レッドソックスファンの好事家ブログ




ホーナス・ワグナー


The Flying Dutchmanの愛称を持ち、史上最高の遊撃手と評価する声もあります。


ペンシルベニア州生まれ。

炭鉱夫からマイナーリーグをへて、1897年にルイビル・カーネルズよりメジャーリーグデビュー、1年目は打率3割3分8厘をマーク。1988年、打率2割9分9厘、105打点、1899年、打率3割3分6厘、113打点、当時のカーネルズのオーナーが、カーネルズを売却、パイレーツを買収。カーネルズの中心選手を丸ごとパイレーツに移籍。1900年からはピッツバーグ・パイレーツでプレー。1900年、ワグナーは打率3割8分1厘、100打点で首位打者王冠2。1905年、プロスポーツ選手とスポーツ用品メーカーとの最初の契約例として、ルイヴィル・スラッガーバットを使用開始。私も使ってます!1909年にはワールドシリーズ制覇王冠1


1936年、アメリカ野球殿堂開設時の最初の殿堂入り選手。このときともに殿堂入りしたのはタイ・カッブベーブ・ルースクリスティー・マシューソンウォルター・ジョンソンピッツバーグ・パイレーツで初めて背番号33が永久欠番に指定。1952年されているが、ワグナーの現役時代は背番号がなく、この背番号は引退後の1933年から1951年まで、ワグナーが打撃コーチとしてパイレーツに現場復帰したときにつけていた背番号。


引退後は荒んだ生活を送っていたといい、アルコール依存症に陥っていたと言われています。これを見かねたパイレーツワグナーを打撃コーチとして現場復帰。当時ワグナーから指導を受けていたパイレーツの強打者、ラルフ・カイナーが自伝で「ワグナーは一つの店で飲んだら、次はまた別の店と渡り鳥のように酒を飲んでいたが、見ていて何とも悲しかった」と・・・。


現役当時のワグナーのベースボールカードがオークションベル等で高値で取引されることでも有名。これは1909年、あるタバコ会社タバコが自社製品に封入したベースボールカードで、直後に非喫煙者禁煙ワグナーが回収・廃棄を命じたために流通数が圧倒的に少ないため。タバコのオマケとしてベースボールカードが付けられたとき、子供がタバコを買ってカードを手に入れることを嘆き、カードの販売を差し止めを依頼。既に出回っている自分のカードを回収させ、その分の利益も補填。ワグナーのカードはほとんど出回っておらず、結果としてわずかなワグナーのカードには現在のオークションでも高値で取り引き。2007年2月28日には、オークションで235万ドルお金で売買。

首位打者8回、打点王5回、盗塁王5回の万能選手で有名だったワグナー。時にはマウンドに登ることもあったようです。通算成績は、3415安打、640二塁打、252三塁打、1732打点、通算打率3割2分7厘。史上最高の遊撃手はやはり万能選手だったんですね。


<最終更新日 2013年1月4日>