行き詰まった人生に気づきを得るためのブログ

行き詰まった人生に気づきを得るためのブログ

いろいろな出来事が起こり、行き詰まってしまう人生の曲がり角には考えることがたくさんあります。でもそれは飛躍の時かもしれません。明日への飛躍のために一緒に考えましょう。

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コロナ騒動で職員の出勤ができなくなり、自宅でテレワークです。

なので、事実上、すべての営みは非常事体制となり、パワハラを受けた後輩の復権問題も棚上げと

なってしまいました。

 

しかしこれは、もしかしたら起こるべくして同期している(シンクロしている)のかなと思っています。

 

いずれにしろ、パワハラ被害者の後輩にとっては、少し時間をおいて(職場からも物理的に離れて)

考えることのできる時間なのではないかと思っています。「この先自分は職場でどう生きていくのか、

異動の話を受け入れるのか、それとも抵抗するのか」。本来、人事異動は断ることは難しいのですが、

これまでの会社側の不誠実を考えれば、彼女の抵抗には根拠があることになります。つまりは、断る

ことができるわけです。

しかし、そうして残った職場が居心地がいいかどうかは別問題です。

このまま問題提起者として闘い続けることが幸せなのか……。相手は組織という、個人を超えたものである

だけに、必ずしも誠実に対応してくれるわけではありません。

望んでいる「事が成る」かどうかは、正直、わかりません。

そんなことを考えると、自分の幸せを第一に考えなければならない時期なのではないかと、支援者である

私も考えてしまうわけです。そしてそのことを考えるためにコロナ騒動という時間が与えられたのではないか、と。

 

5月の連休明けにどういう状況が待っているのか。

誰もわからないその未来に、ほのかに期待をしています。

 

 

 

 

 

思わぬコロナ禍の展開でいろいろなことがストップしました。

先週からテレワークとなり、いろいろとドタバタの対応となっています。

ですので、来週も自宅勤務が続きます。

 

しかし、

これももしかしたら良いことかもしれません。じっくりと考えることができます。自分の人生の曲がり角に、世界も同調しているような気がします。「過去を振り返らずに新たなステージに行け!」と言われてる気がします。

 

とはいえ、今回のパワハラ事件であらわになった組織的退廃をなんとかしたいと思っていますので、職場が再開した段階で再度問題提起をするつもりです。そして、最終的にはそれをすべて公開するつもりです。

 

元朝日記者の烏賀陽弘道さんの動画を拝見

 

実は、この自宅勤務の間にYouTubeで元朝日新聞の記者・「アエラ」の記者だった烏賀陽弘道(うがやひろみち)さんの3年前の動画を見ました。その中で烏賀陽氏が語っている「アエラ」をやめた動機がすごく今の職場の現場とよく似ているので、「どこの世界にもありがちな物語」だとちょっと驚きました。

 

烏賀陽氏によると、一時は30万部だった「アエラ」が部数減で手抜きが始まったのだそうです。あと一手間かければ記事のクオリティが完成するというところで、その一手間をかけることができなくなったのだそうです。烏賀陽氏は「時間が厳しい」「仕事がきつい」ことが嫌なのではなく、記者が減り、人が減ったせいで、その一手間二手間をかけないという編集方針になったのが嫌だったそうです。

 かつてはおもしろがってくれた自分の企画が通らなくなったと言います。自分が変わったのではなく、「アエラ」編集部が変わってしまい、もう自分のいるところではなくなった、と。それが朝日新聞社を辞める理由だったそうです。

 なんか、似てます。

 

コストカットが招いた職場の崩壊

 

取材費もどんどん削られて、はては「東京で取材できる記事にしろ」と言われたそうです。それで編集長が選んだテーマが「女性の活躍」と「介護問題」。烏賀陽氏は、そのテーマ設定は決して間違っていたわけではない。しかし、それが一度当たると似たテーマばかりを続けることとなり、結局、そうしたテーマをやる人間しか残らなくなった。それで雑誌がどんどんつまらなくなったということです。

 

売り上げが減るとどこの職場もこんな感じになります。

そうやって目先のコストカットに振り回されると、本来の商品価値がどんどん劣化してしまい、結果、売り上げ減。

悪循環に入ってしまうのです。

まさに私の職場が辿っている道ですね。

 

 

 烏賀陽氏は、真のジャーナリストはどこまでも中立的な立場で「事実」を検証し、その事実の判断は読者に委ねるというのが主義主張です。その点では、右も左も「フェイクニュース」を流している日本のジャーナリズムの現状に批判的です。原発の問題でもずっと継続取材をしています。最近では『フェイクニュースの見分け方』という本を出しました。

