「囲い火蜂。囲い火蜂だとおもうなあ」
あの後。月火と火憐をおとなしく寝かせた後に、両親に気づかれないように家を抜け出し例の学習塾四階に来ていた。なぜか羽川も一緒に来たがったので、一度は火憐の傍にいてやってくれと頼んだのだが。
「人の善意は悪意じゃないんだよ阿良々木君。人が助けてあげたいって言う気持ちも本当に本物なの、そしてその気持ちを疑うのは信用していないことなんだよ。だから体のいい厄介払いをするようならそういう所、戦場ヶ原さんにも言うからね」
本当に恐ろしいまでに僕の身辺を把握してしまった恩人、羽川である。前から思っていたが一体戦場ヶ原とはどんなパワーバランスで成っているのか本人から聞きたい所であるが、藪を突いて大蛇を出す僕ではないのでいつか本人達が言うとしたら聞こうと思った。つまりはヘタレである。だがそこのところは弁解をするならば、彼女らの特性を知った上で聞き出すという行為する剛の者がいたとしたら是非僕に教えてほしい所だ。女性の秘密は鎖ほど硬い、いや難いのだろうから。
人の助けたい気持ちも本物。では人を助けなければならない気持ちは本物なのだろうか。あいつらにも言ったことだが、力だけでは正義ではない。強いこそが正義。だからこそ正義は強い。強いから正義でいられる。だからあいつらはいつまでも偽者なのだ。
正義の偽者。
それは本当に正義かどうか、僕には流石に判別しかねるけれど何かやらかすたびに僕が出張るのは本当に勘弁してほしい。
そういうわけでなぜか二人乗り(この辺に関してはなぜか羽川は容認した。なぜだろうか)で現在に至る。
「それで忍野、その囲い火蜂ってなんなんだ?」
毎度の定型句ながら僕の声は焦っていた。ここまで来るまでに漕いだ自転車の速さも相まって少し休みたい所だけれどそうも行かない。
しでかしたあいつのためにそうもいかない。
そんな忍野はどうにも反応が鈍く、まるで今現在、睡眠中のように目がとろんとしていて、まるで話が届いていないかのようだった。少し考える仕草をして、そしてあくびをする。
「おい、忍野」
「はいはい、聞こえてるよ阿良々木君。ちょっとね、体調が悪くて頭が回らないだけ。今起きるよ」
そういって寝ていた机から身を起こすと吸いもしない煙草をやはり銜える。頭をぼりぼりを搔きながら右目だけで僕を見る忍野は、傍目から見ても元気がない、というより力を使わないようしているように見えた。
「体調が悪いって。お前大丈夫なのか?」
「はっはー。いや阿良々木君から心配されるとは僕も焼きが回った、いや妬きが回らせたって感じかな。いや大丈夫だよ。ちょっとしなくちゃいけないことがあってね。ま、阿良々木君には関係のないことだよ」
「……そうか」
怪異の専門家。妖怪退治のオーソリティー。その忍野が言うならそうなのだろう。僕が口を挟むことではないし、口を挟めることじゃない。
「えーと、そうそう、囲い火蜂だったっけ? また面白い怪異に遭うねえ、阿良々木君は。ああ、違ったか、遭ったのは『でっかい妹』ちゃんだったね。それで囲い火蜂だけれど、囲う火蜂とか囲い火鉢とか火蜂なんてほかの呼び名があるんだけれど、東海地方のほうの伝承でその姿から『ハイバチ』と呼ばれて火鉢を囲うように巣を形成するから『囲う火蜂』と呼ばれる。一番は江戸時代に纏められた『東方乱図鑑』という伝染病、感染病について纏められた絵図なんだけれどね。詠み人知らずなもんだから追跡できないのが残念なんだけれど、それによるといずれも疱瘡や麻疹、水疱瘡や赤痢、コレラの様子が書かれている。その中に火鉢のことが書かれているんだけど、曰く、『触れないハチに刺され全身が火で包まれたよう』と書かれている。恐らく当時は火鉢を囲んでいることが多かったからそれで感染しやすかったんだろうね。それに江戸時代の人達はいずれも栄養が行き渡らないで骸骨みたいな住民が多かったらしい。そりゃあ貿易が盛んな時にそんなんじゃ大流行してばたばた死んじゃうだろうね」
