山路を想いながら風景画の事を考えた。
智を働かせれば視点と構図を第一に考える。
情で描けば色遣いや筆のタッチが変わってくる。
意地を通せば他者との画法の違いにこだわりたくなる。
とかくに人の世は描きにくい。
世界の名画を観ていると、西洋には海の絵が少ない事に気づく。
日本人が海をよく描くのは、二柱の神が海原の中に国を造ったせいかも知れぬ。
海は広いな、大きいな。
月はのぼるし、日はしずむ。
こころ自由なる人間は大海に胸ときめかす。
潮のうねり果てしなく、現世(うつしよ)の様に似て、海は人の万感を写し出す。
David James “Wave” 1895
今回は、西洋の「海」の絵は、北斎の絵とどこが違うのかという話です。
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まずは西洋の名画から。
海は絶えず様々に表情を変える水の平面である。
海を間近で見たことのない人は、海を地平の彼方にまで続く紺碧の大平原と見る。
波の砕ける音や磯の香り、海のドラマや郷愁は知らないが、絵心をそそられた画
家は、そのフラットな水面の感情を読み取り、微妙な色彩と陰影で描き出すのだ。
クロード・モネ『印象、日の出』 1892年
ポール・シニヤック『微風 コンカルノー』1891年
エゴン・シーレ『トリエステ港』1907年
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海は水の塊と飛沫のたわむれである。
海とはすなわち波である。波は絶えず揺れ動き、泡立ち、地球の命の鼓動を示す。
それは二度と同じ姿を繰り返すことがなく、はかない瞬間の美しさを見せている。
画家は、寄せては返すその大波小波をどのように描くかに魂の全てを込めるのだ。
エドゥアール・マネ『 アンリ・ロシュフォールの逃亡』1881年
ピエール=オーギュスト・ルノワール『波』1879年
フィンセント・ファン・ゴッホ『サントマリーの海の風景』1888年
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海は母なる水の惑星のどよめきである。
海は人が大自然の力に敵わないことを自覚させられる修羅の場にもなる。大風が
吹き、海が荒れると、船も人もなす術がなく、奈落の底に引きずり込まれる。瞬
間を捉える写真機がない時代、画家は波の姿をイマジネーションで補って描いた。
ギュスターヴ・クールベ『波』1869年
ウィンスロー・ホーマー『ライフライン』1884年
アンリ・ルソー『嵐の中の船』1896年
以上は、海を写実風に描いており、極言すれば色彩とその塗り方が違う程度だが、
次は印象派の画家連中の度肝を抜いた本邦の絵。構図も感性も世界観も全く違う。
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海は奇想の感性が湧き起こる場である。
東の代表は北斎にとどめを刺す。海の絵でこれを超えるものは世界に無い。無数
の手を広げて人間に襲い掛かる波頭。波間に小さく佇む富士山。うねりに翻弄さ
れる舟上の人々は荒波とは対照的に無音硬直。構図の独創と大胆さは神の領域だ。
葛飾北斎『冨嶽三十六景』の「神奈川沖浪裏」1831-1833年頃
絵に崇高感があるのは訳がある。
万物の基本を成すものは丸と角
であるから、定規とぶんまわし
(コンパス)で作図の原理を教え
る、と北斎が自ら書いている。
←全体の構図は2本の対角線と
19の円弧によってほぼ決められ
ている。大波がせり上がってい
く曲線は、黄金比を使った螺旋
(らせん)形と一致している。
(中村英樹 著『新・北斎万華鏡』美術 出版社) → 出典
このとき、北斎七十二歳前後。
智と情の天与の才に、たゆまぬ努力の技を結集し、この不朽の傑作を描いている。
海よりも壮大な眺めがある。
それは大空である。
大空よりも壮大な眺めがある。
それは人間の魂の内部である。
――――ヴィクトル・ユーゴー(1802-1885)