 

今私の職場で起こっている路線闘争。実は、後輩に対するパワハラの背景には、何が何でもコストカットという思考があります。そのためには、商品価値を下げても構わないのだという考え方です。少なくとも、価値ある情報を読者に届けたいという編集者と、とりあえず誌面を作ればいいというサラリーマン編集者との違いというか。残念ながらこれはその人の持つ職業観の本質に属する問題なので、理解し合うのは難しいかもしれませんね。

 

行き詰まりと向き合う

 

このブログの表題は、「行き詰まった人生に気づきを与える」こと。

行き詰まりとは、八方塞がりということです。

どこにも出口がないように見えるということです。

それは、今の自分の人生であり、また会社そのものです。

会社に関して言えば、

経営が行き詰まって赤字となったということと、

職場環境が悪化して無法やパワハラが横行し、しかもそれが清算されず、

職員のやる気が失われるということは並行関係にあるわけです。

サイコパスの登場というのも、そういう人が登場してくることを

許してしまった職場の無責任があり、それは経営の無責任とも一体なのだと思います。

つまり、職員の心の有り様が反映されていると思います。

心がこれでは革新が起こらず、八方塞がりです。

しかし、

こうした行き詰まりをどう打破していくかは、会社の将来を決定します。

見ないことにするのか、それとも向き合うのか。

 

なので、会社のことを考えるということは、

つまりは、そこから抜け出す自分のことを考えるのと同じこと。

自分の行き詰まりとどう向き合い、この八方塞がりをどう打破するかを考えるということ。

 

こう考えると、このブログでパワハラ・サイコパス・社内いじめについて一生懸命書いているのも、

実は、自分の問題と重ねて書いているということに気づきます。

八方塞がりの職場環境から抜け出すことは、自分の八方塞がりの人生環境から

抜け出すことでもありますから。

 

いま、それを考えながら書いています。

 

何度も引用しますが、田坂広志先生の『すべては導かれている』(小学館)という書名。

自分が直面する問題すべてを、覚悟を持って受け止めるように先生は諭します。

それは田坂先生が30数年前、現代医学では治療不可能と言われた難病に侵された

時に得た、一つの覚悟です。「この病を受け止める」、しかし人生を投げはしない、という覚悟。

その覚悟を得た時に、不思議にも人生は開けてきたと田坂先生は証言します。

問題を引き受けた時に、逆に問題から解放される道が開かれたという逆説……。

ちなみに、本書は宗教書ではないので、このような展開を田坂先生は人生の不思議として語っています。

人生には、そういう不思議なことが起こるのだ、と。

 

もちろん、先生は成功というのは人生では保障されていないと言います。

必ず逆転が起こるとは限らない、と。

しかし、それでも起こることがある、それは自分の成長である、人生に成功は保障されていないが、

成長は保障されている、と。成長があれば、経験したことは無駄ではないのだ、と。

確かに、

「すべては導かれている」と告白するには、一つの覚悟が必要です。

自分がそれを引き受けるという覚悟であり、全力を尽くすという覚悟です。

後輩の救済に力を尽くすということもその一つです。

 

それはまた、自分が直面する人生の壁に挑戦するということでもあるかと思います。

 

こんなことを考えながら、今、明日からの職場の心備えをしています。

 

 

 

 

『劣化するオッサン社会の処方箋』を読んで執筆者・山口周氏への手紙

 

この本を読み、自分の属する職場の問題と重なることが多いため、執筆者の山口先生へ手紙を書きました。

以下です。(読みやすくするため、見出しを挿入しました。)

本の内容は、社会や会社の中堅を担うオッサン(中年男性)が劣化しているということで、まさにわが会社で起こっていることです。

 

以下、山口氏への手紙

 

ーーーー

初めてお便りを差し上げます。

 お忙しいところ恐縮ですが、『劣化するオッサン社会の処方箋』を読み、自分の置かれた環境に酷似していることから、感想をお送りする次第です。「似ている」とは、自分個人の状況と会社の状況の双方が、です。自分個人の状況とは、会社人間として生きて来た自分が今向き合いつつある課題がまったく本書で述べられている通りだからです。また会社の状況とは、オッサン化した会社が私の後輩の職員に対してパワハラを行い、私が組合に訴えて告発して勝利を得たのですが、いまだ完全勝利とは言えず、あらためて会社と職員、リーダーの劣化が見えてきたからです。こんなことが全国いろいろな場所で行われているのかと思うと、日本の将来を危ぶんでしまいます。

 

先生のご専門にも関係するので、少し詳しく説明します。

 

