レッドソックスファンの好事家ブログ






フランク・トーマス

愛称はビッグ・ハート(Big Hurt)パンチ!

高校時代からアメリカンフットボールと野球の注目選手だったトーマスは、フットボールの名門校であるオーバーン大学学校にスポーツ奨学生として進学。フットボールをプレーしたのは1年足らずでその後は野球に専念。1989年にはサウスイースタン・カンファレンスの最優秀選手に選出され、大学時代の通算49本塁打は学校新記録。


1989年、ドラフト1巡目指名でシカゴ・ホワイトソックスに入団。1990年はAA級で109試合に出場し、打率3割2分3厘・18本塁打・71打点を記録し、ベースボール・アメリカ・マイナーリーグ年間最優秀選手賞を受賞。王冠1シーズン途中にメジャーデビューを果たすと、60試合の出場ながら打率3割3分、7本塁打、31打点の成績を残しました。

1991年は打率3割1分8厘・32本塁打・109打点を記録し、シルバースラッガー賞を受賞。9月28日のマリナーズ戦でシーズン最多四球球団記録127を60年ぶりに更新し、記録を最終的に138まで伸ばします。

1992年は本塁打が24本、打率3割2分3厘・115打点、46二塁打はリーグ1位、球団新記録。四球数はリーグ最多の122を記録し、球団史上初めて2年連続で100四球を達成。

1993年は球団新記録となる41本塁打を放ち、チームの地区優勝に貢献。自身も初のMVP満票で受賞王冠1。1994年はシーズン開幕から本塁打を量産。オールスター前までに32本塁打を放ち、8月7日には球団史上最速で100打点に達した。結局ストライキの影響で8月10日の試合を最後にシーズンを終え、113試合の出場にとどまったものの打率3割5分3厘・38本塁打・101打点を記録。2年連続でMVPにアップ。アメリカンリーグでの2年連続のMVP受賞はロジャー・マリス 以来。

1996年、2年連続で40本塁打を達成し、打率3割4分9厘アレックス・ロドリゲス に次ぐリーグ2位。1997年は打率3割4分7厘で首位打者を獲得。7年連続で3割・20本塁打・100打点・100得点・100四球を記録し、テッド・ウィリアムズ の6回のメジャー記録を更新。翌1998年は109得点・109打点・110四球をマークしたが打率が.265と前年から8分以上も悪化。

1999年には怪我のため病院デビュー年以来9年ぶりに20本塁打・100打点を下回ったものの、4月17日に通算1,000四球、6月6日に1,000打点、6月24日に通算1,500本安打、8月7日に通算300本塁打と次々に大台を突破。アップ2000年には再び打棒が復活。チームも7年ぶりの地区優勝を果たし、MVPはジェイソン・ジアンビに次ぐ2位に入り、打率3割2分8厘、43本塁打、143打点と本塁打、打点でキャリアハイの成績を残し、7月14日には球団記録である通算1116打点を50年ぶりに更新。シルバースラッガー賞とカムバック賞を受賞。

2001年は怪我で4月27日を最後にシーズンを終え、以後打率面において衰えが目立つようになり、度重なる故障からシーズンフルに出場することが難しくなります。病院2003年はリーグ2位タイとなる42本塁打を放ち、7月25日のデビルレイズ戦で史上36人目となる400本塁打を達成し、8月には自己最多、球団史上2位タイとなる月間13本塁打を放ち、4日には通算2000本安打を達成。2005年、チームは88年ぶりのワールドチャンピオンも、トーマスは7月21日に故障者リスト入りでレギュラーシーズンを終え、ポストシーズンは1試合も出場できませんでした。


2006年には16年間在籍したホワイトソックスは1000万ドルのオプションを破棄し、350万ドルの違約金を払い契約延長しないことを決定。2006年1月25日に1年総額50万ドルでオークランド・アスレチックスに移籍。お金2005年終了時の通算出塁率4割2分7厘は歴代13位で、出塁率を重視するアスレチックスにとってトーマスは理想的な打者。トーマス「もっと条件のいいチームはあったが、金ではなく、チャンスを与えてくれたアスレチックスに決めた」とのこと。

2006年は39本塁打・114打点とチーム1位の成績を残し、9月に球団新記録の6試合連続本塁打を含む10本塁打・31打点を記録。チームのポストシーズンへ進出に貢献しツインズとのディビジョンシリーズでは打率5割で、初戦にポストシーズン史上最年長で1試合2本塁打を記録した。しかし、タイガースとのリーグチャンピオンシップシリーズでは13打数で1本も安打を放てず、チームも敗退。

シーズン終了後の11月17日にトロント・ブルージェイズに2年総額1,800万ドル、3年目の2009年はオプションの契約で移籍お金。2007年はトロイ・グラースバーノン・ウェルズといった強打者と共に強力クリーンナップを形成。6月17日、指名打者としての本塁打がエドガー・マルチネス の持つ243本の記録を破り歴代1位。6月28日には史上21人目となる通算500本塁打を達成。不振が続いた打撃陣の中で、2001年以降最多の155試合に出場し、この年に記録した26本塁打、95打点は共にチームトップ。

2008年4月20日、打撃不振のため、ブルージェイズを解雇。その後4月24日にオークランド・アスレチックスと契約。

現在は引退したとも、独立リーグでプレーしているとの情報も・・・。


強打者のイメージが強い選手ですが、首位打者獲得経験もあるように確実性も兼ね備えた打者でした。選球眼の良さは特筆すべきもので、シーズン100四球以上を10回、通算出塁率は4割を超えており、三振数も少なく、3桁に達したシーズンはほとんどありません。

シルバースラッガー賞:3回(1991年、1993年、1994年)

MVP:2回(1993年、1994年)

首位打者:1回(1997年)




90年代最強打者というのは最大の褒め言葉ですが、活躍する時期が少し遅ければセイバーメトリックスでものすごく評価されるタイプの選手(高い出塁率、長打率、低い三振率)なので、引く手あまただったでしょう。それでも旧来の指標でも、セイバーメトリックスの観点の両観点で素晴らしい選手だったことに変わりはありません