。

レッサーパンダの前で、

ジャイアントパンダよりかわいい!!

という声をたくさん聞きました。

かわいさだけなら、断然レッサーパンダですよね。

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動物園を後にし、上野東照宮の参道を歩くといいにおいが。

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上野東照宮は現在工事中で、かわりに写真がはってありました(笑)。

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お花見をする人々。

花見って、桜を愛で、生きていることを楽しみ、たとえば友と時間を共有することをよろこぶ行事であるわけで、そんな時の中にいる人を見るのは、とても気持ちいいです。

自粛、なんだから、それぞれが花見をするかどうか決めればいいだけですよね。

行政には、自粛とはいえなくなるような措置をしないでもらいたい、と個人的には思います。

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パンダそうめん、というものがあるらしいですが、どんなものなんでしょう?

食べてみたいという気にならなかったです…。

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駅には、上野駅限定らしいパンダクロワッサンがありましたが、、、

みんなこれを食べたいと思うんですか…?

しかし、とにかく、、、

次回、上野にきたときはパンダそうめんとパンダクロワッサンのリポートを書きたいと思います。

今日は楽しかったです ヾ(@°▽°@)ノ
まだちょっと疼くけど、深夜激痛で目が覚めることはなくなりました。

2週間近く、まじ痛かった。

手術後、骨が露出した状態で歯茎が形成されていると説明を受けました。

前回と違う医師が手術をしたのだけど、あまり器用な方ではなかったみたいで、頬の裏側もひどく傷ついていたし、仕事が忙しい時期だったら大変でした。

毎年年度末は忙しいのですが、今年は手持ちをさっさと片付けてしまい、所長が僕に仕事を押し付ける数時間前に手術の日程を決めたので、所長には

申し訳ないですけど、

とはっきり言って逃げました。



ようやく体調が回復してきたので、今日はふらふらしたくて仕方がなく、上野を散歩してきました。

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上野駅中央口におかれた桜とバンダ。

中央通りをわたると人だかり。

選挙運動をしていたのだと思われる東国原氏が貸切(?)タクシーに乗って走り去るところでした。

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地震がなければ今ごろパンダで賑わっていたはずの上野動物園。

「当面」「閉園」だそうです。

今年はカバ来日100年にも当たるのだそうで、僕も行くつもりでいたんですが。

国立博物館も国立科学博物館もやってません。

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科学博物館のくじらの像、眼がこわいんだよね、いつも思うけど。

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上野大仏。

関東大震災等の被害を受け、また胴は第2次世界大戦の金属供出令で供出され、面だけが寛永寺に残っています。

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海老名香葉子さんが建立した「時忘れじの塔」。

忘れじ、の対象は東京大空襲です。

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「春風やまりを投げたき草の原」と刻まれた子規の句碑。

子規の野球好きは有名ですが、「打者」、「走者」、「直球」などの用語は子規の訳なんだとか。

子規は野球殿堂入りもしてますね。

もし子規が今の日本の自粛風景を見たらなんというでしょう。

電力の関係もあるから、なんですが、もし時流にしたがっただけの自粛なら、形式的で心の伴わない自粛なら、

楽しめばいいじゃないか。

そう言いそうな気がします。

競馬についても、こんなときに開催するのはどうかとは思うが、と断ってみたり、そもそも競馬は戦後の復興支援のために行われたものだからこういうときにこそ開催しなければならない、と、なんだかこじつけとも思える理屈をふりまわしてみたり、、、する人が多いですが、、、

はっきり言えばいいじゃん。

競馬をやりたいんだよっ!

または、

競馬をやってもらわなければ、生活面で困るんだ。

それでいいと思う。

愛情を装った無関心を示すより、普通に生活したり、楽しんだりする方が人として健全じゃないのかな、シンパシーがあれば。

今回はたまたま自分が大きな被害にあわなかっただけ。

そして地震や津波とは無関係に、この瞬間もどこかで誰かの命の火が消えている。

結局誰の生も、死を内包しながら継続している。

そういう人間としての共感や連帯感があれば、それぞれがそれぞれの今を楽しむことにどうして疚しさを感じる必要があるだろう、

と僕は思う。

加えて、だいたい他人の身の上に完全に自分をおくことなどできはしない。

被災地の人たちに対し、低質な同情をしてほしくないんだよね。

自分に共感や連帯感をもってくれている、そう思える相手なら、相手が自分を忘れたように見えるときにも、相手を好意的に信じられる。

そういう心情がが多くの人に共有されるとき、社会は明るくあたたかくなるんだと思う。


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両大師さまで甘茶をいただいて帰りました。