 私は現在中規模の出版社で書籍編集に従事しております。それまで果たしてきた自分の責任を退くにあたり、後輩の女性編集者を管理職として推薦しました。一口で言えば、やり手の編集者です。私同様、転職組みです。仕事の指導は厳しいものがあります。しかし、それだけに編集の活性化に能力をいかんなく発揮し、新人の育成にも目を見張るものがありました。

 

 パワハラというのは、この女性に対して上司である部長が行ったものです。私はこの女性を後任の現場責任者として推薦しましたが、部長がそれを拒否。平の職員のままで現場責任を負わせるという、異例の人事を行いました。理由はさしたることではなく、おそらく、鼻っ柱が強いやり手の女性が大っ嫌いということだと私は思っています。なにしろ、部長は彼女の仕事の内容をほとんど知りませんから、(つまり、現場をまかせっきり)理由として考えられるのはその程度のことです。端的に言うと、地位は与えずに(職権も)、責任だけを負わせたということです。

 この上司は現場を知らずに総務畑から現場の部長になった人間です。人望がないくせに人に取り入る知恵はたけていて、経営者を幻惑させて今の地位につきました。まさに、三流の人間が三流の人間を選んだわけで、会社の劣化はここから始まったと言っても過言ではありません。そして、案の定、この三流部長が部署をめちゃくちゃにして経営を混乱させ、挙げ句の果てにパワハラ事件を起こし、しかも組合から訴えられて事実を認めざるをえなくなって処分され、最後には退任するという前代未聞の状況となりました。

 ところが、会社にとってさらに不幸だったことは、本来ならこの部長を阻止して会社の健全経営に責任を負うべき部下の管理職が、この部長の取り巻きになってしまったことです。そのために、部長がいなくなったのに悪弊がそのまま温存されています。

 

パワハラの経緯。違法命令

 

 参考までに、パワハラの経緯をお伝えします。

 先ほど述べたように、女性後輩は昇進を拒否されたので管理職ではありません。したがって残業が発生します。実質的には現場責任者ですので、緊急時の対応はすべて彼女がします。そのせいもあって残業が36協定(労働者と経営者との間で取り交わされている残業の上限)を越えました。それが部長の怒りを買ったわけです。なぜなら、部長が管理責任を問われるからです。管理職にせずに、職員に重責を押し付けた上、それによって発生する残業の責任まで「お前の仕事のやり方が悪いからだ」と言って押し付けたわけです。

 具体的には、彼女を呼びつけて残業を非難し、自己努力で残業を減らせ(つまりはサービス残業をせよ)と命令し、命令に反する場合は「処分する」と再三にわたって脅しました。「会社としては(実際は自分が)、社労士から君の残業が36協定違反であると指摘されて困っている。自己責任で月の残業を今より40時間減らせ。これは命令であるから、従わない場合は処分する」と述べました。

 実は、私もその席に同席していたので、確かにそれを聞きました。

 もちろん、ただちに抗議しました。「36協定は労働者の権利であり、それを守る義務を経営者・管理職に負わせているのだ。権利の主体である労働者に向かって、その権利を守らないから罰するとは何事か。そもそも、36協定順守義務を負っているのはあなたではないか。あなたが彼女の過剰な仕事を割り振って、しかもそれに見合う地位を与えていないのではないか。今から社労士のところに行って、その言い分が通るかどうか聞いてみよう。いや、労働基準監督署に行って争ってもいいが、どうするか」と。

 

違法命令後も続いたパワハラ

 

 そこまで聞いて部長は何も言い返せずに沈黙しました。そこで、結局私が仲介して、彼女の負担を軽減するために仕事を他の職員に部長が責任をもって配分するという案で決着させました。ところが、その約束が知らぬ間に白紙にされていたばかりか、部長の管轄下にある管理職を臨時に招集して彼女を呼び出し、居並ぶ管理職の中で再び彼女の残業を非難しました。それを抑止すべき管理職は何も言わなかったそうです。言わなかったばかりか、「彼女の仕事のやり方が悪いからだ」との論理に同調したと言います。

 とにかく、この部長は面と向かって反論しても、次々と論点をずらしていき、人を煙に巻いていきます。仕事はできないのに、その点では驚くほどの才能を発揮しました。聞いていて、こちらが感心してしまうほでです。サイコパスではないかと私は疑っています。

 結局、いくらかけあってもラチがあかず、状況はますます悪くなるばかりなので最後に組合に訴え、団交の末に勝利を勝ち取りました。部長は減給処分でした。(その後、もっとひどい乱脈が職場で起こって退任させられましたが、それはずっと後のことです)

