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2006年12月16日 04時38分28秒

「命」について

テーマ:脳死 臓器移植

今年の世相を反映するまたは代表する漢字として挙げられたのは「命」だそうで、それを聞いてうなずく人も多いだろう。

僕のブログの説明文には、「いのち」がテーマだと書いていて、その最初は2005年の4月27日。始めた途端に、あの尼崎でのJR脱線事故が起きた。今年に限らず、「命」が軽視されていると感じるニュースが引きも切らない。

そうは言っても、毎日のように命の生き死にに関わる話題を取り上げているわけではなく、休む日もあるし、全くふまじめな事だってある。ただ、スポーツを書いたり、印象的な女優を取り上げてみたりの中にも、僕なりに「いのち」の意識は持っている。ひとつしかない代わりの利かないものだからこそ、懸命に戦う姿は美しく、その輝きは人の心に届くのだ。「がんばる」という名前のブックを始めたのもその一環なのだが、ただ、これに関してはやや当初の思惑からずれを感じてしまい、もうそこに記事を載せる事はやめている。実際(そのブックは)閉鎖したいのだが、参加している方がいる場合はやめられないのだそうだ。始めなきゃよかった。


僕がブログを始めたきっかけのひとつに「脳死・臓器移植」がある。

祖父の死がまずある。祖父の意識は今どうなっているのだろう?と考えたのが最初だ。物言えぬ祖父。しかし頭の中では動かない身体に歯軋りしながら必死にもがいているのではなかろうかと考えた。それで、祖父の「植物状態」とマスコミに取り上げられている「脳死」の違いが気になったのだ。


祖父が亡くなってから、僕は「脳死」がますます気になりだした。人は誰でも老いるもの。またそういった病気に限らず、交通事故によって突然「脳死」を宣告される事だってあり得る。一方で、「脳死」の状態はまだまだわからないことが多く、「脳死」から生還した人だってたくさんいるし、必ずしも「死とイコール」ではないのだ。

にも関わらず、「脳死」に陥ったら他人に臓器を提供するという医療(脳死臓器移植)が法律で認められてしまった。この医療は、臓器移植法が成立する以前は殺人罪に問われたものだが、この法律に則って行なわれる限りは法律違反にならない。僕は、この法律に関わる部分については「そら」では書けないし、かなり細かくなってくるのでここではよすが、「いや、それはちょっと待ってほしい!」と考えた。

関連する資料や医師の著作を読めば読むほど「臓器移植は怖い!」のだ。何しろ、臓器を取り出せば確実に死ぬのであって、移植に同意したら「条件付で自らを死に至らしめる事を許す」事になる。いやいやそれはいかんだろう。


臓器移植法の成立には、移植推進派の医師が多分に関わっている。確かに、移植を待つ患者を毎日見ている医師としては、そうなるだろう。だが、「移植を受けることによってしか助からない命」も、「脳死に陥ってしまった命」も、命の重さに全く違いはない。それは誰にだってひとつしかないのだ。僕は、「移植を待つ患者を助ける必要はない」とか、「そうなってしまったのだから仕方がない」などと言うつもりはない。本人はもとより、家族や友人の思いは悲痛なことだろうと思う。だが、それでもなお、その命は全く別個のもののはずだ。

「脳死」から患者を生還させる医療は、今でも少しずつ進歩している。低体温療法とか、色々あるらしい。また「移植を待つ患者側」には、幹性ES細胞を利用して臓器を再生させる技術も研究されている。


少なくとも、脳死に関して充分な知識のない人にドナーカードを持たせて、臓器移植を美化するキャンペーンを張って、それを推進する事は間違っていると思う。以前に書いたように、法律に則った臓器移植の実態は、かなりあやふやで、いいかげんで、まずい部分についてはことごとく隠蔽されて 、脳死状態の患者に対する救命処置は二の次で、はじめから移植ありきで進んでいる。限りなく昔の「和田移植」と変わらないのだ。

「娘さん一人で20名の命が助かるんですが」と臓器提供の有無を問われた母親がそれを断った例 では、今では立派に社会復帰されている。


もし自分が「脳死のど真ん中」にはまり込んでしまったら、「その時はもう、いいかも」と考える方であっても、ドナーカードに関しては真剣に検討して欲しい。少なくとも、「脳死」に関する知識をある程度はつけてから考えるべきだ。


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2006年11月10日 06時11分15秒

病気腎臓移植問題

テーマ:脳死 臓器移植

初めに聞いた時は今ひとつよくわからなかった。

「病気の腎臓を移植した」

それはわかる。で、それは医療ミスなのか?そうでなければ何故そんなことをしたのか?病気の腎臓を移植することが意図的に行なわれたなら、何が目的なのか?ふと頭をよぎったのは、同じ病院で発覚した臓器売買の事件だ。金が目当てなのか?

