「霊の世界」は在ると考えられる確かな状況証拠。a | barsoのブログ

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 「霊の世界」は在るか?
 と複数のChatAIに訊ねたら、一部の人々や宗教では在ると思われているが、科学的また客観的な観点からは検証できないといった曖昧な答えしか返ってきませんでした。
 しかし「霊の世界」は "無い"という証拠はゼロですが、"在る"ように思える人的また物的な状況証拠(間接証拠)なら膨大にあります。

 で、今回は「霊の世界」が "在る"と思える根拠を論じていますが、感情では否定できても、さあ、理性で論理的に否定できるかな。ワトソン君。(笑)  [註1]

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 1990年米国映画『ゴースト/ニューヨークの幻』YouTubeより

(忙しい方は、項目6つのうち、1~3までを読めば趣旨は大体わかりますよ)

                 

 1.「臨死体験」で対外離脱をした人の語る話には、疑い得ない正確さがある。
 臨死体験とは、心停止や呼吸停止などの状態から蘇生した人々が報告する体験。彼らは死亡宣告をされた後、気が付くと体外離脱をして天井に浮かび上がり、ベッドに横たわっている自分の遺体や医師や看護師を見下ろしていることに気付く。それから暗いトンネルを通り、次に「光の存在」に出会う体験をするが、興味深いのは、その過程には臨死体験者全員で打ち合わせしたような一定のパターンがあることだ。[註2]

 そんな話は頭から信じないと言う人がいるが、しかし病床で脳波が止まった人が体外離脱中に見聞きしたこと―――治療室の様子や計測器の数値、医師や看護師の会話、廊下や病院玄関やさらに遠距離にいる人の様子は、後で調査したら正確であったことが確認されている。[註3]
 だから、それら物理法則を超えた出来事を、脳内麻薬物質の分泌や酸素の欠乏で起きた幻覚だとか、あるいは宗教心による妄想だと切り捨てることはできない。

 日本では東大病院の救急部集中治療部長だった矢作直樹教授が、自身が立ち合った多数の臨死体験の事例を本にして何十冊も出している。著名な彗星研究者・木内鶴彦氏は、体外離脱中に宇宙創成時点に行ってビッグバン説とは異なる情景を見たり、また或る神社に行ったときにはそこの柱に「鶴」という文字を残し、のちに訪問して実際にそれがあったことを確認している。[註4]

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 ヒエロニムス・ボス『Ascent of the Blessed』トンネルと光の体験が描かれている。 

 今までの調査を概観すると心停止の状態から蘇生した人の4~18%が臨死体験を報告するそうで、1982年に行われたギャラップ調査では当時のアメリカの臨死体験者の総数は数百万人に及んでいたと推測されている。


 2.「心霊現象」は物理的法則を超えているが、それを虚偽だと証明できない。
 心霊現象は、超常現象の中で霊(spirit)が介在しているとしか思えない現象を言う。霊のメッセージがチャネラー(霊媒)を介して語られる「チャネリング(口寄せ)」や自分の意思に関係なく文章が書かれる「自動書記」の他、物品引き寄せ、物質化現象、瞬間移動、物体浮揚、霊言、念写などがある。

 心霊現象は大抵、インチキな霊感商法だ、ペテン師の手品だ、狐憑きだ、オカルトだと馬鹿にされたり、あるいは自己暗示や集団催眠、錯覚、幻覚、幻聴だと決め付けられる。
 だが、当人と家族しか知り得ないことや当人が知らない何百年も前の外国の方言を語ったり、医師が見放した重い病状が回復したり、遠距離にある特別な物を瞬時に取り寄せる事例など、科学では説明できない不思議な事例は膨大にある。
 時には何十人何百人もいる中で奇跡が行われるが、それらをイカサマだとか金を払って仕組んだヤラセだなどと断定することはできない。
 私の実父は新聞記者だったが、修行して真言宗の僧正になり、死者の霊魂を見ることや、外した蛍光灯に手をかざして点灯させることもできた。下山してからは心霊写真の研究をし、機関誌を発行していたが、人生相談では千人ぐらい「救った」そうだ。