 この件で相談した弁護士は、「残業で労働者を罰することはできない、そのできないことをできるかのように語って脅しているということで、パワハラに該当するのではないかと思う」と言いました。月40時間を自己努力で減らせと言われた件を話すと、「月40時間ですか……異常ですね」とも言いました。法定労働時間が1日8時間とすると、40時間は5日分、つまり1週間分の労働時間に相当します。これを減らして今まで通りの仕事をせよ(つまりは、3週間で4週間分の仕事をせよということ)と言われたら、どんな労働者でも目の前が真っ暗になるでしょう。

 

事なかれ主義のまん延

 

 この部長は劣化の最たるものですが、取り巻きの事なかれ主義、および彼を選んだ会社の上層部の人物を見る目のなさも劣化の結果です。今は、私は、彼女の復権のため、会社の正常化のために最後の闘いをしようと思っているところです。唯一の慰めは、この騒動を通して職員の中に理解者が増えたことです。最初は誰も関心を払ってくれませんでした。しかし、みんな、明日は我が身と思いはじまてくれました。人権、労働者の権利が保障されないところでは、安心がありません。権力のある(職権のある)者の恣意的な考えで下の人間を支配されては困ります。

 

 というのが、この本を読んでいる私の置かれた現在の職場環境です。組織の劣化、著しいものがあります。それと、私も彼女も転職組みでここでのやり方がすべてとは思っていません。ところが、部長始め他の管理職のほとんどは「生え抜き組み」で、この組織しか知りません。彼女の才能を理解して会社・職場の利益のために最大化するという発想はなく、異端児は排除したいという思いが透けて見えます。これでは、この組織自体が硬直化して淘汰されていくのではないかと思っています。

 

ーーーーーー

以上が、著者の山口氏への手紙です。

多少、経過ははしょってありますが、今現在も続いている私の職場の状況です。

この手紙には書いてありませんが、部長が彼女を窓際に追いやったまま(つまりは現場責任をはずした)で、仕事が干されている状況が続いています。さて、どうして彼女の人生を取り戻すことができるか。先輩としては、なんとかしたいと思っていますが、私自身には、今は職務権限がないことなので、どこまでできるか思案しているところです。

 

 

 

ポレポレ東中野でドキュメント映画「愛国者に気をつけろ」を観ました。

上映のあと、鈴木邦男さんと松本麗華さん、監督の中村真夕監督の3人による

トークショーがありました。

 

鈴木邦男さんとは、昨年、田中美津さんのトークショーでお目にかかって以来2度目でした。

 

ずっと以前から鈴木邦男さんには注目していました。本も読みました。

 

右翼団体「一水会」の設立者。赤尾敏の薫陶を受け、三島由紀夫と一緒に自決した森田必勝の

大学時代の先輩。野村秋介に傾倒していたと言います。ある意味、戦後右翼運動の生き証人です。

 

でも、いつからか、その存在が際立って聞こえてきました。右翼・左翼や政治信条、思想の違いを

超えて非常に多彩な人間関係を持ち、既成の概念を超える「本当の右翼」として。書籍を読んでいても、

人間的な魅力を感じる人とは立場を超えて対話ができ、しかも相手の考えのすぐれたところは

どんどん自分に取り入れていきます。そして友人になっていきます。

 

結局、右翼・左翼に関係なく、人の話を聞かない、自分だけの正義にこだわって対話が成り立たない

人が多くいます。発展性も包摂性もない。しかし鈴木さんは違う。

 

そのことは、美津さんとのトークショーでも感じました。その時のトークショーではジャーナリストの

竹信三恵子さんと3人のトークショーでした。美津さんも竹信さんも、女性の立場から日本社会の生きづらさ

を訴えてきた人。片や鈴木さんは右翼という男性原理が強い活動家出身。話がどう展開するか心配して

いましたが、杞憂でした。

 

鈴木さんが偉いのは、自分が知らないことを聞いた時に、身を乗り出して「ほう〜! そうなのですか!」と

全身で聞くこと。知らないことを恥ずかしく思わないばかりか、知ったことを喜んでいました。そして、

自分の考えもどんどん変えていくわけです。すごく柔軟な人でした。ですから、相手の人柄を信頼し、その

相手が言うことに対しては自分も心を開いていくのです。

そしてそうした鈴木さんの姿勢に皆魅かれて、周りに支援者が集まってくるのです。

独身の独居老人の定番は「孤独でひとりぼっち」ですが、鈴木さんの周りにはいろんな人がいました。

 

