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若い頃はただ衝動のままに生きることも出来ました。
それは若さゆえのことだったのかもしれないし、やはりわたくしは昔からただ自分に嘘がつけなかったのかもしれない。
でも、本当はどっちでもなくって、ただ、「淵の向こう」が見たかっただけなのかもしれない。

サイキックに目覚める前から、わたくし、割と若い頃から、自分の運命の流れはわかるほうだったんですよね。
カンが働くというか。
中でも、無謀なチャレンジもチャレンジ、踏み込まなかったほうがよかった「あるひとつのこと」については、なんであのとき、踏み込んじゃったかなー? と今となっては思ったりもします。

でも、あのときも、入り口はめちゃくちゃデコレーションされた、とびっきりのワンダーランドみたいに見えたんですよ。
だから、飛び込んじゃった。

そしたら、それは海の奥底にまで延々沈んでゆく難破船だったんですけれどもね。
 

そんなふうに、人生に大きく作用するものって、看板はとっても魅力的で、心惹かれてやまないものが多い。
そこに聖なる祈りの力を働かせればよかったのでしょうけれど、若い頃のわたくしにはそれが出来なかった。
もともと持って生まれた性分が激情家でもありますから、一度火が点いてしまうとそれを消すことはそうたやすいことではない。
30代に入ってからは、そうしたおバカなことはなくなりましたが(なくなった……? かな、あれ……、自信がなくなってきた)、とにかく、20代の頃はめちゃくちゃ危なかっしかった。
何においても。
まぁ、今でもそうなのかもしれませんが。

そんなわけで、まぁ、世の中の……というか、この人間社会の表も裏もいろいろと「それなりに」見てきて、今はやっぱり信仰に基づいて選択……ってなっちゃうし、っていうか、ならざるを得ないし。
そういう意味では、それなりに「人間さん」をやってきて、ちょっとは学んだというか。

 

若い頃、わたくしはよく天国の淵に立っている、と思っていたけれど、その天国は実は幻で、本当は天国でもなんでもなかったのかもしれません。
今は、それなりに天国を知っているとは思うのだけれど。

 

でも、でも、本当の本当は、その「天国でもなんでもなかった」ものも含めて天国だったってこと、なのかもしれません。
人間の愚かさ、至らなさをもあたたかく受け止められる、それだけの度量があって初めて、本物の愛、になりうるのかもしれません。

勿論、ここで言うところの愛、とは、人間として持っている、基本的な感情のことです。
それがちゃんとあって、初めて、惚れた腫れたの愛、も成り立つ。
要はまず、それなりにまっとうに生きなさい、ということ、なんですよね。

聖なる愛を求めてゆくのは、めちゃくちゃ大変かもしれません。

自分にとってかけがえのない誰かや何かを懸命に求めてゆくことも、人生、時には必要なのかもしれません。

けれど、最後まで残るのは、結局、神の御心に適うもの、だけなんですよね。
ならば、最初からそこを目指してゆくべきだった。
そこのところの学びが、若い頃のわたくしには随分足りなかったのでしょう。

実際、鏡のように、わたくしの目の前に現れてくる方々というのは、当時のわたくしにとって確かにとても魅力的だったけれど、めちゃくちゃ危険で、全て、わたくしの至らないところをのべつくまなしに見させてくださる方々でもありましたし。

ほんと、人間関係、中でも特に濃い関係というのは、全部自分との合わせ鏡なのだと思います。

そういう意味では、わたくしは本当に至らなかったし、狡かったし、ひどかった。

めちゃくちゃ弱かったし、まるで自分というものがなくって。

今思うと、本当に幼かったなぁ、と。

 

それでも、当時の自分なりには、聖なるものと共に生きているつもり、だったんですよね。
(そこがまた恐ろしいのだけれど)
今思うと全くの上っ面で、全く本質を捉えきれていないのですが。
でも、それが20代のわたくしの限界だったのかもしれません。

これまで過去、何度も天国の淵に立ってきて、そこで聖なる朝日を待ち望み、それをちゃんとその時々、見てきたはずなのに。
今のわたくしは、神様に向かって清々しい顔を向けられるわたくしでございましょうか?

