
(この記事はひとつ前の記事の続きです)
ここまで、日本社会の急激な変化について、率直な思いを書いてきた。中には、わたくしの考えに賛同できない方もいらっしゃることだろう。或いは、「外国人に対して否定的なのではないか」と受け取られる方もいらっしゃるかもしれない。
しかし、どうかもう一度申し上げたい。わたくしは、外国の方々そのものを否定しているのではない。ましてや、自分自身は将来の海外移住を考えている人間でさえある。
実際、わたくしの人生は、多くの外国人の友人達との出会いによって豊かにされてきた。特に過去3年に渡り、非常にお親しくさせていただいたベトナム人の友人達との思い出は非常にかけがえのないものであり、彼らによってわたくし自身が救われたと言っても過言ではないくらいだ。
日本を心から愛し、日本語を学び、日本文化を尊重しながら暮らしてくださっている方々を、わたくしは深く尊敬している。そして、日本の人手不足を支え、様々なーー本当に大変な現場で誠実に働いてくださっている外国人労働者の皆さまにも、心から感謝している。たとえ来日理由が単にお金を稼ぐためであったとしても、わたくしが知り合った彼らのように、きちんと近隣に迷惑をかけず、マナーを守ってそれなりにのびのびと楽しく暮らしているベトナム人の若い方達も現実にいらっしゃるのだ。
だからこそ、この問題は、「外国人か、日本人か」という対立ではないのである。わたくしが問いかけたいのは、日本という国が、これからどのような姿を目指していくのか、ということである。
どの国にも、その国ならではの文化があり、歴史があり、人々が長い歳月をかけて育んできた大切な価値観がある。日本にもまた、日本らしさがある。季節を愛でる心。静けさを尊ぶ文化。清潔さを大切にする暮らし。目立たずとも周囲への配慮を忘れない精神。そして、その長い歴史の中で受け継がれてきた伝統や祭り、神社仏閣、地域共同体の繋がり。これらは、日本という国の大切な財産である。わたくしは、それらを失いたくない。
世界各国の方々と交流することは、とても素晴らしいことである。外国から学ぶことも数え切れないほどある。しかし、交流とは、自分自身を失うことではない。自らの文化に誇りを持ってこそ、本当の意味で他者を尊重できるのではなかうか。
だからこそ、日本に暮らすすべてのおひとが、日本という国の法律を守り、地域のルールを守り、この国の文化や習慣に敬意を払ってくださることを切に願う。それは決して外国の方々だけに求めるものではない。日本人自身もまた、自国の文化を大切にし、次の世代へ受け継いでいく責任がある。
そして政府には、外国人を受け入れるのであれば、その数だけではなく、社会全体が安心して共に暮らしていける仕組みづくりに、これまで以上に力を注いでいただきたいと声を大にして言いたい。この文章を書きながら、何度も自分自身に問いかけた。「これは怒りなのだろうか」と。けれど、最後に残った答えは違っていた。これは、まぎれもなく、美しい日本・かけがえのない我が祖国への尊い愛なのだ。
幼い頃から見てきた日本の風景。四季折々の自然。静かな神社の境内。地域のお祭り。道ゆく人々が自然に譲り合う姿。そうした何気ない日常を、これからも日本の子どもたちに残してあげたい。その願いが、わたくしをこの文章へと向かわせたのである。
世界には、それぞれの国がある。それぞれの民族がいる。それぞれの文化がある。互いを尊重するということは、その違いを認め合うことであり、同時に、自分自身の文化を大切にすることでもある。
しかし、だからと言って、外国人が自らの宗教のルールこそ、日本の法律を上回るなどと言うようなことを決して許してはいけない。それは日本が法治国家であることを根底から揺るがす大問題である。
わたくしは、日本が東洋に輝く美しい島国であり続けることを、また、日本が日本であり続けることを、心から願っている。その願いは、この美しい祖国を、未来の日本人達へと大切に受け継いでゆくためである。
もし、この文章を読んでくださったあなたさまにとって、この文章が、それぞれのお立場から「これからの日本」について静かに考えるきっかけとなるならば、これほど嬉しいことはない。
わたくしはこれからも、日本を愛する一人の国民として、この国の未来のために祈り、そして、自分なりに出来る行動を積み重ねてゆきたいと心から思うのである。
(※この記事は、わたくしが書いたものをもとに、一度、AIにて手を加え、最終的にまたわたくしの手を加えております)