続報にふれるに連れて、色々な事がわかってくる。

手術を受けた患者は「先生には本当に感謝している」と言い、また別の患者は「腎臓を取るとは聞いていなかった」と言う。

今のところ、病気の腎臓を移植されたことによって亡くなった方がいるという話は出ていない。しかし、色々と調べられていくうちに様々な問題がありそうだとわかる。

執刀に携わった数名の医師によってそれは秘密裡に行なわれたらしい事。

つまり病院には概ね伏せられていたわけで、当然倫理委員会やら第三者からのチェックを経て行なわれたわけではないらしいこと。病気の腎臓を移植するなど学会では認められていないし、また執刀した医師はその移植学会に加入していない事。これはかなりあやしいというか、危うい事が彼ら(執刀医師)にとってはごく平然と行なわれていたようだ。


百歩譲って、「患者を救う為にやった」としよう。だが、それで或る人が救われたのだとしても、腎臓を取られた患者はどうなる?他人の身体の中で問題なく機能している腎臓ならば、それは限りなく「取る必要のなかった腎臓ではないのか?」という疑念が当然湧く。取る必要はないが、取ったところで身体の機能に問題は無く、だからという理由で他人にあげてその人を生かしたとすれば、これは医者の傲慢以外の何物でもない。何せ、その腎臓の「使いみち」を本人には「伏せて」取り出しているのだから、正当な行為でない事は明らかだ。執刀医師は「親族間でしか行なっていない」と虚偽の説明をしている。他人との間での生体移植は認められていないのだから「内緒でやる」しかなかったわけだ。


この医師、しかも瀬戸内グループなる複数の医師が関わっているらしいが、どんな処分になるのか見守りたい。恐らく想定していなかったことだから、事実の解明を含めてもう少し時間がかかりそうだ。


この問題を考える時に、こういう事が起きた理由は「脳死による臓器移植が進まないからだ」と考えないで欲しい。法律に則って正規の手続きを踏んでの移植がかなわないからといって、秘密裡に臓器を取り出された方はたまったもんではない。この一連の手術を指揮した医師は「ゴッドハンド(神の手)」と呼ばれていたらしいが、神の領域にあるという比喩は、むしろ逆説的なものとなった。問題が発覚した事で、それは「悪魔の手」だった事が露見したと言える。


かつて日本で初めて行なわれた臓器移植「和田移植」は、その密室性と閉鎖性故に様々な論議を呼んだ。それが適正に行なわれたのかどうかが最後まで明らかにはされず、裁判を経ても結局は闇の中。その後長い間、臓器移植を誰もやろうとしなかった事実を考えれば、極めてグレーな黒に近い手術だった事がわかる。

法律に則って行なわれた、高知赤十字病院の日本初の臓器移植においてさえ、正当な手続きをいくつもの点で踏んでおらず、あのドナーが「正当なドナー」だったかどうかは疑わしい 。緘口令が敷かれたり、カルテに改ざんの疑いが残ったり、看護士の書いた文章がこっそり訂正されたり 、そこにまつわるヤバイものは徹底的に隠蔽される傾向にある。


医者は神様なんかではない。絶対にない。



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2005年12月13日 05時29分54秒

死刑囚ドナー

テーマ:脳死 臓器移植

中国が臓器移植法 「死刑囚ドナー」認める 近く公布、管理強調

【北京=野口東秀】中国誌「財経」(十一月二十八日号)によると、中国の黄潔夫・衛生次官が国際会議で「人体器官移植条例(臓器移植法)を公布し、死刑囚からの臓器提供に関して管理、規定する」と述べた。死刑囚をドナー(臓器提供者)にする「死刑囚ドナー」の不透明な実態を法で管理する方針を打ち出した。臓器移植法は近く公布される見通しで、不透明な臓器売買を禁止し、死刑囚ドナーも、死刑囚本人か、家族の同意を求める方向だ。 黄次官は十一月初旬にフィリピン・マニラで開催された世界保健機関(WHO)関連の国際会議で、「臓器移植法は今年八月に草案が完成し、この法律で死刑囚ドナーに関する管理を強化する」としたうえで、「移植市場を整える」と述べた。黄次官は「財経」に対し、臓器移植法により「国際社会が関心を抱く中国の臓器移植の灰色地帯が一歩ずつ消える」とも述べた。衛生省関係者も「条文の詰めの段階にある」と語った。