活動家と呼ばれる人たち、主義主張を叫ぶ人たちの多くは真逆です。人の言うことを聞かない、聞いても

すぐに「でもね」と言って遮ります。そして自分の知識の中で戦おうとします。

鈴木さんの人間的力量が違います。

 

今回のトークショーの相手である松本麗華さんはオウムの松本死刑囚の娘さん。誰もが関わることを

嫌がるその人を、「自分の娘」のように思って鈴木さんは支援しているとのこと。世間が彼女を排除する

ことにすごく怒っていました。

 

「集団や国家が暴走するのは自分たちが絶対正しいと思うからだ」

「国家が政治思想を持つことには反対」

「意見が違う人、考えが違う人、色々な人たちと話したい」

 

印象深い言葉が続いた映画でした。しかし、初めて知ったけれども、その生活が質素なこと!

古いアパートの1室で質素に暮らしている鈴木さんの人生に驚きました。

 

 

パワハラを受けた後輩の復権。

それを訴え続けています。

会社のコンプライアンス不在は明瞭なので、その無責任を訴えています。

質問状を出したり、組合に相談したり、と。すでに職場で3人が精神的ストレスによる

「適応障害」で休職を経験し、1人は退職、1人は復職、1人は現在病気療養中です。

会社が組織の健康をないがしろにした結果が、現実に職員の健康被害となりました。

それを訴えて改めさせなければ、同じような被害が続発します。

後輩もその予備軍です。

 

先日、

その後輩と話し合った時、彼女は、人事異動の話(昨年暮れに、内示があった。でも、

パワハラの後始末がなされていないことを理由に返事を保留している)を受けるかどうかの

期限を3月までと語りました。それ以上は、ストレスで心と体がもたないという理由です。

でも、受けるにしても「納得がほしい」と言っていました。納得とは、なぜ頑張って成績を

伸ばした自分が左遷されたのか(残業が多いという理由でしたが、管理職が彼女の負担軽減を

せず、仕事の内容は減らさないために残業が減らなかった)本当の理由を知りたい、と。

 

経済の低成長下で職員の新規採用を控えてきた会社では、個々の職員の負担が増え続けて

きました。残業が多くなりました。ところがここにきて「働き方改革」の政府方針を受けて

会社の顧問社労士からは「残業を減らせ」との要求が出されるようになりました。

具体的には、36協定順守の徹底です。

それは残業代をカットしたい会社の方針とも合致し、現場に、「残業はするな」「人は増やせない」

「仕事は今まで通りやれ」という、無茶苦茶な指導がされるようになりました。後輩へのパワハラの原因も、

「仕事は今まで通り。でも残業は月40時間自己努力で減らせ」という上司の法外な要求によります。

 

とにかく、後輩の健康を心配しながら、なんとか元の仕事に復帰させてあげたいと考えています。

 

 

障害者の友人が突然亡くなりました。

 

 平日の夕方、会社に知人から連絡があり、突然「◯◯ちゃんが亡くなった」と。「えっ? どういうこと」と驚きました。病気だとは聞いていなかったからです。

 

 亡くなったのは脳性麻痺の障害者の女性。お母さんと二人暮らし。日常生活は介助者の手を借りてしています。その日も泊まりの介助者がおり、熱っぽかったので朝7時に熱を測ったそうです。その後眠ったようなので次の介助者が来るまで少し離れて見守っていました。しかし、次の介助者が来ても一向に起きてこないのでおかしいなと思って確認したところ、すでに心肺停止状態だったそうです。慌てて応急処置をし、救急車を呼びましたが、そのまま帰らぬ人となりました。

 東京都の条例によって、このような場合は検視が行われるそうで、遺体解剖が行われました。でも、死因はわからずじまいだそうです。

 

 連絡があった翌日、遺体が家に帰ってきたと聞いたので対面に行きました。笑っているような顔でした。眠ったまま息を引き取ったというので、苦しくはなかったのだなと安心しました。でもその顔を見て私は思わず、「ごめんね」「ごめんね」と謝っていました。最近は疎遠になっていて、彼女がシャンソンのライブをするのにも欠席していたからです。次の機会があると思っていました。でも、こんなことになるのならもっと行ってあげればよかった、「ごめんね」。本当にごめんなさい。

 

 障害者で言葉も体も不自由。でも、シャンソンを歌ってライブをするなんて素敵じゃないですか。言語障害があれば、普通はそんなことを考えません。しかし彼女はプロの先生にお願いして練習をしていたのです。その10回目のライブ開催の3日前のことでした。

 

