レッドソックスファンの好事家ブログ





イチロー選手については知っている方も非常に多く、「あえて紹介するまでもない」とも思ったのですが、もはやシアトルだけでなく、全米を代表する大選手ですので紹介したいと思います。日本時代の成績、エピソードについては割愛します。

2001年、ポスティング制度を利用して、シアトル・マリナーズに移籍。 当初は、日本人野手がメジャーで通用するのか疑問視する声が多くありました。マリナーズの番記者は、日本でのイチローのビデオを見て、「ピッチャーが投げるすべての球に反応して動き、バッターボックスでふらついているようにも見えた。球をたたくように打ち、すぐさま走り出すスタイルは、メジャーリーグの投手と野手が相手では歯が立たないだろう。そのうえ、パワーもなさそうだった」と述べ、当時のマリナーズの監督だったルー・ピネラも、「打率は2割8分から3割、盗塁は25から30」とそこまで大きな期待をかけていませんでした。その後の活躍で、このことを取り沙汰するファンは皆無。前述の番記者も、シーズン開幕から1か月半後の『シアトル・タイムズ』紙に、「お詫び」のコラムを掲載。

開幕戦でいきなりマルチヒットを放ち、その後も順調にヒットを積み重ねます。MLBオールスターゲームでのファン投票では337万票を獲得し、日本からの68万票を差し引いても両リーグ通じて1位となるなど、アメリカにおいても高い評価。この年、1930年のビル・テリー(ジャイアンツ)以来となるシーズン242安打を放ち、メジャーリーグのルーキー最多安打記録を更新するとともに、アメリカンリーグの新人王・MVP・首位打者・盗塁王王冠1首位打者と盗塁王を同時に獲得したのは1949年のジャッキー・ロビンソン 以来2人目、新人でアメリカンリーグの打撃部門を制したのは1964年ミネソタ・ツインズトニー・オリバ以来2人目。安打試合数の135試合はロジャース・ホーンスビーチャック・クラインウェイド・ボッグスデレック・ジーター ら4人と並ぶメジャータイ記録で、単打192と打数692はアメリカンリーグ新人記録。新人王とMVPに同時に選出されたのはイチローのほかには1975年のフレッド・リンのみであり、新人王と打撃タイトルの同時受賞はトニー・オリバ(首位打者)、ジャッキー・ロビンソンビンス・コールマン(盗塁王)、ウォルト・ドロポ(打点王)、マーク・マグワイア (本塁打王)以来6人目。当時、イチローの安打数が200を超えたあたりから、メディアでは「ルーキー最多安打記録」が話題になったため、リーグ機構が1947年に制定したルーキー資格を基に、過去の打撃記録を調べ直した結果、1911年にシューレス・ジョー・ジャクソン が記録した「233安打」に訂正さ。

そのほかにも、127得点で両リーグを通じて1位を記録。新人王・MVP・首位打者・盗塁王・シルバースラッガー賞・ゴールドグラブ賞を同時に手にしたのはメジャーリーグ史上、イチローのみ王冠1記録的な活躍でチームのプレーオフ進出に貢献。