 医療関係者によると、中国国内で臓器移植が必要な患者は現在、百万人から百五十万人。手術件数は腎臓や肝臓を中心に年間一万三千件が実施されている。昨年は腎臓が六千件、肝臓は二千七百件だった。日本など海外から訪中し、臓器移植を受ける外国人も多い。手術費用は二百万円から四百万円、間に複数のブローカーが入ると、一千万円以上かかるケースもある。移植費用にも不透明さが多い。

 一九八四年に死刑囚の臓器移植の手順を定めた暫定規定を公布しているが、今回の臓器移植法の制定で、北京オリンピックを前に表面的には死刑囚の人道問題に配慮する姿勢を示し、国際社会からの批判をかわすのが狙いのようだ。

 世界的ドナー不足にもかかわらず、中国でドナーが多いのは「死刑囚をドナーにしているからだ」と指摘されてきたが、「今年七月の世界肝移植大会で黄次官は中国政府として初めて、中国の大部分の利用臓器は死刑囚からだと認めた」(「財経」)。

 国際人権団体アムネスティ・インターナショナルによれば、中国における死刑執行件数は昨年で三千四百人。

 中国での臓器移植は、司法機関と医療部門が連携して準備される。二〇〇〇年五月には江西省の裁判所が銃殺の死刑囚の腎臓を勝手に病院に売却したため、死刑囚の父親が悲観して自殺、姉が裁判所を訴える事件が起きている。〇三年九月には、甘粛省の刑務所が死刑囚の同意なしに死刑執行後の臓器を取り出したことが発覚して、遺族に二千元(約二万八千円)の賠償金を支払っている。

(産経新聞) - 12月9日2時31分更新


ほら、だから言わんこっちゃない。臓器移植を拡げていった先には、このような人権問題が起こる事は予想できた事です。これは、正直な話いろんな問題を孕んでいます。放っとけない記事なのです。

「中国の大部分の利用臓器は死刑囚から」

これを聞いたあと、中国に臓器移植をしに行きますか?そこには間違いなく躊躇があるはずです。前に、スピード狂になったおばあさんの話を書きました。バイク事故で亡くなった若者の心臓が移植されたのです。失った右足が痒いという話もあります。詳しくはファントムペイン(幻痛) を参照。

臓器移植が容認されてきた背景には、「我思う。ゆえに我あり」というパスカルの思想が影響しているらしいですが、この考え方には危険がつきまといます。この考え方で行くと、思考が正常でない、例えば脳に障害を持って生まれてきた子供や、痴呆性老人や、目覚める事のない植物状態の患者は人ではない事になります。あくまでも考え方ですから、日本における(海外も含めての)臓器移植法では一応の脳死判定基準があり、それを満たさないと脳死という判定はなされません。従って、今挙げたような状態に突然陥って直ちに救急病院に運び込まれたとしても、判定基準を満たさない限りは大丈夫ですが。


僕が心配するのは、臓器移植が拡がってドナーとなることへの抵抗が薄れ、例えば医師から余命3ヶ月と宣告されたらドナーとなる事を半ば当たり前のように受け入れる事態です。こうなると、死刑囚はある意味「生きた死人」であり、ドナーになるのが当然という風潮も生まれかねません。記事には「本人か家族の同意を求めて云々」とありますが、これに関しても、前に書いたように 有事の際には承諾は形骸化するのです。そうして臓器が余るようになったとしたら、「これはどんな人の臓器か?」という事を間違いなく気にし始めます。もちろん年齢と性別以外の情報は伏せられますが、そういう状況になれば、今度は金の力で裏取引が行なわれる事が容易に想像できるのです。


もうひとつ過去記事を参照願う 事になりますが、脳死者は今後、多角的に利用しようというビジョンが既に描かれています。着々とこの目標に向かって進んで行くとすれば、そこには「ドナーになる事」に相応しい理由が用意されます。死刑囚は法の裁きによってその罪が決まりますが、それは刑の確定後に(誰かの命を救うという)社会貢献にもなるのだと説得されるでしょう。これが蔓延すると、かろうじて極刑を免れて無期刑を言い渡されるはずだった被告に対して、社会貢献の意味合いから死刑が宣告される事だってあり得なくはないのです。この考え方は飛躍に過ぎますか?ここ最近の裁判では、裁判長が被告に対して直接語りかけるとか、異例が決して珍しくはありません。また、判決が社会情勢の影響を受けるというのは周知の事実であって、法の解釈に幅があることからもうなずける話だと思います。


そんなばかな!と思いますか?