それはわからないけれど、でも、少なくとも、危険な道を幾つも選んできた頃のわたくしから四半世紀のときを重ねて、少しは成長出来ているはずだよね……? とつらつらと思う、今日この頃、なのでした。
 

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最後までお読みくださいまして、ありがとうございます。

 

● 夢咲璃い(ゆめさき りい) 自らの資質をどこまでも高めることを通じて広く社会に貢献しようと志す女性起業家の為の直観コンサルタント

 


わたくしが若かりし頃の一大アイドルであり、その後も同世代では頭ひとつ抜きん出ていた人気芸能人さんでいらした中山美穂さんが天国に旅立たれた。その知らせを知ったのは、仕事終わりにお友達から届いていたLINE(のメッセージによって)。最初、文面にあった「ミポリンの訃報」という言葉の意味がよくわからなくて、「???」となりながら帰り道を急いだの。(ちなみに帰り道はとある事情から、いつもものすごく急がざるを得ない) そのうち、歩きながらスマホのネットで検索して、すぐ、亡くなられたことを知り、思わず「えっ!? 嘘でしょ!?」と声に出してしまった。心臓の鼓動が止まるかと思うくらいの衝撃。身体が震える。急いでいた足がうまく運べなくなった。全く信じられず、その後も「嘘でしょ? 嘘でしょ?」と繰り返し。それくらい、本当に衝撃的な、突然の知らせだった。

 

学年で言えば、中山さんより二つ下のわたくしにとって、「中山美穂」さん、「ミポリン」と言えば、いつも「憧れの綺麗なお姉さん」だった。高校生の頃(わたくしが大好きだった、憧れの大人の男性の)石田純一さんと共演されたドラマ『君の瞳に恋してる!』(1989年1月~3月)を心ときめなかせながら見ていたし、織田裕二さんや仙道敦子さん達と共演されたドラマ『卒業』(1990年1月~3月)は、当時流行っていたドリカムが主題歌を歌っていて、『君の瞳に……』より更にハマったドラマだった。当時、女の子は殆どが短大に進む時代。ミポリン演じる短大生の女の子・かおりは、女子大への進学が決まっていた高3生のわたくしにとって、まさに憧れだった。

 

とにかく、その後もずっと「中山美穂さん」と言えば、同世代の中でもダントツに輝く女性だった。本当に本当にお美しいかたで、今のようによく似たお顔のお嬢さんが多い時代とは完全に異なる。持って生まれた華やかさと美貌は他の追随を許さないほどだった。それほどまでに「中山美穂さん」は当時ものすごい存在だったのだ。

 

そんな「ミポリン」が作家・ミュージシャンの辻仁成さんと電撃結婚されてパリに移住されたのもまた驚きだった。なんでも、最初、パリの空港で辻さんが中山さんを遠くからお見かけになられてからのご縁だったと記憶している。その後、雑誌の対談で「再会」されたときに辻さんがおっしゃったのが「やっと会えたね」だったこともとても印象的だった。
 

 

 

その後、離婚され、帰国され、音楽家のかたとお付き合いをなさっておられたのも、これまた衝撃的だった。お子さまをフランスに残したまま離婚されて帰国されたことが一時期バッシングの対象になっていたけれど、わたくしには「ふーん」という感じだった。「それもまた人生においてはアリだね」だなんて思っていたから。

 

その後、本格的に日本の芸能界に復帰され、お歌やドラマ……と活動を始められたとき、何を思ったのか、最初で最後のファンレターをわたくしは中山さんに送っている。内容はシンプルに「帰国されたんですね。頑張ってください」といった感じのもの。当時、様々にバッシングがあった中で、同世代のひとりとしてエールを送りたかったのだ。それを中山さんが読んでくださったかどうかはわからない。とにかく、わたくしは彼女のファンというわけではなかったけど、わたくしにとって「中山美穂さん」「ミポリン」はつねに同時代を生きておられる美しい女性芸能人さんのおひとりだったのだ。

 