2002年、投手から警戒されるようになり、リーグ最多の27敬遠を記録。四球も前年の30から68に倍増。リーグ4位の打率を残し、208安打を打つも、最多安打にはあと1本及びませんでした。
2003年、5月にはメジャー通算500本安打を達成。7月には、新人から3年連続でオールスターファン投票両リーグ最多得票を獲得。これは、新人からという注釈を外してもケン・グリフィー・ジュニア 以来史上2人目の快挙クラッカーであり、メジャーリーグのスター選手の地位を確固たるものとしました。
2004年 、84年間破られることのなかったジョージ・シスラーの257安打を5本上回る262安打を記録クラッカー同時に打率3割7分2厘を残し、メジャーでは3年ぶり2度目の首位打者。この記録は内外で高い評価を受け、アメリカでは多くの新聞でその偉業を称える記事が掲載され、『USAトゥデイ』紙にもバリー・ボンズ が700号ホームランを打った時以来の全面広告でメジャーリーグが祝福クラッカーの意を表しました。史上8人目となるコミッショナー特別表彰を受け、アメリカ野球殿堂には特別ブースが用意されました。日本からは正力松太郎賞特別賞が授与。 得点圏打率、敬遠数、出塁数でもリーグ1位を記録。7月にシーズン2度の月間50本安打を達成、ジョー・メドウィック以来68年ぶりの快挙。8月に球団記録のアレックス・ロドリゲス の月間54本安打を更新し、68年ぶりにロイ・ウェザリーの月間56本安打のタイ記録。通算4度の月間50本安打はピート・ローズ に並び、他に、2か月連続50本安打とシーズン3度の月間50本安打の記録を樹立。9月、ビル・テリーの連続4シーズン918本安打も更新。
2005年、メジャーでは自己最多となるシーズン15本塁打を記録。通算記録では日本人選手として初めてメジャーリーグ1000本安打を達成。これは出場696試合目での達成であり、1933年のチャック・クライン(683試合)、1932年のロイド・ウェイナー(686試合)に次いで1900年以降3番目のスピード記録。
2006年5月、メジャー通算200盗塁を達成、その翌日には日米通算400盗塁を達成。6月、日米通算2500本安打を達成。7月26日に戦後最多となるウェイド・ボッグスの連続6シーズン通算1274本安打を更新。8月16日にロジャース・ホーンスビーが持つ連続6シーズン最多安打1296本を超え、8月29日にはメジャー通算400マルチヒットを928試合目で達成。これは6年目ではメジャー最速。9月には19世紀以降最多となるウィリー・キーラーの連続6シーズン通算1313本安打を更新。9月7日に日米通算800マルチヒットも達成。9月9日、ジョージ・シスラー が持つ6シーズン最多安打1317本安打を超え、一週間後の9月16日、ロイヤルズ戦でメジャーリーグ史上3人目となる6年連続200安打を達成。この試合において三盗を成功させたことで33連続盗塁成功となり、アメリカンリーグ新記録も達成。満33歳になるこのシーズンに自己3番目の記録となる45盗塁を残し、盗塁成功率.957を記録。1シーズンの連続盗塁成功は39まで伸ばしました。メジャー通算100敬遠と日米通算200敬遠も達成。

2007年 5月3日、41連続盗塁成功を達成して、シーズンを跨いでのアメリカンリーグ連続盗塁成功記録を更新。5月16日にアメリカンリーグ記録を45まで伸ばします。7月5日、56試合中53試合に安打を放って、」ジョージ・シスラータイ・カッブに並びます。7月8日、戦後最多となるウェイド・ボッグスの連続7シーズン通算1479本安打を更新。 7月11日、7年連続で出場したオールスターゲームにおいてオールスター史上初のランニングホームラン。同試合ではこのランニングホームランを含む3打数3安打2打点を記録し、オールスターMVPを受賞。王冠17月17日には、1901年以降最多となるビル・テリーが持つ連続7シーズン最多安打1487本安打を超え、8月17日に19世紀以降最多となるジェシー・バーケットが持つ連続7シーズン最多安打1526本安打を超えました。9月3日のニューヨーク・ヤンキース戦ではロジャー・クレメンス から本塁打を放ち、7年連続200安打を達成。センターとしてシーズンを過ごしゴールドグラブ賞を受賞クラッカー。 リーグ2位の打率3割5分1厘を記録。2001年以来2度目となるシルバースラッガー賞を受賞クラッカー
2007年5月のタンパベイ・デビルレイズ(現タンパベイ・レイズ)戦前には、イチローは“自分勝手な(selfish)”選手だとの声がチーム内で聞かれ始めたことを受けて、当時の監督マイク・ハーグローブが急遽ミーティング、2008年には『シアトル・タイムズ』紙が、「“信じ難い人数のチームメートがイチローを嫌って”おり、彼らが『イチローを”殴り倒してやりたい”』と話していたのを耳にした」と言う内部者の話を掲載。それを知った当時の監督ジョン・マクラーレンによってミーティングが開かれ、未遂に終わったというが、記事掲載当時の監督代行ジム・リグルマンJ.J.プッツがこれを否定し、イチローを擁護。