臓器移植に関するアンケート についても僕は書いていますが、臓器移植はもっと推進すべきだと答える人が、既に8割に達しているのです。これについては記事を見てもらえば解かるとおり、僕は意義あり!なんですがね。少しずつ、少しずつですが、人々の感覚からは臓器移植に対する抵抗が薄れているのです。


今書いたような状況は、ここ1~2年では起こりません。それは言えますが、10年経ったらわかりません。現在80歳の方にとっては、ひょっとしたら「別にどうでもいい」かもしれませんが、僕には放っとけない問題です。こんな風に訴えるしかありませんが、少しでも理解してくれる方がいたらそれでいいです。

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2005年09月16日 05時47分35秒

心筋幹細胞を見つけた!!

テーマ:脳死 臓器移植

心筋幹細胞を確認 京大教授ら分離に成功
再生医療に利用へ
 心臓の筋肉(心筋)のもとになる幹細胞がヒトの心臓にあることを確認し、分離することに京都大の松原弘明客員教授(循環器内科)と王英正助教授らが九日までに成功した。重症心不全などで心筋がいたんだ患者に投与し心筋の再生を目指す。十九日から大阪市で開かれる日本心臓病学会で発表する。
 松原客員教授らは、患者の同意を得て、手術で取り出した心臓の一部に特定の酵素をかけて細胞をバラバラにすると、八千分の一の割合で幹細胞が入っていた。これを培養すると心筋のほか、骨格筋、内皮、脂肪細胞などに分化。ヒトの足の筋肉を調べ、骨格筋の中にもこの幹細胞があることを確認した。
 拒絶反応をなくし心筋梗塞(こうそく)を起こしたマウスの心臓に移植すると、心筋や血管の細胞ができたという。
 松原客員教授は「動物実験を重ね、来年の早い時期に京都大の倫理委員会に申請し、臨床試験を目指したい」と話している。
 澤芳樹大阪大助教授(心臓血管外科)の話 「詳しいデータを見ないと分からないが、ヒトの心筋幹細胞が本当に見つかったのであれば科学的に大きな発見だ。治療に使えるのであればさらに画期的な成果となるため、心臓への細胞の導入方法など、再生医療の具体的な方法を今後研究する必要がある」

(産経新聞) - 9月9日15時35分更新

一週間近く前の記事ですが、こないだ取り上げたもの(自己骨髄で心臓再生 )と関連があるので書こう書こうと思っていたものです。読売新聞(西部本社版)では、この記事は朝刊のトップに扱われていました。今、ネットで検索しましたが読売のは見つかりませんでしたが。

こないだのは、患者本人の骨髄液から取り出したものでした。乱暴な言い方ですが、「仮説に基づいて試してみたら効果が見られた」というのが本音かもしれません。本人のものだから、拒絶反応があるでなし、「ひとつ試してみましょう」ということだろうと思います。


この記事の場合、その幹細胞は心臓内にあったと。この研究が進めば、心臓が全部完全にダメになる前なら、その幹細胞を取り出して培養する事で、自己の心臓を再生させる事が可能になると考えられるわけです。画期的なことです。他人のものを移植してもらうなんて考えずに済む。心臓移植なんて全くもってナンセンスな「過去の医療」となりますね。


ちなみに、前者は8月27日の記事で、今回のは9月9日です。二週間ほどしか経っていません。これは飛躍に過ぎるかもしれませんが、この分野の研究が非常に速いスピードで、また的確に進んでいる事の現われではなかろうかと考えてしまうのです。聞いたことありませんか?ノーベル賞を取った科学者の影で、申請が一歩遅れたために受賞を逃した別の科学者がいたとか、或いは、ひとつの成果を巡って、「俺が先だった」「いいや、俺の方が先に実験を手がけたんだ」みたいな論争を。つまり、かつてない発見や新しい成果は、意外にも同じ時期に別々の場所でしばしば起こり得るのです。何せ、世界各地で色んな人たちが毎日研究に明け暮れているわけで、同じ分野を研究している人たちも大勢います。つまりかぶってる。なんとなれば、ひとつの発見が発表されたのを皮切りに、同分野での近い研究成果が続々と世に出るという事は充分考えられるのですよ。


本当に頑張って欲しいものです。そして、1日も早く心臓移植など必要がない状況になることを願っています。

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2005年09月13日 03時43分46秒

ファントムペイン(幻痛)

テーマ:脳死 臓器移植

ファントムペイン(幻痛)という言葉をご存知だろうか?