元気がない、と思いきやいつもの長広舌だった、いやむしろ元気になっている……? こいつは話すことで元気がでるのか。
「つまりその伝染病みたいなものをもつ怪異っていことなのか? 随分現実、こちら側らしいっちゃらしいんだが」
「いや。そうじゃないよ。実はその江戸時代がどうのこうのっていうのはあんまり関係がない。もっとさかのぼると、千二百年代の奈良時代、室町時代になるあたりかな、阿良々木君、受験生なんだからしってるよね? そのあたりからも天然痘が流行ったりもしたけれど、当時は原因不明でね。『疫の病』と恐れられて先にいったように触るだけで熱く、数日で死に至った、そういわれている。特に室町幕府の五代将軍足利義量に至っては天然痘にかかって死亡しているんだけど貞成親王の日記「看聞御記」では原因不明とされて、さらにその後も富士川游作『日本疾病史』によると十二回も天然痘の流行がある。もちろん、すべて原因が不明で病人は焼けるように熱かった、とある」
「えっと、つまり怪異自体はその室町時代の伝染病を見立てて『生じた』怪異だっていうことか?」
忍野はいつものにやにや顔を僕に向けて火のついていない煙草を揺らす。本当に喋るのが大好きな奴だ。
「つまりつまり急かすじゃないか、何かいいことでもあったのかい? 阿良々木君」
「今回ばかりは悪いことばかりだ忍野。すまないがお前のその決め台詞を聞いてる場合じゃないんだよ。お前の言う通り、急いでいる」
火憐のためにこんなことをするのは何回目かわからないが、僕はというか僕自体が怪異なのだから怪異であればなんだろうと解決できる。
実態のない物だからこそたとえ実在したところでその解決方法がないということじゃない。
「そんなに急ぐことでもないんだけれどなあ。でっかい妹ちゃん、……『火憐ちゃん』がそんなに心配かい?」
少し言葉を失う。絶句、という奴だった。おかげで少し焦っていた熱が下がるミラクルミスをした覚えはないぞ、こいつなんで知ってやがる。そんな僕の目線に気づいたのか、初めから言うつもりだったのか、煙草でずっと黙っていた羽川を指して、
「ツンデレちゃんとそこの元委員長ちゃんから、ちょっと」
なんだとっ……、羽川にはなにも悪いことは……していない……きがするのにっ! まさかリーク先がこの二人なんて。驚いている僕に羽川は少し曇らせた表情で言う。
「別に隠すことでもないでしょ。阿良々木君は信頼している相手には少し自分のことをはなすことが重要だよ」
なぜかバラされた僕のほうがそんな説教をされてしまう。だから僕が悪いのかとさえ思ってしまう羽川マジック。化かされたかのようだ。猫に。
「羽川、とりあえず、それはあと、」
「阿良々木君」
割り込みされてしまった。
「………はい」
しょうがない。ここは僕が羽川に折れてやろうじゃないか羽川は女の子だしな。男の僕が折れないでどうする。親友の羽川にこんな所で恥をかかせるわけにも行くまい。ははは。
「それで火憐ちゃんの怪異のことなんですけれど」
「…………」
もういいや。戦場ヶ原にも伝わっているならすぐに神原にもつたわるだろう、いいだろうロリコンの汚名を着る勇気。あの激烈変態はどんな反応をするのか逆に見たい気もするし。
忍野はそんなこと全然気にしていないかのように相変わらずにやにや面で僕達を見ていた。
「さっき阿良々木君が行ったとおり、その室町時代の疫病だか伝染病の様子を見立てて『生じた』のが囲い火鉢なんだよ。その当時、『なんて呼ばれていたか流石に僕も分からない』けれどね」
「おい、ちょっと待て、それじゃぁ枕の江戸がどうのこうのっていうのはなんなんだ?」
「だから、そっちが『偽者』なんだよ」
偽者。
偽者の歴史。
そしてそれを移した作者。
「江戸の伝染病は酷かったわけ、だからそこで昔の様子と同じものだから、ちょっとしらべた誰かが『東方乱図鑑』にまとめて記したわけ。つまり偽者の歴史。もしあいつがいうなら偽史ってとこかな」