2008年6月7日、戦後最多となるウェイド・ボッグスの連続8シーズン通算1666本安打を更新。6月11日にメジャー通算300盗塁を達成し、5日後に日米通算500盗塁を達成。6月21日にはポール・ウェイナーが持つ連続8シーズン最多安打1680本安打を超え、7月27日には19世紀以降最多となるウィリー・キーラーが持つ連続8シーズン最多安打1719本安打を更新。7月30日、日米通算3000本安打を達成。 9月17日、ロイヤルズ戦で8年連続200安打を達成。ウィリー・キーラーが1894年から1901年にかけて記録して以来、107年ぶりの記録を達成。9月26日のアスレチックス戦では8年連続100得点を達成。同一シーズンでの200本安打100得点を8回記録したのはルー・ゲーリック以来2人目、連続記録としては史上初。シーズンを両リーグトップタイの213安打で終了し、メジャータイ記録となる3年連続最多安打、史上初となる3年連続両リーグ最多安打を記録。シーズンを終えての連続記録を「打率3割」「200安打」「100得点」「30盗塁」「オールスター選出」「ゴールドグラブ賞」について8年連続としました。
2008年には、カルロス・シルバ「(チームが負けても)ヒットを2本打てば『今日は僕の(活躍の)日でしたね』なんて言ってる奴がいる」という発言が、「イチローを批判している」と解釈され、日米のメディアで物議を醸します。シルバってどこかのチームのためになったことってあるの?。チームメイトのライアン・ローランドスミスは、イチローはクラブハウスでとても尊敬されている」と述べ、「真のプロフェッショナル」、「特別な選手」として絶賛すると共に、イチロー批判を行った選手を非難。2009年に新加入したケン・グリフィー・ジュニアマイク・スウィーニー のベテラン2選手からも人望が厚く、スウィーニー「彼がいないのはとても寂しいこと。」、元監督ジョン・マクラーレンは、グリフィーイチローの関係がマリナーズのクラブハウスに平和と一体感を呼び戻すのに重要な役割を果たすだろうと指摘。第2回WBC 終了後には、ESPNが「WBCで新たなイチローが姿を現した」と題した記事を掲載し、「チームの雲の上の存在にならずに、歯車として働いた。」として、チームリーダーとしての新境地を見せたイチローを評価。 2009年シーズンは、グリフィーの存在によりチームメイトとも打ち解け、ドン・ワカマツ監督は前年に存在したイチローに対する敵意は消滅したと語りました。2009年7月、イチローはシアトル・タイムズ紙の独占インタビューに応じ、「昨年のクラブハウスの、イチローへの反感」については、「正直言って、僕はよくわからない。去年から今年にかけて、僕自身は何も変わっていない。言えることは、新しい選手が入ってきたということ。そして、監督も新しくなった。去年あったことは、もう存在しない」と語りました。

2009年、ワールド・ベースボール・クラシックに出場し、打撃不振に苦しむも、決勝戦で値千金の決勝打を放ち、日本代表の連覇に大きく貢献。王冠1大会終了後はマリナーズに合流してオープン戦数試合に出場し、極度の疲労により体調を崩し、4月3日に精密検査を受けた結果、胃に出血性の潰瘍が認められ、自身初の故障者リスト(DL)入り。 4月15日のエンゼルス戦で、生涯通算安打の日本記録となる3085安打目を満塁本塁打で記録。同時に日米通算1000打点も達成。当日は「ジャッキー・ロビンソン・デー」だったこともあり、普段は背番号51のイチローも、この日だけは背番号を42に変更して出場。翌日4月16日には3086安打目をライト前に放ち、記録を更新。 7月28日、ブルージェイズ戦にて3対3の同点で迎えた9回、2アウト満塁の場面で自身メジャー初となるサヨナラ打を記録。9月8日、メジャー通算2000本安打をアル・シモンズの持つ最速記録1390試合に次いで史上2番目の速さとなる1402試合目で達成。9月15日にはメジャー史上初となる9年連続200本安打を達成。9月17日、ホワイトソックス戦にて延長14回の場面で自身メジャー2度目のサヨナラ打を記録。さらに翌日の9月18日、ヤンキース戦にて1-2で迎えた9回裏、2アウト2塁の場面でマリアーノ・リベラ から自身メジャー初となる逆転サヨナラ本塁打を記録。9月26日、ブルージェイズ戦での5回、1死三塁のチャンスで回った第3打席、2ストライクからの外角球を見逃すと判定はストライク。この判定にバットでボールの通過地点を示すなどして抗議したイチローは、日米通じて自身初の退場処分。 ジョー・マウアー と首位打者争いを繰り広げ、リーグ2位の打率3割5分2厘と、メジャー史上初となる4年連続最多安打を記録。自身3度目の最多敬遠も記録し、2007年以来3度目となるシルバー・スラッガー賞を受賞。
2010年、メジャー通算1000得点を達成。クラッカー9月には日本プロ野球選手経験者として史上初となる日米通算3500安打を記録。10年連続200本安打も達成。クラッカー通算での200本10回はピート・ローズと並ぶ大リーグ史上2人目、10年連続は史上初の記録。シーズンを終えて「打率3割以上」「200安打以上」「オールスター選出」「ゴールドグラブ受賞」は10年連続。シーズンでは、214安打、3割1分5厘、42盗塁。
4月2日のオークランド・アスレチックス戦で、エドガー・マルチネス の持つ球団最多安打記録を更新するメジャー通算2248安打を達成。6月15日のエンゼルス戦でメジャー通算400盗塁および日米通算600盗塁を記録、シーズンを通しては自身初となる2年連続40盗塁を達成クラッカー。また、9月8日のロイヤルズ戦ではメジャー通算36本目の初回先頭打者本塁打でボビー・ボンズ を上回る歴代6位。しかし結局5月以降は一度も月間打率3割を記録出来ないまま、打率2割7分2厘、184安打。極度の不振により、各メディアからは「年齢による力の衰え」、「今季は期待外れに終わった」とする不本意なシーズン。不振の要因として、「スピードの衰え」や「視力の低下」、「不運」、「一塁に到達するまでのスピードが平均3.9秒になった」とする声や、「右方向へのゴロが多かった」、「好守によって阻まれたヒットが多い」、「ボール球に手を出す確率が高くなった」などと様々な声が上がりました。
2012年7月23日、トレードでニューヨーク・ヤンキースへ移籍。