 思えば、彼女の人生はチャレンジの人生でした。言語障害、肢体不自由、何をするにも介助の手が必要な人でした。でもそれを工夫とがんばりで乗り越えていろいろなことにチャレンジしていました。車椅子スキー、テニス、登山、などなど。さすがに年齢と共に体がさらに動かなくなってきたので次に始めたのがシャンソンでした。たいしたものです。

 ボランティアサークルの合宿で、次年度のリーダーの立候補を募った時、「はい!」と声を上げ、不自由な体で膝立ちした姿を昨日のことのように思い出します。若かった私は、なんとなく障害者は「やってもらう」立場だと思っていました。でも彼女は違った。自分の人生を自分で切り開いていく……そんな人でした。

 その彼女と、もう一人、男の障害者がリーダーとなり、それを支える意味で私を含めて3人の健常者がサブリーダーとなりました。このサークルは、家に閉じこもりがちだった障害者が健常者と対等にやりたいことをやるために作られたサークルで、基本的に障害者主体の活動です。ですから、メンバーは障害者と健常者が混じっていましたが、障害者がリーダーになるのは大歓迎だったのです。定例会の他に準備会が毎週あり、その両方に彼女はリーダーとして常に出席していました。

 サークルでの活動の思い出はたくさんありますが、心に残る印象的なことは彼女の涙でしょうか。お母さんのことを語ると泣き出すのです。ある合宿の時も、私と二人でお母さんのことを語り始めると、涙があとからあとから流れてきました。「お母さんのこと、本当に好きなんだな」とすごく印象深く覚えています。

 

 その彼女が、お母さんより先に逝ってしまいました。でも考えようによっては、お母さんが先に逝って、残される障害者の娘のことを思って苦しむ……という事態ではなかったことがよかったのかもしれない、とも思います。

 わがままだったけどチャーミング、わりと奔放、強気だけど涙もろい、はたに迷惑もかけるけど愛される……そういう人でした。二人がリーダーですから、その息が合わないとダメです。準備会の帰り、もう一人の相方の男性リーダーのぼやき(もちろん、彼女についてのぼやき)を聞きながら自宅まで送るのが私の役目でもありました。

  

 お通夜のあと、仲良しだった仲間だけで場所を変えて語り合いました。若くして逝ってしまった仲間を惜しんで。

 

朝が来ない夜はない

 

合唱をやってます。

合唱と言ってもクラシックではなくて、ポップス。

本番ではバンドの伴奏で結構な数の曲を歌い切ります。

しかも今年は結構難しい。

SPAIN,  Four Brothers,   I'll Never Fall In Love Again……難しいです。

 

 その合唱の練習に久しぶりに参加した友人に、「最近どう?」と聞くと、元気なげに「練習に来てしまえば楽しいんだけど、なかなか来る気になれないんだよ」との答えでした。

 「どうしたの?」と聞くと、会社から給料が下がるという通告を受けたばかりだとのこと。しかも彼が作り上げた組織が解体されそうだというのです。そんなこんなで元気がなく、楽譜を見る意欲も起こらないんだとか。その上、自転車で事故を起こして(自損事故というか、転んで怪我をした)しまったとか。泣きっ面にハチというやつです。

 

 自分が作り上げたものが他人のせいでどんどんダメになっていく。自分は必要とされなくなっていく……。誰もが経験することです。

 

人生、行き詰まるということがある。

 私の友人の奥さんが今、難しい手術をしたばかりです。術後は検査が続き、今後の治療方針が決まります。その大事な矢先、というか前日、施設に入ってるお母さんが転倒して骨を砕いて緊急手術となりました。幸いこちらの手術も成功してなんとかなりましたが、今後は妻と母の入院生活を支えないといけません。

 

 まさにニッチもサッチもいかない状況に追い込まれています。

 

 深刻度は違えど、自分にも覚えがあります。

 でも考えてみると、このブログで何度も紹介した佐々木常夫さんも40億円借金した湯澤剛さんも、諦めなかった。

 佐々木さんは何度も夜中に叫び出したい困難に追い込まれました。湯澤さんなどは、鉄道自殺の一歩手前まで行きました。それも、本人は自殺したいという思いが一つもないのに、体が吸い込まれるように動こうとしたと言います。

 

 しかし今、二人とも「こんな日が来るとは思わなかった」と振り返っています。

 「こんな日が」とは、この二人が言うのは、成功したとか、大金持ちになったとかということではありません。ごく普通のささやかなことが、ごく普通に楽しめるようになった。「平凡なことが、どうしてこんなに表現できないほどの無上な幸福感につながるのでしょう」(佐々木常夫氏)ということです。友人と私の例で言えば、歌を歌うという単純なことが、単純なまま心から喜べるようになったということでしょうか。