 聖書には、姦淫をした女についてイエスが地面に何か字を書きながら、「罪なき者が最初に石を投げよ」と言った話があるが、そのイエスの不思議な行動を「自動書記」だろうとする解釈もある。ただ、古い写本に出てないこともあり、この話を扱わない牧師もいる。(ヨハネ8:8)

 knaino40ui.jpg  https://osusowake.hatenablog.com/entry/2014/07/17/153057 
 
 心霊現象については胡散臭げなオカルト本が目立つが、真摯な研究書も多数発行されている。私が読む精神世界の本は、霊の存在がチャネラーを介して語るものが多い(ちなみにバーソの名は霊的存在バーソロミューから採ったが、この名は十二使徒の一人バルトロマイと同じで、あだやおろそかにはできない名である(笑)。


 3.肉体と霊体を結んでいる見えない生命の紐「シルバーコード」がある。
 スピリチュアルでは、「霊の紐」が肉体と霊体(アストラル体)をつないで生命を維持していて、それが死後に切れるとしている。霊感を持つ者が見ると銀色に見えるので「シルバーコード」と言うのだが、霊能力を持っていたソクラテスも、この銀色の糸について自身の書で言及している。
 興味深いのは赤ちゃんにも母体とつながって生命を維持する「ヘソの緒(紐)」があり、それを誕生後に切ることだ。すなわち母体から赤ちゃんが誕生するときの現象と、肉体から霊体が誕生するときの現象とはまったく同じであり、「シルバーコード」も肉体から霊体が誕生するときに切れるのだ。[註5]

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 https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=25U05cQ7HCU

 紀元前の旧約聖書も類似のことを述べている。
 『伝道の書(コヘレトの書)』の最後の章には、若者が老いて死んだときの様子が比喩的に描写されている。(12章6,7節)
 「その後、銀の紐は切れ、金の皿は砕け、水がめは泉のかたわらで破れ、車は井戸のかたわらで砕ける。塵は、元のように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る
 このように聖書も、人には霊的な「銀の紐」があり、人が死んでその紐が切れると「霊」は創造者のもとに帰る(肉体から離れる)と述べているのだ。


 4.人が「霊の体」に生まれ変わることは、自然界の現象に表れている。
 麦が地上に落ちて芽を出し、実を付ける現象は、死と再生をよく表している。
 イエスは「一粒の麦が地に落ちて死ねば、多くの実を結ぶ」と述べた。(ヨハネ12:24) 麦の粒が死んで落ちれば、すなわち地に蒔かれれば、麦の形状はなくなるが、種(たね)の殻が裂け、新しい芽が出て、やがて実を付ける。
 イエスは一人の犠牲によって多くの人々が救われることを述べたのだが、植物の変わらざる生命の営みは、人間の生と死の繰り返しを示唆していると解釈できる。すなわち死とは霊の誕生であり、生命は死で一切が終わるのではなく、その後も続くのだ。

 昆虫の「羽化」も、人間の死と新たな霊の誕生をよく表している。
 古代ギリシア語「プシュケー」は「息」「命」そして「魂」を意味し、「蝶」とも解される。キリスト教信仰では、地を這う毛虫やイモムシが「変態」という過程を経て空中を飛翔する蝶に変化することを、信者が死んだ後に霊の体を着けて天界に再生することの比喩として使っている。

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 フランソワ・ジェラール 『アモルとプシュケ』(部分)1798年 頭上に蝶が舞っている。

 中世のエメラルド・タブレットに「上にある如く、下もまた然り」と書かれているように、この比喩のような動植物や人体という自然界の仕組みにも驚かされる。


 5.創造論を仮説と思えば、一切の自然現象をうまく説明できる。
 科学では「仮説」を立てて、その論理に矛盾がなければ大抵受け入れられ、実験や計算などで証明されれば科学上の「新発見」や「法則」となる。
 宇宙には創造者が在ると仮定すると、いまだ仮説である進化論やビッグバン説、超弦理論、ブラックホールなどの"原因者"の問題は一切解決する(のだが、創造論を認めるのは安易であり、学者の存在が不要になるので嫌われる)。