イチローのバッティングスタイルは、変化球を打ちにいき、直球を“詰まりながら”内野と外野に落とすというもの。または、あえて相手投手の決め球を狙い打ち目アメリカのメディアに「走りながら打っている」、「走りながら打つ忙しい選手」などと言われるように、左打者でスイングから走り始めるまでの一連の動作が速い分、一塁への到達時間が短く、バッティングフォームが「打った直後、すでに右足が一塁を向いている」ため、俊足と相まって他の選手ならばアウトになるような内野ゴロが安打になることが多く、このような内野安打は「狙って打っている」と語っています、イチローの高打率は、内野安打を打つ技術に裏打ちされています。ホームベースから走って1塁までの到達する時間は約3.7秒、メジャートップクラス。

「打率は変動するが、安打は積み重ねることができる」との理由から、打率よりも安打数を重視し、四球を望まず積極的に打ちにいくタイプで、三振・四球ともに少ない打者です。ただ敬遠の数は多く、年10回以上されることが多々あり、通算でも200個を超えています。書籍『イチローイズム』では、著者の「シーズンを終えて『199安打で4割』と『ジョージ・シスラーのメジャー記録を上回る258安打で、3割9分9厘』、イチローはどちらを望むのか」という質問に対し、「僕が210本のヒットを打った94年に、よく訊かれたことがあるんです。それは、『199本で4割ピッタリだったとして、次の打席はどうするか』ということだったのですが、いつも決まってこう答えていました。『決まり切ったこと、訊かないでください』と。もちろんそれは今も変わりません」と。2005年は年間最多安打記録を更新した翌年だけに打率4割を期待する声も強かったが、『ニューヨーク・タイムズ』紙はイチローのバッティングスタイルを考慮し、4割の大台達成よりもむしろジョー・ディマジオ の持つ56試合連続安打記録を塗り替えるほうが現実的との見解。対して本人はインタビューでの『打率4割とメジャー最長記録である56試合連続安打、どちらのほうが達成は難しいか』という問いで、56試合連続安打のほうを選択。打席に入ると背筋を伸ばし、やや後傾気味に重心を取り、右手でバットを垂直に揃え、左手を右上腕部に添える動作を行います。これは眼の焦点をスコアボードに合わせた後、バットへ焦点を変えることによって、ボールに対する動体視力を一時的に上げる効果があると言われています。この特徴的な動作と、バットコントロールの巧みさからイチローのバットはメジャーで「magic wand(『魔法の杖』の意)」と称されています。メジャーリーグ移籍直後は日本より数段速いと言われるメジャーの直球に対応するため、ハイキックをやめてオープンスタンスを採用するなど、変化を続けるバッティングフォーム、2004年シーズン中である6月24日の夜に行ったフォーム改造で、「<小さい頃に野球をやっていた時に感じたのと、近い感覚が戻ってきた」と。このシーズン、メジャー記録となる262安打。2005年からは、四球の数こそ増えないものの、待球により、球数は増えています。2007年からは内角対策のために猫背になることがある。2008年は自分のストライクゾーンを狭めて悪球打ちをせず、ストライクゾーンに来た球だけを振るようにしたことにより、四球が若干増加。

