レッドソックスファンの好事家ブログ


私が「史上最高のショート」と考えているのがオマー・ビスケル


実はこの選手はすでに紹介しているんです。「イチロー感心、あの人なら・・・」 のあの人とはこのビスケルです。

1984年にドラフト外でシアトル・マリナーズと契約。1989年のオークランド・アスレチックスとの開幕戦にケン・グリフィー・ジュニア とともにメジャーデビュー。

1993年、アレックス・ロドリゲス が全米1位指名された直後の12月20日にトレードでクリーブランド・インディアンスへ移籍。若手の成長で全盛期を迎えつつあったインディアンスにあって、打っては貴重な繋ぎ役として、守ってはロベルト・アロマー とともに二遊間を形成。


1993年から2001年にかけて9年連続でゴールドグラブ賞を受賞し、その最中の1999年9月26日から2000年7月21日にかけてリーグ新記録となる95試合連続無失策を達成。ビスケルは本当に守備だけでお金を取れる選手です。日米野球でも来日。名手ぶりとホームランも見せてくれました。目

2004年オフにFAとなり、サンフランシスコ・ジャイアンツに3年1225万ドルで移籍。お金2005年は8月以降は失速したものの、シーズントータルでは打率2割7分1厘をマークし、5年ぶりの20盗塁以上となる24盗塁を記録し、失策数は2年ぶりの1桁となる8に抑え、5年ぶりのゴールドグラブ賞を受賞。38歳での受賞は遊撃手として最年長記録。

2006年にワールド・ベースボール・クラシックのベネズエラ代表に選出。また同年、終盤まで打率3割をキープし、2年連続11回目のゴールドグラブ賞を受賞

2007年はシーズン通しての打撃不振に見舞われたものの、4月27日に通算400二塁打、5月6日に通算2500安打を達成。5月13日には、それまでオジー・スミス が持っていた遊撃手としての通算併殺数記録(1590)を更新。アップ


7月3日のレッズ戦では、ルイス・アパリシオ (2583試合)、オジー・スミス(2511試合)に続き、史上3人目となる遊撃手として通算2500試合出場を果たし、同月21日のブルワーズ戦でスミスを抜き、遊撃手としての通算出場数歴代単独2位となり、2008年5月25日にアパリシオを抜き単独1位。アップ



2009年1月21日、テキサス・レンジャーズとマイナー契約。開幕メジャー入りし、6月25日にはルイス・アパリシオのもつベネズエラ人最多安打記録の2677本を更新。セカンドやサードも守るユーティーリティぶりを発揮。

1999年4月 - 2000年7月にはアメリカンリーグタイ記録の95試合連続無失策。2008年終了時点で遊撃手として歴代1位の2654試合出場、通算守備率は歴代1位(1000試合以上)の.984。ゴールドグラブ賞でもオジー・スミス(13回)に次ぐ11回。ベアハンドキャッチ(素手)もときおり見せたり、間一髪の場面では、素手キャッチ→そのままスローイングという軽業も・・・。また、4-6-5のダブルプレーを成立させたこともあります。4-6-3じゃないですよ・・・。ランナー1,2塁でヒットエンドランがかかってセカンドゴロ。セカンドからショートへ転送してフォースアウト。打者走者をアウトにするための一塁送球が間に合わないと判断したビスケルは空中で反転、サードへ送球。オーバーランしていた走者をアウトにしました。!!このように守備時の視野の広い選手です。


ビスケルイチロー ついてインタビュー。「三遊間への内野安打とニ遊間への内野安打、どちらを注意しているか?」について、ビスケル「二遊間だ」と即答。何故なら「三遊間に打たれた当たりをショートが捕って投げるようではイチローはセーフになっている。サードが捕ればアウトにできるチャンスがある。ニ遊間ならショートが捕ってアウトにしなければならない」と・・・。最後に「(イチローには)言うなよ」釘をさすコメントも・・・。彼には将来、絶対に守備コーチになってもらいたいですね。


2010年からはホワイトソックスでプレーすることに・・・。貴重な内野のユーティリティとして活躍します。その期待度はルイス・アパリシオの永久欠番11番を与えられるほど!アレクセイ・ラミレス らの教育係・相談役としても貴重な存在に!


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2012年はブルージェイズでプレー。この年限りで引退。

2013年1月30日、ロサンゼルス・エンゼルスの内野コーチに就任。

非常に多趣味な選手としても知られており、絵画に彫刻、ロックやサルサなどの音楽、果てはスタンド・アップ・コメディ(日本で言う漫才)など非常に幅広く、その趣味を活かし、自宅のデザインやジーンズ会社と提携してジーンズのデザインも手がけます。自伝も出版しているが、これが元で騒動が起こったことも・・・。


1997年、当時インディアンズのクローザーだったホセ・メサがワールドシリーズで救援に失敗したことを自伝の中で批判的に取り上げたことにメサが激怒。むかっ「10回会ったら10回ともぶつけてやる」などと物騒な発言を繰り返し、親友だったビスケルと絶交宣言をするなど二人の間は一気に険悪に。その後、移籍などで二人の対戦は中々巡ってこなかったが、2006年4月、メサの所属するコロラド・ロッキーズビスケルの所属するジャイアンツの対戦が実現し、宣言通り、メサビスケルにぶつけました。

曲者としても知られ、マリナーズアーサー・ローズが登板したとき、「ローズのピアスが光って邪魔だ」と審判に直訴。審判がローズに外すよう命じたことからローズビスケルに激怒プンプンローズは1球も投げないまま退場。そして、この試合。何とマリナーズは12点差をひっくり返され逆転負け・・・。


ビスケルの場合、その名手ぶりにばかり注目が行きますが、息の長い選手でヒットも量産。3000本安打達成は微妙ですが、殿堂入りは間違いでしょう。大好きな選手の一人でした。彼の守備は芸術!


<最終更新日 2013年6月16日>