最初に観たときに物語の「骨」になっている部分が理解できなくて悩みましたが、知人からヒントをもらって少しずつわかりはじめました。
カギのひとつはトラボルタの演じた元大学教授(ボビー・ロング)と亡くなったパーシーの母親がアメリカ文学(思想、音楽も)のムーブメントのひとつ「ビート・ジェネレーション」を通過した人物ということです。ローソン(ガブリエル・マクト)はその影響を濃く受けたのでしょう。ビートとは、いわゆる1950~1960年に作家のギンズバーグ、ケルアック、バロウズといったヒーローが活躍した文化的な「うねり(運動)」です。
ビートニクが生み出した言葉のひとつに「ドロップ・アウト」があります。戦後の貧しく暗い未来しか描けない現実に絶望した若者が、あらかじめ与えられた人生を捨て去り、終わりのない放浪の旅に出るという意味です。フラフラあちこちに行くのではなく、文学的にアイデンティティを求めてさすらうということだと思います。昔の文学者、文学マニアであるボビーがあのような怠惰な生活を送るのはパーシーの母親を亡くした傷心からだけではないのです。あのスタイルがビートなんです。文学者や作家は運動不足だから締まった身体の人って少ないじゃないですか。白髪頭であり身体がだらしないのは文学者だからなんですね。
'60年代のビート族たちにとって最もヒップな音楽が当時隆盛を極めていたモダン・ジャズ。この映画の舞台がジャズ発祥の地、ニューオリンズである理由はこの歴史的背景も関係しているのでしょう。
そんなことを考えるとパーシーの学びたい、知りたいと積極的になる気持ちにボビーが応えたいとなる背景もわかるし、ローソンが極貧生活を送りながらも作家になる夢を捨てられない理由も、そしてパーシーの母親が何を残したかったのかも、少しずつわかるような気がするのです。
それにしてもエヴァンゲリオンじゃないですけど、文学のフィルターがかかる作品を読み解くのは教養(大げさ)いるよなぁ、と思うのでした。面白いですけどね。
