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展示会等で撮影したモデルさん等の写真はご本人以外はお持ち帰りご遠慮下さい
リブログは引用(著作権法第三十二条)に認められる範囲でお願いします
エントリ内容に触れていないコメントは消します
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気が付けば何もしていない
昨日、今日はIC他電子部品のデータシートを調べていただけだった
花粉は相変わらず酷いし、髪を切りたいし、歯医者も行きたいし
都合を考えたり設計を考えたりして
気が散って何一つ纏まらない
こういう時はどれかを優先して片付けると次々解決したりするもの
明日はどれを片付けるか
考えてもう夜半近くになった
もう寝よう
それも明日
花粉は相変わらず酷いし、髪を切りたいし、歯医者も行きたいし
都合を考えたり設計を考えたりして
気が散って何一つ纏まらない
こういう時はどれかを優先して片付けると次々解決したりするもの
明日はどれを片付けるか
考えてもう夜半近くになった
もう寝よう
それも明日
ベネズエラ頑張れー
理由はどうあれ、自国に軍事侵攻し大統領を拉致したアメリカを叩きのめせ
そしてトランプ大統領を表敬訪問してやれ
頑張れー
断っておきますが、スポーツに戦争を持ち込むことは反対する
が、国対抗でありアメリカのMLBが主催する大会であるので
立場が弱い国が主張する機会にはなる
しかも正々堂々実力で倒せる機会だ
活かすに如かず
頑張れー
そしてトランプ大統領を表敬訪問してやれ
頑張れー
断っておきますが、スポーツに戦争を持ち込むことは反対する
が、国対抗でありアメリカのMLBが主催する大会であるので
立場が弱い国が主張する機会にはなる
しかも正々堂々実力で倒せる機会だ
活かすに如かず
頑張れー
仁山信号場
先日14日のダイヤ改正に伴い
JR北海道函館本線の仁山駅が廃止されました
動画は国鉄時代1985年8月16日当駅(当時信号場)を客車列車で通った時
8ミリフィルムカメラで撮影したものです
1本200秒しかないフィルムでは
ビデオカメラと違い1シーンを短く撮らないと多数の記録が出来ず、また音声トラックが無いフィルムも多く
この動画のようなシーンが短く音声が無い作品が多いです。
動画は函館駅から出た小樽行125列車の車内から。
ディーゼル機関車DD51が牽く旧型客車スハフ44などで組成された普通列車です。

次いで、列車が仁山信号場に到着。
駅舎とホームの駅名標が写ります
で、発車となりますが列車は今来た方と逆に、機関車を最後にして後退します。
一旦平らな線に停まったあと、また向きを変えさっき停まったホームを通過して次の大沼駅に向かいます。
函館本線の七飯〜森間は駒ヶ岳越えがあり、仁山信号場付近は頂点の駒ヶ岳駅付近に向かって20パーミルの登り勾配。
明治36年本郷(後の渡島大野、現函館北斗)〜森駅間開通以来、輸送力を増やす為に何度か信号場を作ったり直したりした模様で
仁山信号場は昭和11年開業。
昭和18年に改造されて大体このような配線になっていたそうです。

(勾配を意識して斜めな配線略図にしました)
勾配上の本線に行き違いができる下り線、上り線と向かい合うホームがあります。
上り列車(と言っても坂を下る)はそのホームの所に停車して客扱いをしたらそのまま発車できますが
下り列車は一度停まると所謂坂道発進(上り勾配で起動)が出来ないので、まず列車が渡島大野から登ってきてホームに止まり