2001年のメジャーデビュー当初、元マリナーズのチームメイトであったジョン・オルルッドイチローの打撃について5通りの打ち方をすると評します。1つ目はランニング・ワン・ハンダー(半分走りながら片手で打つ)、2つ目はザ・リーナー(ボールに寄りかかりながら打つ)、3つ目はフィストカフ・スイング(なぐりつけるように流し打つ)、4つ目はチップ・スイング(ゴルフのチップショットのように打つ)、5つ目はパワースイング(力で引っ張るバッティング)。


2006年に行われたメジャーリーガー415人による投票「最も肩が強い外野手」で48%の得票率を占め1位。強肩に加え、レーザービーム」と称されるコントロールのいいスローイングのため、他球団からは最もタッチアップしにくい外野手に名前を挙げられています。この守備はメジャーでも高い評価を受け、ゴールドグラブ賞を2001年~2009年の9年連続で受賞。広範囲な守備と強肩のため、イチローの守備範囲に納まる打球は三塁打が二塁打になったり、犠牲フライが併殺外野フライになります。この事からイチローの守備する右翼は、その背番号と超常現象がよく確認されるというネバダ州の米軍秘密地区に掛けて、エリア51」ナゾの人と称されていました。

レーザービーム」は、2001年4月13日のアスレチックス戦で、ライトヒットで三進を試みた一塁走者のテレンス・ロングを正確かつ力強い送球で三塁に補殺した際、実況アナウンサーであったリック・リズが「イチローからのレーザービーム攻撃だ!」と叫んだことに由来します。インパクトのある送球を全般的に"the Throw" と表現することが多く、この時の送球もそう表現されています。背走しながら難しい打球をキャッチするのを「the catch」というのと同じですね。別名:ウィリー・メイズ・キャッチ)

2005年5月2日のエンゼルス戦の7回表で、ギャレット・アンダーソン が打ったホームラン性の球を、フェンスをよじ登ってキャッチ。スパイダーマンのように壁を駆け上がって捕ったとアメリカメディアが報道したため、スパイダーマンキャッチ」と称されました。


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1995年と2001年に最多盗塁のタイトルを獲得し、メジャーでは毎年30盗塁以上を記録。盗塁は成功率を重視し、盗塁数を増やすことはそれほど重視していないとコメントしており、特に2006年頃からはクイックモーションや警戒の不充分な相手投手を選んで盗塁するスタイル。盗塁数に関しては、年間30から40の間が理想だともコメントしており、2008年シーズンは70試合の時点で30盗塁を稼ぐなど一時は年間70盗塁を超えるペースであったが、中盤から極端に企図数が減り、最終的に40台。マリナーズ首脳陣からは、自分の判断で自由に盗塁できる権利(いわゆる「グリーンライト」)を与えられています。

「走塁は打撃や守備よりも難しい」と口にしており、その理由として、「打撃は成功率が良くて3割強だが、走塁は成功率が10割に近くないといけない」こと、「走塁は、野手の肩や芝生の状態などといったことをすべて考え、それらを踏まえた上で瞬間的な判断をしなければならないから難しい」。

怪盗塁や進塁の際アウトになる危険性が高いと判断したときには、トップスピードでのスライディングから急停止して野手のタッチのタイミングを外す高度なフェイントを見せることがあります。


アメリカの野球専門誌『ベースボール・アメリカ』に掲載された大リーグ30球団の監督による「Best Tools」投票で、イチローは2003年に「ベスト・ヒッター」「ベスト・バンター」「ベスト・ベースランナー」「最速ベースランナー」「守備部門ベスト外野手」「ベスト強肩外野手」「最もエキサイティングな選手」の7部門でトップ。2006年の投票では最もエキサイティングな選手」「最もバントが上手い選手」で1位、「最高の打者」「最高の走者」で2位、最も俊足のベースランナー」で3位に選出。2007年の投票でも、「ベスト・ヒッター」「ベスト・バンター」「ベスト・ベースランナー」「最もエキサイティングな選手」「守備部門ベスト外野手」「ベスト強肩外野手」で1位に、最速ベースランナー」で2位に選ばれるなど、メジャーリーグの監督から高い評価。2008年のメジャーリーグスカウトによる投票でも、「ベスト・ヒッター」「ベスト・バットコントロール」「守備部門ベスト外野手」「ベスト強肩外野手」「ベスト・ベースランナー」の5部門で1位に、「ベスト・バンター」「最速ランナー」「ベスト・スティーラー」でも2位に選ばれるなど高評価。また、同誌は2005年のMLB特集記事において、イチロー「理想の1番打者」と評しています。アジア系アメリカ人向けのニュースサイト「goldsea.com」は、2002年に「アメリカで最も感動を与えてくれるアジアのスポーツスター」のランキングを発表し、野茂英雄らを抑えてイチローを1位に選出。第1回WBC終了時には、米スポーツ専門ケーブル局『ESPN』のコラムニストがイチローを絶賛し、「イチローを見られるのは、私たちに与えられた特権」と評し、将来の殿堂入りについても言及 。MLB公式サイトは、2009年7月21日にイチローの特集記事を掲載し、「日本人初の殿堂入りは決まったも同然」と位置付け。ESPNではディケード(10年)・ベストプレーヤーにアルバート・プホルスアレックス・ロドリゲスバリー・ボンズに次ぐ5位にイチローを選出。「ザ・スポーティング・ニューズ」誌のディケード・ベストナインにはバリー・ボンズマニー・ラミレス とともに外野手部門で選出。