サスペンス系の小説のタイトル(読んではいないが)にもなっているらしく、検索したらほろほろ出てきた。手や足を切断されたにも拘わらず、その、ないはずの部分が痛むという。既にない右足が痒くて仕方がないという。医学的に考察すれば、失った部分は神経もろとも消失していて、そこから生じる感覚などあるはずがない。しかし現にそういう感覚があるのだという証言が存在する。


ヤングサンデー(小学館発行)という青年週刊誌に「闇のイージス」という作品が連載されている。主人公は最愛の妻と息子を救出に向かうが、時限爆弾をセットされたその部屋はあと一歩のところで爆発してしまい、二人を死なせてしまう。助けられない。その際、彼自身も爆風で右腕を失う大ケガを負う。彼はその失った右手に鋼鉄製の義手を装着して、テロリストや悪なるものと戦うのだが、弾丸をはねのけてしまう強力な武器である右手は同時に弱点にもなる。めらめらと燃え上がる炎を目の前にすると、義手であるその右手が強烈に疼くのだ。そう、ファントムペインだ。


ファントムペインはどこから来るのか?

おそらく、生まれつきどこかを失っている人にはその部分の感覚は無いのではないか?そういう例を聞いた事がないからわからないけれども、もともとあったものだからこそ、その感覚が残っているのだと思う。つまりは脳が記憶している

痒かった感覚や、モノに触れた感触、その部分の痛み、全てを脳が記憶しているのではないだろうか?

それを想像するのにうなずける例がひとつある。


アメリカで脳死患者からの提供による心臓移植を受けた初老の婦人が、退院後は非常に活発に、まるで人が変わったように行動的になったという。単に元気であるなら結構な事だが、その婦人はヒマさえあれば自動車をドライブするようになった。しかも、猛スピードで。誇張でなく本当に人が変わった事に困惑した家族が、提供された心臓のドナーを探したところ、それは20代の若者だった。オートバイを運転中の暴走事故だったという。

つまりは心臓が記憶している


前に読んだ著作の中で誰かが言ってた話。探したのだがどうしても見つからない。だからおぼろげな記憶だが。

「われ思う。ゆえに我あり」「人間は考える葦である」と言ったのはパスカルだが、この哲学者の思想はヨーロッパの人たちの間で広く受け入れられ、「思考回路があってこそ人間だ」という考え方が広まった。これは、思考を司る脳を絶対視する考え方であり、脳こそが人格を司っていて、それ以外のものはパーツに過ぎないと。従って脳の機能が失われたなら、その人は既に人として(体温があろうが無精ひげが伸びようが)死んだも同然だと。これに、聖書の教えが絡みついて臓器移植が受け入れられたと考えられる。ヨハネによる福音書第15章13節には「友のために命を捨てること。これに勝る愛はない」とも書かれている。


しかしながら、上にあげたように、パーツであると考えられていたものが別の人の一部となったときに「自己主張」をする事や、存在しない右手に感覚だけが存在する例をどう説明したらいいのだろうか?


ご存知のように、移植には拒絶反応が厳然としてある。パーツである(と考えられている)他人の臓器を移植すると、レシピエント(移植された側)の身体は拒絶反応を起こして受け入れを拒む。これを緩和するまたは抑えこむ為に、免疫抑制剤の投与が必要となる。だいたい人間の身体は異物が入ってくると、それと馴染まず排除する働きがあって、たとえば腐った食物を食べると吐いたり下したりしてそれを体外に押し出そうとする。敏感な人は口にした時点で「あっ?この味は変だ」と気付いて食べるのをやめる。これらも一種の拒絶反応にあたり、こういう働きが失われたら身体は全身のコントロールを乱して命まで危うくなる。


そういうことを考え合わせると、臓器移植は先進医療でありながら、同時に人体が持つ本来の尊厳に土足で踏み込む技術とも言えるのかもしれない。本人がいやいやをしているところに、薬でだましだまし異物(レシピエントにとって必要な器官だとしても)を結合させようというのだから。