 特に科学上の知識は常に、古い概念が新しい概念に入れ替わっている。
 以前は宇宙空間は真空と思われていたが、分子や原子が電子とイオンにばらばらになった“プラズマ”状態にあり、マイナス273度という熱があることも分かった。
 二千年前のハスの実が花を咲かせた奇跡を見たり、DNAの精妙な仕組みを考えても、大自然には人間の知恵が及びもつかない叡智があることは誰でも分かる。

 
 2000年以上前の縄文時代の種から開花した「大賀ハス」制作:東京情報大学

 人間がたかだか7,80年か90年ちょっとを生きて、あとは無になるだけという無為無情なシステムを、叡智ある創造者が造るはずがない―――と推論すれば、見える世界もあれば見えない世界も当然あり得ると合理的に結論できるだろう。


 6.ほとんどの哲人・偉人は霊のことを認めている。イエスも天国を教えた。
 霊界の概念は古代エジプトから存在しており、古代ギリシャの哲学者ソクラテスやプラトン、ピタゴラスも霊魂の不滅を信じていた。キリスト教やイスラム教、仏教など、ほとんどの宗教は、天国や地獄といった霊界の存在を教えている。[註6]

                 

 私は霊界を見たこともなく、超常現象を体験したこともありません。今まで論じてきた人証や物証も100パーセント間違いないとは言い切れませんが、しかし「技あり」が多数あるので、霊の世界は"在る"とするほうの優勢勝ちでしょう。

 大自然の摂理は完璧に出来ています。
 地に在るものを見れば天に在るものを推測できます。
 非常に多くある状況証拠と、この自然界の人知を超えた摂理の霊妙を考えると、私は、"論理的な推考"によって「霊の世界が在る」ことを信じているのです。



【備考】――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
[註1] 論理的に真犯人を推論する探偵「シャーロック・ホームズ」を書いたコナン・ドイルが心霊に関心があったことは知られているが、死後に霊界からメッセージを出し、物品を空中移動させたこともあったそうだ。→クリック

[註2] 一定のパターンとは、1.死の宣告が聞こえる。2.心の安らぎと静けさを感じる。3.ブーンというような耳障りな音がする。4.暗いトンネルの中を通る。5.物質的肉体を離れる。6.死んだ親族などに出会う。7.神や自然光など光の生命に出会う。8.過去の人生が走馬灯のように見え、人生回顧をする。9.死後の世界との境界を見る。10.蘇生するという段階を経る。また、臨死体験後は人格の変化もあり、それは何気ない日常を評価するようになったり、他者への思いやりが増え、出世金儲けなどの関心が弱まり、精神的な強烈な渇きを覚えるようになり、死への恐怖が完全に克服され、人によっては予知やヒーリングができるようになる。→Wikipedia

[註3] 一例を挙げると、キンバリー・クラークによる研究では、心臓麻痺により病院の2階に運ばれたマリアが、体外離脱を起こして病院から抜け出した後、病院の3階の窓の外にあるテニスシューズを確認し、意識回復後に医師に報告した。医師が確認をしに3階に上がったところ、マリアの描写はシューズの色や形・細かな状態にいたるまで正確であることが判明。この「マリアとテニスシューズの例」は有名な体験例となりました(後に立花隆が、テニスシューズはマリアのいる病室などからは全く見えなかったことを確認している)同上Wikipedia。

[註4] 拙ブログの過去記事「宇宙の始まりはビックバンか。木内鶴彦さんの臨死体験」。→クリック

[註5] この記事はブログ『感銘を受けたシルバーバーチの霊訓』の「第二章『死』の現象」にある"シルバーコードとヘソの緒"の話に啓発を受けて書き始めました。 →クリック 明解でお勧めです。

[註6] 釈迦は「霊の世界」を肯定も否定もせず、むしろ人間の無知や現実の苦しみからの解放に焦点を当てた。「魂」と「地獄」の存在を否定する教団は、私の知る限り「ものみの塔聖書冊子協会」だけ。
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