人生は本当に学びか。宗教とスピリチュアルの考え方。a | barsoのブログ

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世の中に人生ほど面白いものは無し。いろいろな考えを知るは愉快なり痛快なり。
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  質問:人生は"学び"であると思いますか?

 


人生は学びだ。
人生は学びに似ている。
人生は学びなのか。
人生は学びかもしれない。
人生は学びの時もある。
人生は学びかどうかで悩む。

人生は学びと思うのがいい。
人生は学びと信じてみる。
人生は学びの結果である。
人生は学びの方法で決まる。
人生は学び以上だ。
人生は学びから逃げられない。

人生は学びかどうかなど問題じゃない。
人生は学びと思ってはいけない.
人生は学びなら短すぎる。
人生は学びなら愉しみがない。
人生は学び以下だ。
人生は学びではない。


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 人によって答えは様々でしょうが、多くの宗教やスピリチュアルは、人生は自己成長のための"学び"の場であると教えています。
 そうではないとしても、実際に人は観察や体験をすることで必要な知識やスキルを得て、能力や考え方や人格を向上させているでしょう。


 しかしながら、ここで一つ重要な疑問が生じます。
 すなわち、創造者または全能なる神が最初から人間を完全無欠に造ってあれば、そもそも人間は"学ぶ"必要などないはずだということです。
 あるいは 人類がホモ・サピエンスから進化したのなら、もう10万年から20万年は経っているのですから精神的にも進化し尽くして、みな聖人に近い立派な人間になっていてもいいはずです。

 しかしそうなってない原因を、キリスト教は「原罪」だとし、仏教は「欲望」だとし、学者は社会経済の複雑化のせいなどにしていますが、もう一つ別の考え方があります。
 それは、人間は「自由意志」を持つ特別な存在であり、だから自由に好きなように生き、その結果を刈り取っているということです(動物は基本的に「本能」で行動しています)。(※1)

                 ●

   多くの日本人は「自由」の有難みをあまり認識していません。
 日本はどこにでも自由に安全に行ける国です。日本に来る外人旅行客は、特に夜でも女性が一人で自由に歩けることや、小学生が一人で電車通学をしたり外で遊んでいることに、みな「あり得ない」と驚いています。
 日本ほど言論や思想の自由な国はありません。日本の象徴(天皇陛下)の肖像を焼いて足で踏みつける動画が、「表現の自由」として県の国際美術祭で展示されました。国を守る自衛隊は「人殺し
集団」と罵られ、スパイ防止法がない日本は「スパイ天国」と呼ばれています。SNSでは素人の部外者が言いたい放題です。

 しかし独裁国家では、思想や言論の「自由」が制限され、批判する者はすぐ投獄されたり粛清されます。共産主義の毛沢東は7800万人を殺し、スターリンは2300万人を殺したと推定されています。
 一党独裁のChinaでは、Googleや Facebookにはアクセスできません。「天安門事件」を検索しても自国のウェブサイトには出てきません。ロシアには「政権は暗殺によって交代する」という話があるそうで、いまは最高で懲役15年の言論統制が敷かれています。
 日頃、したり顔で「侵略されたら降伏したほうがいい」と言う知識人は、自由のない恐ろしさが分かってない能天気屋さんでしょう。

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                 ●

 「自由」は素晴らしい賜物であり、人間が持つ最大の特権です。
 感情のないロボットが設定通りに動くような四角四面のAI社会なら、人生はじつに味気なくなり、つらくなります。私は肺結核で体重が39kgまでに減ったとき、食べなければいけないとは思うものの、食欲が全然なく、何を食べても砂を噛むような味で、食事の味気なさ→つまらなさ→つらさを実感したことがあります。

 2001年のスピルバーグ監督映画『A.I.』は、少年ロボットが一日だけの命と引き換えに念願の人間(クローン)になり、最後は母と慕っていた女性の温かい愛を感じて死ぬ映画でしたが、愛情や感動を感じられない人生はじつに味気なく、つらいのです。

 しかし人間は、愛や優しさの他に、笑いや涙、喜びや悲しみ、許しや怒り、スリルやサスペンス、暑さや寒さといった多様な感情や感覚を味わえ、成功でも失敗でも、達成でも挫折でも、勤勉でも怠惰でも、どんな生き方でも自由にトライし、体験できるのですから、人生にこれ以上なにを求めることができるだろう?―――とは思いませんか。(※2)

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 人間は、自分が成りたい最高の(または無難な、あるいは勝手気ままな)自分になっていく過程で、その人なりの満足感や達成感を味わい、教訓をも学べるのですから、「自由」とはじつに貴重な恵まれた特権なのですね。(※3)

 聖書は「真理は人を自由にする」と述べています(ヨハネ8:32)。私はそう思っているので、ブログではいつも「自由」について書いています。






《備考》―――――――――――――――――――――――――――――――――
※1:病気や災害、事故などで悩み、苦しんでいる人を見ると胸が痛みますが、今回の話は、人生にはなぜ問題が次々に起こるか?を示す基本原理の説明のようなものです。生命(魂)は永遠に続き、人は何度でも生まれ変わるという認識がないなら納得し難いでしょう。この考えはニール・D・ウォルシュ著の『神との対話』をベースにしており、私が共感し、得心しているものです。

※2:何でも完璧にできる人生はつまらないでしょう。全員が全球ホールインワン、全球ホームラン、全球ナイスシュートでは、そんな球技はすぐ飽きてしまいます。
最初の人間とされるアダムとエバが、エデンの園にある禁じられた木の実(善悪の知識の木の果実)を取って食べようとしたとき、神が二人の行動を止めようとしなかったのは人間の「自由意思」を尊重したからです。(創世記 3:1-7)

※3:何でも「自由」といっても、「ただし、ひと様の迷惑にならない限り」です。これを忘れたら、単なる野放図な傍若無人種であり、馬鹿とか阿呆、たわけ、ぬけさく、あんぽんたん、はんかくさい、バカッターなどと言われます。(笑)

 


 画像はMicrosoft BingのImage Creatorを利用した生成AIによるものです。
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