能登半島地震 「能登に帰りたい」に、私はどう向き合うか | ソーシャルワーカー Ree-Roseのブログ

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医療・福祉現場で患者さん・ご家族の相談援助の仕事をしています。
時間の流れの中で自分を見失わないようにしたいと思い、ブログを始めました。

やさしいあなたへ

ご無沙汰ばかりしています。
能登半島地震から3ヶ月以上経過しました。

地震後、私はソーシャルワーカーとして勤務している病院、介護保険施設で、被災者の受け入れを行ってきました。

平日は職場で仕事をし、
休日に(行ける時ですが)ボランティアとして、
1.5次避難所に行くようにしています。
 




私が勤務している介護施設では、被災者を数名受け入れました。

入所された方の状況は様々です。

ある方は、自宅が全焼して体育館に避難したところ、コロナに染症し入院となりました。

病院も断水、建物は損壊、スタッフは不足、
食事は非常食でしのいでいる状況で、
入院医療の継続が困難となりました。

ある方は、入所していた施設の天井が落ちて窓ガラスが割れたため、
かろうじて過ごせる場所にマットを敷いて
雑魚寝をしていました。

退職した職員もおり人員不足や、
断水で入浴もできないまま過ごしていた方もいらっしゃいました。



受け入れ側の専門職としてしなければならないことは、まずいのちを守ることです。

そして、清潔な衣類や寝具、温かい食事など衣食住が整った環境を準備して、
疲れた心身をゆっくり休めていただくことです。

適切な医療・看護・介護の提供で、安心して療養していただけるよう支援計画を作成しました。


入所された方からは
「温かいとうもろこしのスープが身体に沁みた」「布団でゆっくり眠れた」
「涙流すより笑み多き日々を送りたい」といった声を聞くことができました。

また、
「能登に帰りたい」
「仮設住宅が完成したら家族と同居する」
「介護施設が再建されたら帰りたい」
「言葉が微妙に違う」
という言葉からは、
「家」というよりも、
能登という土地柄、住み慣れた地域で生活したいという強い思いを教えていただきました。
 
                ………………………

石川県は、災害関連死を防止するため、
被災地の施設入居者約1000人を、
能登を離れて被害の少ない金沢市など南部地域へ移送する計画を進めました。

また臨時避難所として1.5次避難所を設置しました。

ところが、県内の受け入れが限界を超え、富山、福井、岐阜、愛知まで、大規模な広域避難となりました。


ボランティアとして訪れている
1.5次避難所では、
2次避難所(ホテルや旅館)に移動できない「長期滞在者」が目立ちます。

県の依頼を受けて、ソーシャルワーカーとして
個別に面接してお話を伺うと、
病気や障がいで無理ができない、
電話がない、
年金が少なく経済的に困難、
身寄りがないなど、
震災前から何らかの脆弱性を抱えており、
留まらざるを得ない状況となっていることがわかります。
 


             - 1.5次避難所 -



- アリーナの中にテントが設置されています。中にはダンボールベッドが組み立てられています。 -




           - テントの中 カレンダーが切なくて- 




誰もが自分の選んだ場所で、
自分らしく生きていく権利があります。

今後の課題は、能登から離れて広域避難した方々が、希望をもって戻れるように、生活再建を進めることだと考えます。

医療機関の機能回復、福祉施設の再建、専門職の確保を基本に、
住まいや生業などを整えるまちづくりが求められます。


その一方で、復興に向けて、
能登は過疎高齢化、限界集落、
「いずれ人がいなくなると言われる地域に税金を投入すべきか」
という意見を耳にします。

しかし、主人公は、被災した方々です。

私は、
「能登に帰りたい」という
一人ひとりの声に寄り添い、支えるという
ソーシャルワーカーの基本姿勢に立ち、
仕事をしていきたいと思います。




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