ブログテーマ 『光の道をゆく』(2014年) では、以前、Puboo(パブ―)さん というサイトで、無料にて公開しておりました、電子書籍『光の道をゆく』の内容を順次掲載していっております。
なお、『光の道をゆく』の目次一覧につきましては、こちらの記事をご覧くださいませ。
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ひとにはそれぞれ、運命の羅針盤があって、多かれ少なかれ、それにひとは導かれて、この世での人生を生きてゆくのだと思います。
今回の人生、わたくしの場合、最大のテーマが、「自分を取り戻す」。
では、それはどんな自分か?、というと、神の子としての、本来きらきら光り輝いている、魂の本質の部分のことです。
わたくしは、今回の人生、夢を実現し、神様や唯一無二の霊的存在とのお約束を立派に果たすことによって、それを叶えようとしているのでした。
先の項(「34.魂からの願い」)でも書きましたが、わたくしの場合、そうした運命が導くところのものは、時々、人生の波間に見え隠れはしておりました。
サイキックに目覚めたのは、2007年、35歳になってすぐ(その前の年の暮れ、2006年の12月で35歳になっておりました)のことだったけれど、それまでも、なんとなくだけれど、自分のことについては案外分かっていて、いつも己が何をなすべきか、それだけは割合はっきりと分かっていたのですよね。
だから、お友達の多くが歩まれる道からどんなに外れていようが、わたくしには、心の深いところで揺るがないものがあって。
むしろ、自分の道を歩むこと、そっちにものすごく強いこだわりをもっておりました。
大学生の頃からは、「わたしはわたし」というのが揺るぎなくあって、それだけは今も変わっていないです。
これも、先に書いた項と内容が重なりますが、わたくしは、そうした、わたくしを導くものがなんなのか、サイキックに目覚めるまでは、あまりよく分かっておりませんでした。
いつも心に強烈に湧き起こる何かに突き動かされ続けてきたけれど、それがなんなのか、皆目検討がつかず。
ただ、どうも、何か流れがあることだけは分かっていて。
波の間に間に見え隠れする、その手がかりだけを必死で追い求めて、35歳でサイキックに目覚め、第二の人生を与えていただけるまで、生きてまいりました。
そして、これもまたまた、先の項と内容が重なりますが――、サイキックに目覚め、それまでずっと降りていた人生の暗幕が突然上がり、その向こうにあるものが見えたとき、わたくしは、ものすごく圧倒されたんです。
それは、それまでの自分では想像だにしなかった世界で。
以来、わたくしはそれまでとは全く違った規模で、それからの人生を歩むことになったのでした。
それは、まるで、森の中をちょろちょろ流れる小さな小川が、いきなり大河に姿を変えたかのようだったのでした。
でも、それは、かなりの背伸び、というか、ものすごい大転換で、だから、今日までの6年間、わたくしはひたすら神様に、己の器をうーんと大きく深く広げるよう、これでもかー! これでもかー! と鍛え続けられたのですね。
まだまだ、ほんとに至らないところだらけで、お恥ずかしい限りなのですが(相変わらず「ぶっ飛んで」いるし・・・・・・)。
でも、これでも、ずいぶん、以前よりは成長出来たほうなのです。
それもこれも全て、サイキックとして与えていただいた第二の人生にふさわしい器になるべくしてのこと。
そんなわけで、わたくしは、それはそれは、もう、火を噴くかと思うほどに、内面が焼け焦げるほどにくるしみ続けてきたわけなのですが、霊的に言うなら、これほどのくるしみも、全て、全て、神様からの貴重な御恵みだったのでした。
(と、一応、お利口さんなことを書いてみる(笑))
でも、これほどまでのくるしみを与えていただいたのも、全てはわたくしが神様と散々練り上げてきた計画に過ぎず、ここまでこんなにくるしむことも、わたくしの魂の深いところでは全部織り込み済み、魂の深いところでは、なぜこんなふうにならざるを得なかったのか、全部全部ちゃんと分かっているのですね。
それは、冒頭に書いた、今回の人生における、わたくしにとっての最優先となるテーマ=神様や大切な存在である霊魂と約束した夢を叶えて生きることを通じて、神の子としての、霊的な健全なる自尊心を取り戻すためにほかならないのです。
