エイドリアン・ゴンザレス
カリフォルニア州出身。ベースボール・アメリカ誌
の高校生有望株ランキングでゴンザレスは26位にランクイン。2000年ドラフトでは、1巡目でフロリダ・マーリンズが指名。過去に高校生野手で全体1位指名を受けた選手には、ケン・グリフィー・ジュニア
やチッパー・ジョーンズ
、アレックス・ロドリゲス
など。ゴンザレスは「マネーの心配は一切しなかった。1巡目の、それもトップで指名されたのだから、それだけで十分だった」とマーリンズから提示された条件は度外視し、指名から1日後の6月6日に契約金300万ドルで入団
。
マーリンズ傘下のマイナーリーグで試合に出場。2001年にはA級でミッドウエストリーグMVPに選出。2002年はAA級。しかしシーズン終了後の12月に手首の手術を受けたため評価を下げたことや、当時マーリンズの一塁にはデレク・リー がいたことで、2003年、マーリンズは救援投手の補強を目指してトレードを模索。レンジャーズのウーゲット・ウービナを獲得するため、マーリンズは他のマイナー選手2人とともにゴンザレスを放出。7月11日にトレードが成立し、ゴンザレスはレンジャーズへ移籍。
2004年のシーズン開幕前に発表されたベースボール・アメリカ誌
の有望株ランキングで、ゴンザレスはレンジャーズ傘下での最高評価、2004年4月18日にメジャーデビュー。しかしレンジャーズの一塁には強打者マーク・テシェーラ
がいたため、2006年、ゴンザレスはトレードでサンディエゴ・パドレスへ移籍。
メキシコ系アメリカ人であるゴンザレスは、2006年春開催のワールド・ベースボール・クラシックでメキシコ代表入り、チーム全6試合中5試合に出場。4月3日の開幕戦には5番・一塁で先発出場。その後も出場を続け、月間打率は4月、5月は打率が2割台中盤と低迷したが、6月6日から6月26日にかけて17試合連続安打を記録し復調。打者に極めて不利とされるペトコ・パークを本拠地球場にしているにもかかわらず、最終的にはシーズン通算で打率3割4厘、24本塁打、82打点。
パドレスは、契約を2010年まで4年総額950万ドル(2011年のオプションを含めると総額1,500万ドル)で延長。
シーズン全162試合が終了した時点で打率2割7分9厘、29本塁打、96打点。この年はポストシーズン進出を争っていたパドレスとロッキーズが同率で並んでいたためにワンゲーム・プレーオフが開催。チームは8-9で敗れてポストシーズン進出を逃したものの、成績がレギュラーシーズンに含まれるこの試合でゴンザレスは満塁本塁打を含む3安打を放ち、滑り込みで成績を30本塁打・100打点を達成。30本塁打到達は、ペトコ・パーク移転後のパドレスでは史上初。
2008年は全162試合に出場し、打率2割7分9厘、36本塁打、119打点。7月にはオールスター 初選出・初出場を果たし、シーズン終了後にはゴールドグラブ賞も初受賞
。
2009年は打率2割7分7厘、40本塁打、99打点の活躍。ゴールドグラブ賞も連続受賞。
2010年は打率2割9分8厘、31本塁打、101打点と素晴らしい成績。チームもレギュラーシーズン最終日まで地区優勝を争うまでに・・・。
そして、以前からゴンザレスを狙っていたレッドソックスがトッププロスペクトのケーシー・ケリーら4人とゴンザレスをトレード。打線強化が課題だったレッドソックスにとってゴンザレスはうってつけの存在。ゴンザレスの活躍が地区優勝、リーグ優勝、ワールドシリーズ制覇に直結します。
そして大きな期待を背負ったゴンザレスは、打率3割3分8厘、27本塁打、117打点、213安打、ゴールデングラブ賞とシルバースラッガー賞をW受賞と活躍しますが、中盤に1発がなかなか出ず、30本を切ってしまいました。チームも大失速。
2012年は、ゴールデングラブ級の守備を誇るファーストからたびたびライトを守ることもありました。しかしチームは前年以上に低迷、自身もこの年から監督に就任したボビー・バレンタインとの確執が噂されていました。
8月25日、大型トレードでロサンゼルス・ドジャースへ移籍。シーズンでは打率2割9分9厘、18本塁打、108打点。
外角球にも逆らわず大きな打球が飛ばせる、いわゆる広角打法が持ち味で左打者ながらレフト方向にも大きな打球を飛ばせます。打者に不利なペトコパークを本拠にしながら、24本塁打、30本塁打、36本塁打、40本塁打、31本塁打を記録するなど、打者有利の球場やあるいは平均的な球場ならどれぐらい打つのか?と驚異の眼差しで見られています。「パワーはダウンした」と言われますが、そういった声を黙らせる活躍も期待したいですね。
<最終更新日 2013年1月19日>