 

 湯澤剛さんのあとがき。

 「辛いことがあるたびに、妻と『これも乗り越えられたら、いつか本が書けちゃうかもね』、そう軽口を言っては空元気を出していた日々があります。今、その本を書き終え、みなさんが読んでくださったことで、苦しかったあの日々が成仏していくような気がします」

 「この先何があっても『必ず何とかなる』と信じている。主体的に生きること、それが道を拓く。『朝の来ない夜はない」このたったひとつの信念が、これからも私の支えになっていくだろう」

 「もう一度、立ち上がってみませんか。『もうこれ以上はとても無理だ、もう終わりだ、死んだほうがいい……』そう思っていても、もう一度だけ、立ち上がってみませんか。私は『朝の来ない夜はない』と、これ以上なく信じています」

 

 

 

 

 

 

 

 「一月万冊」の清水有高さんの動画を見て思ったこと。

 

 一昨年より、親しい人の自殺、会社の社員の裏切り行為、メディアでのバッシングによって

うつ病となってしまった清水有高さん。久しぶりの動画配信を見て、「ああ、元気になってきた

な」と応援していました。その動画の中で清水さんが語ったこと。

うつの中で「俺はがんばりたいんだ」と真剣に思っていた。でもそれは嘘の目標だった。

本心は「俺は休みたいんだ」だった。

 

カメラが趣味で、自分が持っているカメラの上位機種が出てすごく欲しくなった。

「欲しい!」「欲しい!」「欲しい!」……お金があるので40万近いカメラを買うことに問題はなかった。

でもある時気がついた。お気に入りのカメラはすでに持っている。なんでまだ欲しいんだろう、と。

それでわかったこと。「俺はカメラが欲しいんじゃなくて、その高いカメラを買うことができる元気な

俺、というストーリーが欲しかったんだ」ということ。それに気がついたらカメラが欲しくなくなった、と。

人生には、恋愛でも仕事でも、欲求が満たされないことが多い。人はその時、代償のようにして欲求を

すり替えていく。つまり、かなわなかった欲求の代わりに、すぐにかなえられる別の欲求で穴埋めする。

それを無意識にしてしまう。そうしたことを繰り返すうちに、本当の欲求 want to がわからなくなっていく、と。

 

ゴールが実現しないと言う人は、そのゴールが自分が本心で求めているゴールではないのではないか。

 

と、こんなことを清水さんは語っています。

「現状の外にゴールを設定せよ」と私たちは教えられてきました。しかしそのゴール、本当にゴールなの?

アファメーションをいくらしても、間違ったゴールで、自分が本心望んでいないもならそれは

実現しないし、自分を破壊することになるよ、ということでした。自分の願っていることだと思い込んでいる

偽りの願いに振り回されてはいけない……自戒を込めて、実は自分はどうかと思わされています。

 

そのゴールって、実は誘導されたものじゃないの?

 

 

借金40億を返したサラリーマンの話

 

 先日、ある経営コンサルタントの主催したセミナーの動画配信を見る機会がありました。湯澤剛(つよし)という中小企業の経営者がメインスピーカーでした。中小企業の経営者と言っても、並みの人ではありません。湯澤氏には『ある日突然40億もの借金を背負い──それでも人生はなんとかなる』(PHP研究所)の著書があります。その書名のとおり、銀行から返済に80年かかると言われた借金をわずか16年で返した人です。

 

 さっそくその本を取り寄せて読みました。

 

 以下は、その要旨です。特に、「いかにしてこの苦難に立ち向かったか」のポイントだけ記してみました。

 

その前に、

 まず、なぜそんな借金を抱えてしまったのかというとですが、湯澤氏は大手企業のサラリーマンで安定した生活を送っていました。しかしその人生が暗転したのは1999年のこと。中小企業の経営者だった父親が急死してその会社の経営者とならざるを得なくなったからです。父親は神奈川県下に33店舗の飲食店を展開していました。その事業がうまくいかず、借金だけ残して急死してしまったのです。

 湯澤氏は、「もし後をつがなければお母さんが大変な目にあう」と銀行から脅され、社長にならざるを得なかったといいます。もちろん、従業員を見捨てることができなかったということもあります。

 

 とにかくサラリーマンがいきなり社長となり、借金40億円の銀行からの借り入れの返済(月々3163万円)、業者への支払い、職員の給料の支払いなど、金策に走り回る怒涛の日々が始まりました。しかも、現場で次々と起こるトラブル。店鋪の管理がずさんで板前がお金を着服したり、気に入らなければさっさとやめたり……目の前の現実に、ただただ追われる日々だったそうです。