これまでも何度か書いてまいりましたが、わたくしは、人間として生き始めた、まだまだ若い魂年齢の頃、途方もない大失敗をやらかしました。
それは、よかれと思ってとった選択によって、自らの全てを失ったのみならず、自らにとって大事だった人々も、一族もろとも滅亡させてしまったようなのです。
それに、その犠牲は一族ではとどまらず、当時わたくしが支配していた地域に住む人々も、そうでした。
そのことで、わたくしはものすごい魂の傷を背負ってしまって。
以来、本来自らが持つ力を封印させざるを得なかったのですね。
わたくしが「これ!」と選んだことによって、すべてを失ってしまった、それも自らのものを失うのみならず、一族、引いては支配下にあった人々さえ大勢殺してしまった、そのことで、悔やんでも悔やみきれないほどのくるしみと、自責の念を負ってしまった。
それからというもの、わたくしは、大抵なんらかのハンデを負って生きる人生を繰り返してまいりました。
中でも、今回の、人間として最後の人生に深く関わりのある、今から二つ前の人生では、才能を持ち、家族に恵まれ、幸せに暮らしながらも、病弱だったため、愛するひとの人生を台無しにしてしまいました。
そのことが、ことのほか大きな痛みとなって今も残っていて。
それで、今回の人生、ずっと、自らが幸せに生きることを許してこられなかったんだと思います。
でも、サイキックとして目覚めて7年が過ぎ、これまでの様々なわたくしの魂のストーリーを見てきて、今後、残りの時間をどうやって生きてゆけばいいのか、大分分かるようになってまいりました。
その答えをくれたのが、わたくしを導くもの、そう、魂のルーツ、だったんです。
そこを紐解けば、様々なことが見えてくる。
わたくしの場合は、全てを失い、悔やんでも悔やみきれなかった、魂が若かりし頃の過去世と、二つ前の過去世が、今回の人生に大きく関わっていることは、前述のとおりです。
そして、そこから今に繋がるメッセージを、様々な形で、向こうの世界の方々から、今日までいただいてまいりました。
そうして人生の羅針盤を読み解いてゆくと、自然と、今後、自分がどうやって生きていったらよいかが見えてくるのです。
そうして見えてくるものは、おそらく間違いなく、そして、本物で、揺るぎないものです。
ただ、それが分かっても、見えていても、いつまでも自分が受け止めきれなければ、船は進んでゆかない。
ともすると、わたくしみたいに6年もの間、座礁したまんまになってしまう。
そうなってくると、ほんと、どつぼ も どつぼ。
うんともすんとも動かなくなってしまいます。
だからこそ、運命を導くものに、勇気を持って"YES!" と言い、思い切って、そちらの方向に進んでゆかなければならないのですね。
わたくしの場合、一度、そっちに歩き出したのに、途中で大きな穴に落っこちちゃったもんだから、また引き返してしまった意気地無しです。
ま、その穴も、最初からちゃんと織り込み済み、というか、最初からちゃんと設定してあったのですけれどもね。
とにかく、結局のところ、スピリチュアルに生きる、とは、心の声に耳を傾け、そこから導き出される運命の海図、運命の羅針盤をもとに、少しずつ、少しずつ、手探りながらも進んでゆくほかないのです。
その先の流れは、まず一歩踏み出して、初めて、その次が見えてくるものであって、全部一気には分からないのですよね。
中には、わたくしみたいに、歩き始めて、すぐに、手痛い思いをして、怖くなって縮み上がってしまい、また振り出しに戻って、何年も動けなくなってしまう方もおられましょう。
でも、それではいつまで経っても、時間がとっとと流れる一方で、何も変わらないのです。
一度大きな穴に落っこちたのだとしても、それでも変わらず、心がそちらを示すのなら、もう一度、勇気をもって、その道を歩き出してゆかなければ。
結局のところは、それがいちばんの王道なのですね。
わたくし達は皆それぞれに人生の課題、テーマがあって、それに沿った人生のシナリオを、見事なほどに練り上げて、生まれてきています。
人生に生じる出来事は、全部、自分が仕組んだこと。
だから、もし、貴女が今の人生を変えたいと思われるなら、神様と共に、生まれる前のご自分のもとにつかつかと寄ってゆかれて、どうすればよいのか尋ねられたらそれでよろしいのです。
その方法として、お祈りや、瞑想、内観など、様々な方法があるのですね。
