そんなにいじめて楽しいのか?
相手の立場になって考えた事があるのだろうか?
いじめられている子は一生、いじめた君を恨むだろう。いじめた君を憎むだろう。
その場の雰囲気でどうか流されないで欲しい。
以下に書く事はフィクションかノンフィクションかは各自で判断して下さい。
そしていじめている君は想像の翼を羽ばたかせてよく考えて読んで欲しい。
私は中学時代にいじめられていました。
殴る、蹴る、物を壊される、お金を取られる、暴言など様々だった。
先生も見てみぬふり。助けてくれる大人は誰もいなかった。
しかし、救いは塾の先生だった。嫌なら学校に行かなければ良いと言う一言が救いだった。
死にたいとも思った事がある。でも、死んだら負けだと思い、思いとどまった。
そして何時か仕返しをしてやると心に誓った。
そして、いじめられた私は学校には必要最低限しか行かず、
勉強は塾で、社会勉強は親が教えてくれた。
なんとか高校に進学、そして努力して大学に進学。
そして起業して、今は社会的地位もそれなりにある。
そんな私は中学校の同窓会に参加した。
当時私をいじめていた人たちは、昇進出来ない駄目な社会人になっており、
会社に対する不平不満ばかりを言っていたので、いじめていたあなたたちらしい状態だと笑い飛ばした。
そして、そのいじめていた人が自分の会社の下請けで働いている事に気付く。
下請け会社の社長にはいじめられていた事を以前話した事が有り、今でも憎んでいるしチャンスがあれば復讐をしたい事を告げていた。
私の心の中で押さえきれない衝動にかられ、下請け会社の社長と話をした時に、以前いじめの話をしたが、私をいじめていた人があなたの会社で働いている事を知ってしまった事。
私の中で衝動が押さえられるか解らない、社長にひどい事をしてしまう前に取引を無くして欲しい旨を伝える。
確かに私の会社と取引が無くなると経営危機に陥るのは解っていたが、技術力があるので大丈夫だと思っての発言だったが、今思えば下請け会社の社長は違う意味で捉えたのだろう。
下請け会社の社長はいじめていた人を解雇するから取引継続を希望した。
私は熟考の末、社長がいじめていた人に事情を話す事を条件に了承した。
いじめていた人がどういう経緯で解雇されたかは私は知らないが、いじめていた人が私に対し連絡してきて、助けを求めて来たので、私もしくは私の会社との間で自分の処遇が決まった事は理解しているみたいだった。
私は素っ気なく助ける道理が無いと一蹴。
しかしいじめていた人は同じクラスだった等々、都合の良い言葉ばかりを並べてくる。
どうもいじめていた人は自分が私をいじめていた事を忘れている。
それは同窓会の時にも感じた事だったが・・・
そして私は切り出した。「助ける道理が無い」と言うのは、あなたが私をいじめていたからだと。
それを聞いたいじめていた人は絶句した。当時の事を今でも根に持っているのかと言った。
それを聞き、私は怒りを押さえながらニュースでいじめが話題になる度に、いじめられていた人たちは一生心に傷が残る事が伝えられているのに、自分の都合で話をしないで欲しいと伝える。
いじめていた人は諦めたのか、今度は私に罵声を浴びせた。
その罵声で私の中にあった「いじめていた人の家族を不幸にしてしまう」等々の心の葛藤が消え去って行った。
私は一言、今でもあなたの性根は変わっていないな、と。
その後のいじめていた人の近況は耳にしてたが、落ちるところまで落ちたと感じた。
しかし、この件で私の心の傷がいやされたと言う事は無い。
だが、社会的制裁も何も無くいじめていた人が生活している事は許しがたく、社会的制裁を受けた事で自分の中で区切りをつけられた事も事実だ。
「因果応報」一人の人、いや一つの家族を不幸にしたのだから、何時か自分に同じかそれ以上の不幸がやってくるだろう。でも、今日も社会的貢献が出来るように、従業員が幸せになれるように、会社を成長させる努力をしていこうと思う。