 

 そんな日々が約1年続きました。つまりは目の前の問題に対応する日々。そんな中で、とうとう鉄道に飛び込みそうになってしまいます。そこまで追い込まれて湯澤氏はようやく気がつきました。

 

ポイント1 「覚悟」

 まず、この1年は、親父の借金を押し付けられたという被害者意識で日々発生する事態に対応するだけでした。自分がやるしかないんだという「覚悟」がありませんでした。目の前の応急処置に逃げてしまって、より大きな事柄、すなわち経営の再建という大仕事から目をそらしていた自分に気がつきました。自殺の一歩手前、家族の崩壊の一歩手前まで来てようやくこの覚悟がついたそうです。

 

ポイント2 「起こり得る最悪の事態を具体的に記述してみる」

 それまでは、漠然とした恐怖と不安に支配され、恐れがどんどん肥大化していっていました。それをやめるために、最悪の事態を具体的に紙に書いてみました。つまりは、恐怖の正体を客観的に検証して「破産計画」を作ってみたのです。そうすると、「ただ破産するだけで人生が終わるわけではないこと」がわかり、冷静に物事を見ることができるようになったそうです。

 

ポイント3 「がんばる期間は5年に限定」

 やるだけのことはやって、それでダメなら計画破産に持ち込むことを決心しました。その猶予期間を5年と設定。そしてその5年の間にすることのルールを定めました。

 

ポイント4 「当面の対応策と、根本的な経営再建策を並行して考える」

 ずっと目先の資金繰りとトラブル対応に追われてきました。このままではいつまでたっても同じことを繰り返すと反省し、長期的な体質改善と、トラブルを起こさない根本策を並行して計画する必要を痛感。そしてそれを考えるために日常の業務とは別な場所と時間を確保しました。

 

ポイント5 「1点突破、全面展開」

 経営資源が限られている中小企業にとって、33店鋪全部を一度に改革しようとするのは無理です。まず1店鋪に集中して成功体験を作り、順次他店に広げていくことにしました。

 

ポイント6 「自分の強みに集中する」

 中小企業にとっては持てる人材と能力は限られています。捨てるべきところは捨て、持っている強みに集中していく選択と集中を考えました。ポイント5で戦略的に選んだ1店鋪での失敗を重ねながら(客層を広げようとして、中途半端にメニューやサービスを取り入れて失敗した)、自分の会社の強みとは何かに目覚めていきました。

 

その後の展開と最後の山場

 以上のポイントが回復途上の中期レベルです。その後、軌道に乗り始めた時に狂牛病問題や食中毒、火事など、繰り返される試練があって再びどん底に落ちたりしますが、最初のどん底から這い上がった経験が湯澤氏を支え続けました。

 

 さらに、実は、借金がほぼ完済されそうになった時、それまでとはまったく別の問題が立ち現れてきました。それまでは、ひたすら借金を返して会社を存続させることだけを考えてきた湯澤氏には、本当の意味での経営者マインドがなかったのです。それでは、確かに借金はなくなるかもしれませんが、従業員は付いて来ないという現実をつきつけられるのです。実際には、苦楽を共にしてきた幹部職員が去っていきました。

 

 その話はここでは割愛します。

 

学ぶべきことがあります。

 まず、湯澤氏の会社の年商は20億。借金が40億。それでも立ち直ったということ。

 しかも湯澤氏はサラリーマンで会社経営などはズブの素人だった。

 メンターと呼ばれる、経営を学ぶ師匠もいなかった。

 最初から覚悟ができていたわけではない。覚悟がついたのは、追い込まれたから。

 その覚悟ができたから、再建のプランを作ることができた

 目先の対応と並行して、中長期的なゴールを設定し、そこまでの道筋を考えた。

 失敗も数多く経験したが、その失敗から学んだ。失敗を恐れなかった。

 

 

 最後に、湯澤氏の座右の銘は、月並みですが「朝の来ない夜はない」と「Never Never Never Give Up」だそうです。

 

 自分の人生と比べて、湯澤氏の困難は比較もできません。人生、ここまで行く人がいるのか、そこからなぜ立ち上がれたのか、いろいろと教えられる本です。以前に紹介した、佐々木常夫さんにつながります。二人の共通点は、逃げずに主体的に引き受けたということでしょうか。もちろん、佐々木さんも湯澤さんも自分の経験を絶対化していません。同じような状況の人には、撤退も考えるように、また心を蝕まれるよりは医者にいくように、身を引くようにともアドバイスしています。