江戸南町奉行の根岸鎮衛が書いた随筆『耳嚢』に珍談奇談が記録されている。
寛政七年(1795)秋、木星が月の内を抜け(て隠され)る木星蝕が起きた。
人々は、この天文現象はどんな吉凶の前兆か、と恐れ怪しんだ。
そこで奥医師の橘宗仙院が即妙な狂歌を詠んだ。
月の内に 星の一点 加うれば 目出度き文字の始めなりけり
「月」の字の底部に、一つの「星=点(ヽ)」を水平気味に加えれば、空きが左右
つながって「目」の字になる。「目」は「目出度い」言葉の始めというわけだ。
月による木星蝕ではないですが、木星の衛星が3つ影となっている珍しい写真です。
Rare Triple Eclipse on Jupiter (NASA, Hubble, 2003/28/04)
月に星が一点加わって目の字になる、このイキな話は「月も知ってる俺らの意気
地~」と歌われ、「吹けば飛ぶよな将棋の駒」※1の意外な話となりますよ。(笑)
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王の内に一点加うれば、ああ、宝玉の玉(ぎょく)となる。
世の中は「点」が有ると無いとで大違い、という話を将棋のルールで紹介します。
●王は、王将の他に、点のついた玉将もあり、棋譜では共に「ぎょく」と呼ぶ。
駒の由来は、平安時代の貴重品である金・銀・桂(肉桂・シナモン)・香(香料)か
ら来ていることを考えると、宝玉の「玉」が元の字であったと考えられる。※2
玉が王になった由来は、豊臣秀吉が「王は一人でよい」と言った説などがある。
●飛車と角行は、「飛ぶ車」と「角(四隅)に行ける」の意か、あるいは「馬車」
と「牛車」という意か。戦車や騎兵のように長距離を敏速に動ける強力な兵器。
●歩兵が勇敢に敵陣に入ると「と金」となり、「金将」と同じ働きが可能になる。
歩兵の裏側に書かれている「と」の字の由来については、幾つかの説がある。
・「歩」は「止」を2つ合わせた字で、「止」のくずし字は「と」である説。
・「金」のくずし字(草書体)である説。なるほど、銀や桂の裏はそう見える。
・「今」のくずし字説。万葉仮名では発音が同じなら、金を今(きん)と書けた。
・「と金」とは「鍍金」すなわちメッキの金のこと。作家・井沢元彦氏の説。
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●布陣は、最前列に歩兵、二列目に飛び道具、最後列に玉と金銀香の財宝がある。
玉以外の駒を捕ったり捕られたりして戦い、最後に相手の玉を降参させれば勝ち。
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人生はゲーム。相手を殺すまで戦うか、相手も活かすか。
●将棋がチェスと違う最大の点は、奪った駒を自軍の持ち駒として使えること。
戦後、占領軍のGHQから日本将棋連盟に呼び出しが掛かり、こう非難された。
「将棋はチェスとは違い、敵から奪った駒を自軍の兵として使う。これは捕虜虐
待という国際法違反であり、野蛮なゲームであるために禁止すべきである」
しかし関西本部長代理の升田幸三が、見事に反論して事なきを得た。
「チェスは捕虜を殺害している。これこそが捕虜虐待である。将棋は適材適所の
働き場所を与えている。常に駒が生きていて、それぞれの能力を尊重しようとす
る民主主義の正しい思想である。・・・・男女同権といっているが、チェスでは
キングが危機に陥った時にはクイーンを盾にしてまで逃げようとする」Wikipedia
●将棋は戦争ゲームというよりは、マネーゲームである。
井沢元彦氏の説がなかなか面白い。
「倒した相手の駒がゾンビのように復活して、
味方の持ち駒になるというルールは、日本人の
オリジナルで、世界中どこを探してもない。
『歩』という使用人と『飛車』『角行』という
ガードマンに守られた玉や金銀といった財宝を
奪い合うのが将棋。
将棋は、二つの陣営に分かれて経済戦争をして、
相手の基本財産の『玉』を差し押さえたら(つま
り追い詰めたら)勝ちというマネーゲームだ」
(『逆説の日本史8』第四章より要旨)
将棋が敵を殺さない独特のルールになった理由は、日本人
のケガレ思想と言霊思想があると言っている。※3
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では自分は、どのように人生のゲームをするか。
さて、人生では、王の座を獲たい、玉の富を得たいと思う人もいるでしょう。
人が力いっぱい生きた結果としてそうなるのは、別に悪くはないはずです。
自由主義の世の中では、勝者がいれば当然、敗者も生じますが、
大抵の人は、自分が敗者でなければ、それでいいと思って満足しています。
本当は、敗者とか負け組(嫌な言葉です!)を作らない社会が一番いいはずですが、
それが無理なら、せめて弱者を気遣う気持ちは忘れないでいたいものですね。
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《補足》 ※1:『王将』は村田英雄のヒット曲。作詞は西條 八十(やそ)で、さすがに
名歌詞です。
※2:『万葉集』巻五に、「銀(しろかね)も 金(くがね)も玉も 何せむに 勝れる宝
子に及(し)かめやも」という山上憶良の歌があり、玉が金銀と並んでいます。
※3:『ケガレ思想』とは、死や血、争いなどを忌む宗教的考え。敵の敗者を手厚く葬って
祀ることで、死者が怨恨ゆえに生者に災厄をもたらすことを避ける。『言霊(ことだま)思想』
とは、言葉は口から発すると現実化する力があるとする考え。これは忌み言葉を避けること。
☆参考書:根岸鎮衛(著)『耳嚢・中』長谷川強(校注) 岩波書店
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