あいつ。おそらく貝木のことだろう。戦場ヶ原が最初にあったという一人目の詐欺師。
偽者の詐欺師。
不気味な男、貝木泥船。
でも。
「貝木が偽者なら、火憐ちゃんにうつした怪異も偽者なんじゃないのか?なんで遭ってるんだ?」
「それは本物だからだよ。その貝木ってやつはねえ……怪異を信じていないのさ。怪異を信じていない怪異の専門家。多分さっきいった僕の歴史も全部嘘で自己暗示とかいうんじゃないかな。だから厄介なんだよあいつは」
なぜか忍野は少し懐かしそうに微笑んだ気がした。あいつはという忍野はなぜか懐かしげな顔だった。
でもそれって。
「全部偽者じゃないか。まるで。でも火憐ちゃんに移った囲い火蜂はちゃんと機能しているから、どうにかしないといけないんだが、それはもう分かってるんだろうな」
そういうと忍野は心底楽しそうに煙草をはさんだ掌を僕に向けてくる。
「簡単も簡単。そこの元委員長ちゃんの件ほど簡単だよ。まずは一つ目、怪異を発生させた術師をとめる」
止める……か。戦場ヶ原のこともあるから二人で貝木のところに行くことになるだろうけれど、一体どこまで危険があるのか。
相手は例え偽者でも、怪異の専門家。触れただけで怪異を移す存在自体が怪異のような男。忍野と同等と考えていいだろう。僕と忍だけでどこまで相手ができるだろうか。
忍野の指の二本目が上がる。
「二つ目。怪異に遭っているものの『怪異自体を分散させ、付加を少なくさせる』」
「そんな方法あるのか?」
「んー? あるよ」
忍野はことさらニヤニヤ顔をしながら指と指を交差させて言う。
「キス」
「…………」
僕と火憐ちゃんが、キス。
「はぁ!? ちょっと待て何言ってんだ忍野! 俺と火憐ちゃんは兄妹だぞ! キスなんかできるか!」
「ああ、言い方が悪かったね、ちゅーだ」
「言い方の問題じゃねぇんだよ! ちゅーもキスもねーよ! なんで兄妹間でキスしなくちゃならないんだ」
「阿良々木君……君は我が侭だねえ。でっかい妹ちゃん、助けたくないのかい?」
それを言われると。言葉を続けられない。そもそも僕は火憐を助ける為にこの忍野と対面しているのだ。なにをもってあいつのためにここまでしている。
しかし。しかし! 超えてはいけない一線というモノがあるんじゃないでしょうか? いやわからないけれど。
「それがいやだったら、阿良々木君、首からかぶっと、」
「すいませんキスでいいです」
火憐を吸血鬼化させるわけにはいかない。あれはあとが一生残るからな。忍がやってくれるとは限らないし。ていうかこのおっさん、初めから兄妹同士でキスさせるつもりだったな……。
「やれやれ、ツンデレちゃんとはべろちゅーしたくせに細かいことにこだわるなあ」
「てめぇなんでそんなことまで知ってるんだよ!」
そろそろ手か足が出るぞ!窮鼠だって像を噛むんだぞ。
「この前、ほら、ツンデレちゃんが手伝いに来てくれたでしょ。その時」
意外に口が軽い僕の彼女だった。いや、あの戦場ヶ原のことだからきっと他人に自慢したくってしょうがなかったのかもしれない。意外に鉄壁を誇る性格な癖に脆いところがあるのだ。それに忍野は終始さけていたようだったし、それも原因かもしれない。そもそもあんな性格しているがツンデレと忍野がいうようにそういう面を隠している節があるしなあ。それってどういうジャンルなんだろう、ツンテレデレ?
「まあ、いいよ。つまり僕が貝木をとめるまでとりあえず火憐ちゃんから怪異の付加を分散させるっていうことだな。そういえば命には別状はないんだろうな?」
「三日」
忍野は端的にそう言う。
「囲い火蜂は三日で移ったモノを死に至らしめるよ。まあ、大丈夫でしょ。いざとなったら、そこの忍ちゃんに吸ってもらえばいいし、」
そこで言葉を切って、忍野は机から立ち上がった。
「僕もあいつに少し用事があるからねえ」