(この記事はひとつ前の記事の続きです)
ひとつ前の記事で述べたように、わたくしは外国の方々そのものを否定したいわけではない。実際、長年に渡り、外国人の友人達と交流し、日本を愛してくださる沢山の方々とお出逢いしてきた。その経験は、わたくしにとってかけがえのない財産である。だからこそ、今、日本社会で起きている変化については、「外国人か日本人か」という単純な対立ではなく、「どのような社会を築いていくのか」という問題として考えたいのである。
近年、日本では少子高齢化が急速に進み、多くの業界で深刻な人手不足が続いている。介護、建設、農業、物流、製造業、宿泊業など、外国人労働者の存在なくして成り立たない現場も少なくない。この現実を考えれば、日本社会が外国人労働者の力に支えられていることは、率直に認め、もっともっと彼らに感謝すべきであろう。
しかし同時に、外国籍の方々を受け入れることと、彼らと共に生きてゆかなければならない日本社会の構築が充分でないこととはまた別問題である。異なる文化や宗教、生活習慣を持つ人々が共に暮らすためには、お互いを理解する努力だけでなく、社会としての仕組みづくりが欠かせない。
日本では近年、「多文化共生」という言葉が盛んに用いられている。本来、この言葉が目指すものは、お互いの文化を尊重しながら安心して暮らせる社会であろう。しかし、少なくともわたくしには、その理想と現実との間には非常に非常に大きな隔たりがあるように感じられて仕方がない。
例えば、地域によっては、ごみの分別や騒音、公共の場でのマナーなど、生活習慣の違いから小さな摩擦が生じているという話を耳にすることがある。勿論、それは何も外国の方だけに限った話ではない。日本人同士であっても、マナーを守らない人はいる!!!!!(涙)(←察してやってください!)
それでも、文化的背景が異なることで、互いに「当たり前」が違うという現実は確かに存在する。だからこそ、日本で暮らす以上、日本の法律や社会のルール、そして地域の慣習を尊重する姿勢は、日本人・外国人を問わず大切ではなかろうか?
一方で、日本人にも学ぶべきことはある。外国から来られた方々が、日本の生活に戸惑う場面も少なくないはずだ。
そのとき、必要なのは感情的な対立ではなく、丁寧な説明と支援である。
(しかし、そうした説明や支援を受けても、ルールや法律さえ平気で無視する外国籍の方々のことを、我々日本国民は一体どうすればよろしいのか? そこのところを政府には明確にし、きちんとそうした方々に対する徹底したルール作りをしてほしいと切に願う)
共生とは、一方だけが努力するべきものではない。受け入れる側にも、受け入れられる側にも、それぞれ果たすべき役割と責任がある。わたくしが危惧しているのは、その責任の所在が曖昧なまま、制度だけが先へ進んでしまっていることである。そして、概して、わたくし達普通の一般市民がその負荷を多大に被っているという現実である。
国の政策によって外国人を受け入れるのであれば、その後の日本語教育、生活支援、地域との橋渡し、法令やマナーの周知徹底なども含め、国や自治体が充分な体制を整える必要がある。そうでなければ、現場で戸惑いや負担を抱えるのは、我々一般市民であり、学校であり、企業であり、そして外国から来られた当事者の方々でもある。誰か一方を責めれば解決する問題ではない。
だからこそ、今こそ日本は、「どれだけ多くの人を受け入れるか」だけではなく、「どのように共に暮らしていくのか」という視点から、移民政策や外国人受け入れ政策を丁寧かつ厳格に見直す時期に来ているのではないかと、わたくしは痛切に感じている。
わたくしは、日本が長い年月をかけて育んできた文化や価値観、そして安心して暮らせる社会を、次の世代へ受け継いでいきたいと心から願っている。そのために必要な行動を我々日本人は今こそ起こすべきなのではないだろうか?
(次の記事へと続く)
(※この記事は、わたくしが書いたものをもとに、一度、AIにて手を加え、最終的にまたわたくしの手を加えております)