地元シアトルでは非常に人気が高く、熱心なマリナーズファンのみならず、現地の子供達の間でも、スーパースター的な位置づけを受けています。2007年には、シアトルの地元紙が企画したファン投票で、地元選手の人気第1位。 2005年にスーパーボウル進出を果たしたNFLチーム、シアトル・シーホークスでリーグMVPに輝いたRBショーン・アレキサンダーをも凌ぐ快挙に、球団マーケティング担当重役もあらためてイチローの存在感に驚かされたそうです。同年には、ESPNがウェブサイト上で実施した「あなたが理想とする打順は?」というファン投票では、「理想の1、2番打者」の項目でおよそ39%の支持を集め、デレク・ジーター (ヤンキース)を抑えてトップ。更に、米国のスポーツ専門誌本「Sporting News」が発表した、米大リーグ488選手らの投票によるオールスターにも、アメリカンリーグ外野手部門で選出。2008年には、米4大ネットワークのひとつ、FOXが各ポジション別に現時点で最高のプレーヤーを選出、イチローはメジャー最高の中堅手に選出。打者に不利なセーフコフィールドを本拠地としながらも高打率をマークしたことに加え、広い守備範囲と強肩でディフェンス面でも最高の中堅手であり、走攻守すべてを絶賛。2007年のオールスターゲームでMVPを獲得した際には、ニューヨーク・タイムズメモなどの米主要メディアが、こぞってトップニュースで報じ、「だれもイチローを倒せない」、「歴史をつくった」と賛辞。2008年3月には、スポーツ総合誌「ESPN」の10周年記念特集号本で、「この10年で最もスポーツ界にインパクトを与えた10人のアスリート」に選出。 通算3,141安打のトニー・グウィン は、「彼のおかげで、みんながコンタクトヒッターの価値を再認識するようになった。」と高く評価。



ヤンキースホルヘ・ポサーダイチローをメジャーリーグでもトップ5に入る選手だと語り、同じくヤンキースアレックス・ロドリゲスは、2006年のオールスターゲームの際に、イチローに対して「試合前の調整法を教えて欲しい」として、合同練習を申し込んだ。レッドソックス在籍時のマニー・ラミレスイチロー「カーブのときに体が突っ込んでしまうんだが・・・」と相談。イチローはそれに対し右足の角度が気になる」と指摘。そのアドバイスが功を奏したのか、マニーは首位打者に・・・。同僚のジャロッド・ウォッシュバーン「(イチローは)何でもできるから、もう何をやっても驚かない」「だが、(手の内を)全部見たと思っても、また違う何かをやってみせる」と。




彼がニューヨークやボストン、ロサンゼルスやサンフランシスコにいたらもっと騒がれていた」という声もあります。元々、エドガー・マルチネスジョン・オルルッドなど静かなベテランが多かったチームに入ったイチロー。彼の出塁を活かせる選手とともに、穏やかなベテラン選手の存在もイチロー選手にとって不可欠ですね。ヤンキースならば・・・。


ヒットを打ち続けるイチロー選手。最初からアメリカに来ていれば・・・」という声も「ヒットのペースはアメリカの方が早い」と意に介さず。2011年の成績は不安ですが、巻き返して彼ならMLBで3000本も打てそうな気がします。何歳まで現役でやれるでしょうか・・・。また、その頃に、どこまで数字を積み上げているのか?



<最終更新日 2012年9月17日>