近年、とりわけコロナ禍以後、日本を訪れる外国人旅行者の数が急激に増えた。これは政府が観光立国を掲げ、海外から多くの方々を迎え入れる政策を推進してきた結果であり、この流れ自体は自然なことなのだろう。しかし、正直に申し上げれば、わたくし自身は未だにこの急激な変化に心が追いついてゆかない。
同時に、日本で暮らす外国の方々も年々急激に増えている。わたくしは、いわゆる日本の田舎に住んでいるが、それでも外へ出れば、外国の方と出逢わない日は殆どない。電車でも、買い物でも、病院でも、公園でも、外国の方々をお見かけすることは、今やごく当たり前のこととなった。
日本社会は、この数年で大きく姿を変えていっている。けれども、どうか誤解しないでいただきたい。わたくしは、外国の方々そのものを嫌っているわけでは決してない。
具体的な例を挙げればーー、一時交流が途絶えたとはいえ、20年以上前から在日フィリピン人の友人がおり、その他にも日本で暮らす外国人の友人や知人達がいらっしゃる。また、日本を訪れた外国人観光客の方が困っておられるご様子をお見かけすれば、拙い英語ながらも積極的に声をかけ、道案内やちょっとした手助けをさせていただいてきてまいった。
あいにく、わたくしは海外へ出かけた経験は殆どない。それにもかかわらず、こうした小さな出逢いを通じて、今では世界各国に友人がいらしてくださることを、わたくしは人生の大きな喜びのひとつだと思っている。更に現在では、日本にお住まいになっていらっしゃる外国の方々や、日本語を学びたいというお志をお持ちの海外の方々を支援するボランティア活動にも携わらせていただいている。
だからこそ、今回これから書くことは、決して外国人への敵意から生まれたものではない。ひとりの日本人として、祖国の急激な変化に戸惑い、この国の未来を案じる気持ちから生まれた率直な思いである。
ーー日本は、長い歴史の中で独自の文化や価値観を育んできた。勿論、日本が「単一民族国家」であるという表現は、必ずしも正確ではない。アイヌの方々、琉球の方々(わたくしは琉球は琉球で独立なさったらよろしいという考えの持ち主)、在日韓国・朝鮮の方々、中国や台湾にルーツを持っていらっしゃる方々など、多様な方々がこの国を共につくってきた歴史がある。(特にここ、わたくしが住む滋賀県東部は、かつて渡来人が多く住まわれた土地であり、百済寺(ひゃくさいじ)等、大陸とのつながりを感じられるものや地名が沢山残っている。近江(おうみ)商人の計算の強さは、朝鮮半島から来た人々が先祖であるためではないか、といった説さえある)
それでもなお、日本社会には、日本語を基盤とし、互いに空気を読み合い、譲り合い、静けさや清潔さを大切にするという、独特の社会文化が長く大切に受け継がれてきた。わたくしが幼い頃から親しんでまいった京都も、まさにそうした日本文化を象徴する街であった。
ところが近年、その京都の景色はすっかり大きく変わってしまった。世界中から多くの旅行者が訪れること自体は、京都という街が愛されている証拠である。しかし、その一方で、かつて当たり前だった静かな町並みや、日本らしい落ち着いた空気が失われつつあることに、寂しさを覚える日本人も少なくないだろう。(というか、めちゃくちゃ多いだろう)
勿論、外国人観光客の殆どの方々はそれなりに礼儀正しく、日本文化に敬意を払ってくださっているはずだと思いたい。
いつだったか、JR奈良駅を訪れたとき、ある西洋人風の若いお嬢さんがパンを食べ終わり、その袋が道に落ちそうになったのをすかさず拾われた白人男性(どうやらお父さまだったらしい)には心からのお礼を何度も何度も申し上げた。
そうした一方で、一部には、日本の文化や習慣を十分理解しないまま行動される方々も多くいらっしゃる。具体例を挙げれば、神社仏閣でのお振る舞い(肌を極端に露出された服装で訪問されるのもわたくしはよしとしない)、公共の場でのマナー(地べたで座りこむ、所かまわず大声、かつ、スピーカーフォンにして画面通話をする)、写真撮影や動画撮影に対する考え方(誰が映り込んでも気にせず、どこでも平気で動画を撮りまくる、撮影禁止の場所でも平気で何度もポーズを変えて写真を撮る)など、日本人との間に小さな感覚の違いが生まれる場面は決して少なくない。
ひとつひとつは決して大きな問題ではない。しかし、それが毎日のように積み重なれば、多くの人が戸惑いや疲れを覚えるのも無理はないと思うのである。
わたくし自身、外国の友人たちとの交流を通して、多様な文化に触れることの豊かさを数多く経験してきた。だからこそ思う。異文化を受け入れることと、自国の文化や社会の土台を守ることは、本来、対立するものではないとも思う。(理想では)
しかし、近年、あまりにもわたくし達日本人側が一方的に我慢を強いられることが多すぎはしないだろうか? 今、日本は、その難しい課題と向き合う時代に入ったのだと、わたくしは痛感している。
(次の記事へ続く)
(※この記事は、わたくしが書いたものをもとに、一度、AIにて手を加え、最終的にまたわたくしの手を加えております)