そんな彼女が「風の時代」が始まった途端、このクリスマスのイルミネーションが輝く美しい季節に突然「不慮の事故で」天国に旅立ってしまわれた。ほんの数日前まで生きておられたのに? なんで? 本当になんで? 春馬くんのときのショックとはまた違う、でも、確実に、静かに、しかし大きく打ちのめされたような……そんなショックがずっと続いている。その一方で、彼女にとっては今が旅立ちのときだったんだよ、という諦観というか、どこか安堵感に似たもの(?)(※表現がとても難しい。この内的感覚を語るには) を感じるのも事実。「お美しい、本当にお美しい中山美穂さんとして、今回の人生を見事に駆け抜けてゆかれましたね、本当におつかれさまでございました」、そう中山さんに申し上げたい気持ちがあるのもこれまた事実なのだ。

 

高校時代、熱烈に片想いをしていた男の子が中山美穂さんのファンで、中山さんのあの美貌とは雲泥の差の自分の容貌に激しく落胆したのも遠い昔。ミポリンは最後まで綺麗なミポリンで、美しい中山美穂さんとして、この世を旅立ってゆかれた。54歳。その大好きだった男の子もわたくしも、彼女がご逝去された年齢より、今、ひとつだけ若い形になる。(正確には、わたくしはまだ二歳差なんだけどね) しかし、高校生の頃の「二学年上」と、50代における「ほんの少しの歳の差」は、全く違うものだ。つまり、彼女の急逝は全く他人事ではないということ。わたくし達だってある日突然天に旅立っても決しておかしくない年頃なのだ。

 

勿論、お若いかたでも、そして、幼いお子さまでも、何らかの事故等で突然でこの世を旅立たれることもあるだろう。かと思えば、ご長寿もご長寿、110歳くらいまで生きられるかただっておられる。そう考えるとき、一体、寿命ってなんなのだろう?、って思わざるを得ない。わたくしにとって、寿命って、ただ長ければいいってものではない。結局はどう生きたか?、ってことが大事なんだと思う。それも、他人がどうのこうのではなく、自分にとって、どう生きたか? 天国の門に立ったときに、神様や自分に恥ずかしくない生き方が出来たかどうか? それに尽きるのではなかろうか?

 

今日もお逢いした「お姉さま」が、「中山さんは突然旅立たれから、ご本人(の魂さん)も今のご自分の状況がよくわかっておられないかも?」とお話しされて、わたくしも「そうですよねぇ」だなんて相づちを打っていたのだけど、前述の通り、中山さんにとっては今が「新しい世界に旅立れる、ベストのタイミング」だったんだと思う。これは中野裕弓(ひろみ)先生の受け売りなんだけどね。でも、本当にそう思うの。どんな旅立ちのなさりかたをされようと、そのタイミングはご自分にとって完璧というか……、皆、神様とのご契約した日時にここを旅立つことになっているのだと思う。そこには神様とのご本人さんとの間の純然たる契約しかなくって、他人が入る隙間なんてこれっぽっちもないのだとも思う。残されたご家族や周囲の親しい方々にとっては到底受け止めきれない、本当に本当につらい旅立ちかもしれないけれど……。ご本人にとっては然るべき時が来たから、旅立たれたということ。それがわたくしのスピ的な考え方なの。

とは言え、実際、突然旅立たれた側は、つまり、残されたほうの立場の者は、到底受け止めきれないよね。突然ではなくとも、たとえ、長い療養生活の後に旅立たれたのだったとしても、そして、ものすごいご長寿を全うして旅立たれたのだとしても、どんな形でも、やはり亡くなられるということは、残された者にとっては寂しく、つらく、かなしい、痛みある出来事であることには変わりない。

でも、身も蓋もない言い方をすれば、ほんと、ひとは皆、生まれたら、いつか必ずこの世を去る。新しい世界へと旅立っていくんだ。今日も今、この瞬間も、世界各地で新しい命がどんどん誕生していっておられるのだろうけれど、その一方で、新しい世界に旅立ってゆかれる魂さんだって、世界各地で沢山あるんだよ。それがこの世ってもので、この世に生まれてきたからには、皆、それを避けることは出来ないんだ。

だからこそ、生きていることをいとおしみ、慈しみ、出来るだけよい人生を生きられるよう、ひとは求め、そのために行動してゆくんだと思う。そして、自分のためだけに生きるのではなく、いずれこの世を去るのなら、せめて何か少しでも多く、この世によきものを遺してゆきたい、そう願うのも自然なことなのだとわたくしは思うの。