客扱い後、水平な加速線へ後退

また停止後勢いを付けてホームを通過して坂を上り大沼駅へ向かいます。

通過可能なスイッチバック式駅や信号場は普通水平な線がポイントを中心に2本あるものですが
仁山は片スイッチバックと呼ぶべき構造。
戦時型信号場と言うようで、先の大戦中輸送力を増やす為に急造した施設らしいです。
それにしても片スイッチバックは珍しく、話には新府(中央本線)がそうだったと聞くだけで、戦後40年以上使われたのはここだけ。
この当時でも気動車列車はホームから根性で坂道発進しており(前年に体験済み)普通客車列車が無くなって加速線は営業列車には使用されて居なかったようです。
が保線機械を置くなど用途に使われ、加速線途中から分岐する線もあったと聞きます。
また動画にチラッと映っていますが加速線の初め頃に短いホーム状の設備もあった模様(図の□の箇所)
信号場と言いながら客扱い(乗降)をして駅員がいて、仮乗降場として時刻表に載っており、乗車券を売っていたとか
駅のすぐ上にスキー場があって函館から滑りに来られたとか
色々興味深い話があり、
信号機はどんな物があったのだろうか、とかいつか調査してみたいと思っていたのですが、
駅としては今年3月13日限りで廃止(JR発足時仮乗降場も駅に格上げした)。
乗降客が激減して駅としては廃止ですが、列車交換設備のある信号場としては従前同様必要であるようです。
なお大沼より北函館本線は森まで2ルートあり鹿部回り(渡島砂原回りとも)はやはり戦時に上り列車の勾配緩和の為作られた線です。
なお動画では仁山から銚子口駅(やはり廃止)に向かい大沼のキャンプ場をちょっと見て126列車で函館に向かうまでチラッと映っていますがここでは解説略します。
JR北海道函館本線の仁山駅が廃止されました
動画は国鉄時代1985年8月16日当駅(当時信号場)を客車列車で通った時
8ミリフィルムカメラで撮影したものです
1本200秒しかないフィルムでは
ビデオカメラと違い1シーンを短く撮らないと多数の記録が出来ず、また音声トラックが無いフィルムも多く
この動画のようなシーンが短く音声が無い作品が多いです。
動画は函館駅から出た小樽行125列車の車内から。
ディーゼル機関車DD51が牽く旧型客車スハフ44などで組成された普通列車です。
次いで、列車が仁山信号場に到着。
駅舎とホームの駅名標が写ります
で、発車となりますが列車は今来た方と逆に、機関車を最後にして後退します。
一旦平らな線に停まったあと、また向きを変えさっき停まったホームを通過して次の大沼駅に向かいます。
函館本線の七飯〜森間は駒ヶ岳越えがあり、仁山信号場付近は頂点の駒ヶ岳駅付近に向かって20パーミルの登り勾配。
明治36年本郷(後の渡島大野、現函館北斗)〜森駅間開通以来、輸送力を増やす為に何度か信号場を作ったり直したりした模様で
仁山信号場は昭和11年開業。
昭和18年に改造されて大体このような配線になっていたそうです。

(勾配を意識して斜めな配線略図にしました)
勾配上の本線に行き違いができる下り線、上り線と向かい合うホームがあります。
上り列車(と言っても坂を下る)はそのホームの所に停車して客扱いをしたらそのまま発車できますが
下り列車は一度停まると所謂坂道発進(上り勾配で起動)が出来ないので、まず列車が渡島大野から登ってきてホームに止まり