結局は、自ら(ハイアーセルフ)との対話。
そこにしか答えはありません。
運命を導くのは、結局は、生まれてくる前の自分、神の子としての自分、自らの魂の本質、なんです。
そして、その魂の本質の奥をどんどん探求してゆくと、やがては神様のまばゆい光にゆき着くんですよね。
わたくしが2007年、サイキックに目覚めたとき、一瞬だけど神様に垣間見させていただいたのは、この夢の道を生きれば、神様の光に立ち返れるよ、ということでした。
それほどまでにまばゆいものを見させていただいたから。
だから、わたくしは、自然と、そうなるずっと以前(中学生の頃)から、「璃」(きらきらひかる光の珠という意味)という字に心引かれるようになり、30歳の頃からは実際に「璃」という文字を使った、「りい」という名前を名乗り始めたのだと思います。
人生は本当に上手く出来ていて、何一つ無駄なことはないし、全部全部、必要なものは、全部繋がっているんです。
そして、それは、たとえどんなに遠く離れていても、全てお互いに呼応しあっていて、ある日突然、その運命がクロスするんですよね。
だから、素晴らしい出逢いがあったりなんかして。
ほんと、人生って、見事なまでに上手くできているんです。
敬愛なる中野裕弓(なかの ひろみ)さんは、以前、”人生は絶対あなたを潰さないから”、といったことをおっしゃっておられました。
そして、この夏、改めて処女作を読み返させていただいて、いたく感動した上原愛加(うえはら あいか)さんも、そのご本の中で、”「絶対に、大丈夫!」と強く信じ込むのです。”と書いておられます。
この混迷極まりない現代を生きてゆくにあたって必要なのは、ロミさん(中野さんのことです)がおっしゃるように、人生は絶対自分を潰さない、と信じ、愛加さんがおっしゃるように、「絶対に、大丈夫!」と信じることではないでしょうか?
そして、内なる神の声に耳を傾け、そこから導かれるところのことを勇気をもって、実践、実行し続けてゆくことではないか?、とわたくしは思います。
わたくし達は皆、神様から、その命の炎を分けていただいた、光の御子であり、聖なる分け御魂(わけみたま)です。
ですから、わたくし達の中にはそれぞれ、神様がいらしてくださって、その神様がわたくし達ひとりびとりをちゃんとお守りくださっているのですね。
この世的にはどうであろうと、霊的な目で見れば、必ず、守られているし、導かれてゆく。
だから、きっと大丈夫なんです。
そして、やがてお約束のときに、この世を離れ、光の世界にかえってゆくことになるのですが、そのときに、貴女を暖かく迎えてくださるのは、魂の家族と呼ばれる方々です。
わたくしも、天国の門をくぐり、その向こうで待っていてくださるはずの、わたくしの魂の片割れさんに再びお逢い出来る、その瞬間だけのために、今、この世でひとり生きています。
実は、わたくしの願いは、本当にそれだけなんです。
どんなにつらいことがあっても、決してこの道を降りることが出来ないのは、ただひとつ、それだけのため、なのです。
わたくしの全てを導くのは、その大切な唯一無二の魂の存在、なんです。
その魂がいろいろと、この世で様々にわたくしを導いてくださるから、だから、わたくしはひとりでもこの世で生きてゆける。
ただ、天国の門をくぐったとき、やっと再びお出逢い出来る
魂の片割れさんに恥ずかしくないように生きようって、その思いだけがあるから、だから、どんなにくるしくともあきらめることなど出来ないんです。
天国で待っていてくださる方のために、この世で一生懸命生きるだなんて、滑稽でしょうか?
でも、わたくしにとって、今、生きる意味はそこにしかありません。
お空の向こうで見守っていてくださるその魂さんに恥ずかしくないよう、わたくしはこの世で精一杯生きるだけ。
それだけがわたくしが生きている意味、なんです。
どうか、この本を読んでくださった貴女に素晴らしい出逢いがありますよう、そして、神様の祝福がいつもありますことを心からお祈りいたしております。
闇の中におられるときは、光がありますように。
どうか、どんなときも、神様に守られていること、愛されていることだけは忘れないでくださいね。
心からの愛と真心と感謝をこめて。
God bless you!
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