何度生まれ変わろうが、今回の人生は皆、一度きり。一度きりだからこそ、大切に生きよう。亡くなられたかたの知らせを聞く度、毎回思うことだ。そして、いつか自分もこの世を旅立つときが来たら、悔いなく笑顔で旅立てるように、これから残りの人生の時間を神様と共に手を携え、出来るだけ笑って明るく生きてゆけたらと切に願う。

最後に、中山美穂さんのご冥福を謹んで心からお祈り申し上げます。彼女を大切に想う全てのかたのおかなしみが少しでも癒されますように。お美しい美穂さんの人生がこれからも人々の心を豊かにしてゆきますように。本当におつかれさまでございました、そして、本当にありがとうございました、本当にお美しい御方、中山美穂さまへ。心からの祈りをこめて。

 

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最後までお読みくださいまして、ありがとうございます。

 

● 夢咲璃い(ゆめさき りい) 自らの資質をどこまでも高めることを通じて広く社会に貢献しようと志す女性起業家の為の直観コンサルタント

 



53年生きてきて(まだ52ですが)何本かの指に入るほど、めちゃくちゃきつかった今年が漸く終わろうとしている。一体、何度泣きを見たことだろう。それでも、意外に自分は結構元気で、ワーワー喚きながらもよくここまで耐えてきたと心底思う。支えてくださった皆様、両親と神様にただただ感謝しかない。

 

今日はその「感謝の思いをあらわす一環」で寒い京都でお姉さまと久々にお食事をしてきた。笑顔でお見送りをさせていただいた後、駅に行ったら美しい虹がまっすぐ「立っていて」、それが今年一年頑張ったことへの神様からのご褒美に思えた。ありがとう、神様。

そんな一年をなんとかなんとか乗り越えてきて、今、思うのは、なんというか、もう躊躇いも迷いもなくずんずん進んでゆこう、ということ。実際はこれからもしょっちゅう悩んだり、凹んだり、泣いたりするんだろうけど、でも、なんかふっきれたというか。

 

同世代の中山美穂さんの急逝にも大きく影響受けてる。だって、わたくしと二つしか学年が変わらないんだよ?(美穂さんのほうがお姉さん、ね) あんなにお美しく魅力溢れるかたが突然旅立ってしまわれた。ほんと、いつ人生終わるかわからない。ならば、思うように精一杯生きようって。
 

勿論、頑張ったとして、結果、どうなるかはわかんないよ? でも、やりたいことを精一杯やって生きたなら、少なくともこの世に対して後悔は残らないから。死後、いちばんくるしいのはやり残したことだと、わたくしは魂の記憶で痛いほど身にしみてわかっているから、それを二度と繰り返してはならない、と。

 

やりたいことをやり、伝えたいことを伝え、それでどうなるものでもないかもしれないし、おひとに伝わらない、わかってもらえない、認めてもらえない、理解されないかもしれない。それでもやっぱりやるだけのことをやっておかないと、死んでも死にきれない、それだけは思うんだ。

 

本当に大切なものを大切にして、自分に嘘をつかない、小さな違和感を無視しない、自分で自分をもてなすように、愛するわが子を大切に丁寧に育てるように、これからも自分を慈しみ育て続けてゆく。たとえおばあちゃんになっても、魂の進化は永遠に続いてゆくから。

 

半世紀超生きてきて、さすがに自分にとって何がいちばん大事なのかはもう嫌というほど思い知ってる。ならば、これから残りの人生は、ただそれらを大切に生きてゆこうって。それら以外は要らないよ。本当に大切なもの、こと、おひとだけでいい。本当にそれだけでいい。

2024年、まだ三週間近く残っているけれど、最後、ちゃんと有終の美を飾って、新しくやってくる2025年は清々しい気持ちで迎えたい。まっさらな心で。まっさらなわたしで。それが今、いちばんの願い。神様、ありがとう。

 

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最後までお読みくださいまして、ありがとうございます。

 

● 夢咲璃い(ゆめさき りい) 自らの資質をどこまでも高めることを通じて広く社会に貢献しようと志す女性起業家の為の直観コンサルタント