思わぬコロナ禍の展開でいろいろなことがストップしました。
先週からテレワークとなり、いろいろとドタバタの対応となっています。
ですので、来週も自宅勤務が続きます。
しかし、
これももしかしたら良いことかもしれません。じっくりと考えることができます。自分の人生の曲がり角に、世界も同調しているような気がします。「過去を振り返らずに新たなステージに行け!」と言われてる気がします。
とはいえ、今回のパワハラ事件であらわになった組織的退廃をなんとかしたいと思っていますので、職場が再開した段階で再度問題提起をするつもりです。そして、最終的にはそれをすべて公開するつもりです。
元朝日記者の烏賀陽弘道さんの動画を拝見
実は、この自宅勤務の間にYouTubeで元朝日新聞の記者・「アエラ」の記者だった烏賀陽弘道(うがやひろみち)さんの3年前の動画を見ました。その中で烏賀陽氏が語っている「アエラ」をやめた動機がすごく今の職場の現場とよく似ているので、「どこの世界にもありがちな物語」だとちょっと驚きました。
烏賀陽氏によると、一時は30万部だった「アエラ」が部数減で手抜きが始まったのだそうです。あと一手間かければ記事のクオリティが完成するというところで、その一手間をかけることができなくなったのだそうです。烏賀陽氏は「時間が厳しい」「仕事がきつい」ことが嫌なのではなく、記者が減り、人が減ったせいで、その一手間二手間をかけないという編集方針になったのが嫌だったそうです。
かつてはおもしろがってくれた自分の企画が通らなくなったと言います。自分が変わったのではなく、「アエラ」編集部が変わってしまい、もう自分のいるところではなくなった、と。それが朝日新聞社を辞める理由だったそうです。
なんか、似てます。
コストカットが招いた職場の崩壊
取材費もどんどん削られて、はては「東京で取材できる記事にしろ」と言われたそうです。それで編集長が選んだテーマが「女性の活躍」と「介護問題」。烏賀陽氏は、そのテーマ設定は決して間違っていたわけではない。しかし、それが一度当たると似たテーマばかりを続けることとなり、結局、そうしたテーマをやる人間しか残らなくなった。それで雑誌がどんどんつまらなくなったということです。
売り上げが減るとどこの職場もこんな感じになります。
そうやって目先のコストカットに振り回されると、本来の商品価値がどんどん劣化してしまい、結果、売り上げ減。
悪循環に入ってしまうのです。
まさに私の職場が辿っている道ですね。
烏賀陽氏は、真のジャーナリストはどこまでも中立的な立場で「事実」を検証し、その事実の判断は読者に委ねるというのが主義主張です。その点では、右も左も「フェイクニュース」を流している日本のジャーナリズムの現状に批判的です。原発の問題でもずっと継続取材をしています。最近では『フェイクニュースの見分け方』という本を出しました。
今私の職場で起こっている路線闘争。実は、後輩に対するパワハラの背景には、何が何でもコストカットという思考があります。そのためには、商品価値を下げても構わないのだという考え方です。少なくとも、価値ある情報を読者に届けたいという編集者と、とりあえず誌面を作ればいいというサラリーマン編集者との違いというか。残念ながらこれはその人の持つ職業観の本質に属する問題なので、理解し合うのは難しいかもしれませんね。