客扱い後、水平な加速線へ後退

また停止後勢いを付けてホームを通過して坂を上り大沼駅へ向かいます。

通過可能なスイッチバック式駅や信号場は普通水平な線がポイントを中心に2本あるものですが
仁山は片スイッチバックと呼ぶべき構造。
戦時型信号場と言うようで、先の大戦中輸送力を増やす為に急造した施設らしいです。
それにしても片スイッチバックは珍しく、話には新府(中央本線)がそうだったと聞くだけで、戦後40年以上使われたのはここだけ。
この当時でも気動車列車はホームから根性で坂道発進しており(前年に体験済み)普通客車列車が無くなって加速線は営業列車には使用されて居なかったようです。
が保線機械を置くなど用途に使われ、加速線途中から分岐する線もあったと聞きます。
また動画にチラッと映っていますが加速線の初め頃に短いホーム状の設備もあった模様(図の□の箇所)
信号場と言いながら客扱い(乗降)をして駅員がいて、仮乗降場として時刻表に載っており、乗車券を売っていたとか
駅のすぐ上にスキー場があって函館から滑りに来られたとか
色々興味深い話があり、
信号機はどんな物があったのだろうか、とかいつか調査してみたいと思っていたのですが、
駅としては今年3月13日限りで廃止(JR発足時仮乗降場も駅に格上げした)。
乗降客が激減して駅としては廃止ですが、列車交換設備のある信号場としては従前同様必要であるようです。
なお大沼より北函館本線は森まで2ルートあり鹿部回り(渡島砂原回りとも)はやはり戦時に上り列車の勾配緩和の為作られた線です。
なお動画では仁山から銚子口駅(やはり廃止)に向かい大沼のキャンプ場をちょっと見て126列車で函館に向かうまでチラッと映っていますがここでは解説略します。
2だけ特別?
先日の「3だけ特別」に続き
先程NHKのアナウンサーが、新宿の携帯電話買取店強盗傷害事件のニュースを読み上げるとき
「2人組の男が押し入り…」と表示され、読みは「ふたりぐみ」でした。
あれ?以前はこの場合「ににんぐみ」と読んでいたと思うぞ?
単独では組とは言わないが、人数の数え方は、ひとり、ふたり、さんにん、よにん…が今は普通。
古くやまとことばだと、人数を数える接尾語「たり」が付くので、ひとたり、ふたたり、みたり、よたり、いつたり、むゆたり、ななたり、ここのたり、とうたり…
後に縮まって、ひとり、ふたりで、みたり、よたり位は落語には残っている。
ただこの場合文字では一人、二人、三人と漢数字を使うべきと思う(私見)。
2人は「ににん」じゃないのか?
この他最近NHKの数字の読み方で気づいているのは
◯7を1(いち)との区別のため「なな」と読んでいたが
最近1977年を「せんきゅうひゃくななじゅうななねん」とよんでい?。
◯複数桁の最後が9だと「く」と読む。即ち1999年は「せんきゅうひゃくきゅうじゅうくねん」と読む。
位取りの0は読まないが電話番号の0はかつての「れー」ではなく「ゼロ」と読むようになった。
この辺が気づいたところ。
戦後から昭和40年代くらいの常識から現代の多くの言葉遣いに変えている模様。
こういう例はまだありそう。
先程NHKのアナウンサーが、新宿の携帯電話買取店強盗傷害事件のニュースを読み上げるとき
「2人組の男が押し入り…」と表示され、読みは「ふたりぐみ」でした。
あれ?以前はこの場合「ににんぐみ」と読んでいたと思うぞ?
単独では組とは言わないが、人数の数え方は、ひとり、ふたり、さんにん、よにん…が今は普通。
古くやまとことばだと、人数を数える接尾語「たり」が付くので、ひとたり、ふたたり、みたり、よたり、いつたり、むゆたり、ななたり、ここのたり、とうたり…
後に縮まって、ひとり、ふたりで、みたり、よたり位は落語には残っている。
ただこの場合文字では一人、二人、三人と漢数字を使うべきと思う(私見)。
2人は「ににん」じゃないのか?
この他最近NHKの数字の読み方で気づいているのは
◯7を1(いち)との区別のため「なな」と読んでいたが
最近1977年を「せんきゅうひゃくななじゅうななねん」とよんでい?。
◯複数桁の最後が9だと「く」と読む。即ち1999年は「せんきゅうひゃくきゅうじゅうくねん」と読む。
位取りの0は読まないが電話番号の0はかつての「れー」ではなく「ゼロ」と読むようになった。
この辺が気づいたところ。
戦後から昭和40年代くらいの常識から現代の多くの言葉遣いに変えている模様。
こういう例はまだありそう。