これまでは、「脳死の概念」そのものの危うさや「脳死判定」の乱暴さから来る、ドナーに対する「死の判定への疑義」という考察から文章を書いてきましたが、今回のものは、「移植は手放しで喜べるのか?」という視点で書きました。ややだらだらと書いてしまいました。

臓器移植に関する問題はまだまだたくさんあって、例えばドナーの死亡時刻はどの時点なのか?など刑法の問題。日本人の旧来の道徳観・倫理観は臓器移植をどう捉えるのか?というような欧米における教会を含めた宗教の問題。これは哲学とも絡むでしょう。こないだ取り上げましたが再生医療の問題。更に、表にはほとんど出て来ませんが、脳死者の臓器が商品として扱われようとしているという、ビジネスに絡む問題。山ほどあるのです。僕の浅薄な知識ではとても扱いきれませんが・・・可能な限り。

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2005年08月30日 02時23分17秒

自己骨髄で心臓再生

テーマ:脳死 臓器移植

8月27日、産経新聞の記事です。

埼玉医大病院(埼玉県毛呂山町)は二十七日、虚血性心筋症で補助人工心臓を装着した男性患者(61)に本人の骨髄細胞を心臓に移植する再生治療を行い、補助人工心臓を取り外すまでに回復したと発表した。同病院によると、世界でこの症例の報告はないという。患者は同日午前に退院した。
 治療に当たったのは、同大心臓血管外科の許俊鋭教授らの医師グループ。男性は二月に急性心筋梗塞を発症。その後、多機能不全に陥ったため補助人工心臓と心筋に血液を送る冠動脈バイパス手術を実施した。
 しかし回復がみられなかったため、五月に心臓再生治療に踏み切った。男性の腰骨から骨髄液を採取。遠心分離機にかけるなどして血管を作る細胞などを取り出し、カテーテルを通じて心臓に注入した。
 同グループは、移植した細胞が新しい血管を作ったことなどが心臓の回復につながったとみている。男性は細胞治療の約一カ月半後には心臓機能などの改善がみられたため、補助人工心臓を取り外した。現在は室内で自転車をこぐまでに回復しているという。
 人工心臓を装着した患者が長期的に生存するためには心臓移植しかないのが現状。しかしドナー(臓器提供者)は世界的に不足しており、国内でも心臓の臓器移植手術は限られている。男性は年齢や透析治療を受けているという理由で臓器移植の適用外だった。
 許教授は「臓器移植を待つ人や条件的に移植が受けられない人の新たな治療の選択肢になれば」と話している。
 男性は「新しい治療で同じ病に苦しむ多くの人が助かるようになればと祈っている」とコメントした。


臓器移植の問題点は、過去記事でもかなり書いています。美しい言葉で臓器提供が語られ、美辞麗句が並べられていますね。助かる命があるんだ、と。

その一方で臓器の摘出=合法殺人だと僕は考えています。何故なら、脳の機能は未知の部分が依然として多く残されていて、脳死状態が果たしてどんな状態なのかさえ、医学的な見解はまちまちです。「脳死という概念」そのものが臓器移植の為に作られたものである事は既に常識であり、脳死を死と認める意見を持つ人も、確たる理由なんてないまま賛同しているのが現状です。そういう、どちらかと言えばある種の洗脳ともいえる状態を作られて(脳死移植に)賛同した人たちの中には、特に欧米ですが、「知れば知るほど怖くなったし、自分は何も知らなかった」という意見に変わってきています。脳死を死と認めない人が増えているのです。これは、同じ情報を基にして認める?認めない?ではありません。知らなかったから「認めていいと思った」で、知ったら「とても認められなくなった」です。


国内では、郵政選挙のおかげで臓器移植法改正案が先送りになり、近頃は話題にものぼりません。僕はほっと胸をなで下ろしています。

このように、再生医療が進んで移植なんて必要がない時がいずれやってきます。そのときまでのつなぎの医療なのですよ、臓器移植は。そのために、まだ生きている人から心臓を取り出すのが臓器移植であって、僕はまだまだこの問題には関心を失わずにいたいと思います。

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2005年08月02日 04時51分32秒

脳死者の多角的利用

テーマ:脳死 臓器移植

1974年の時点でアメリカの精神医学者ウィラード・ゲイリンが、「死者からの収穫」という論文で、次のような脳死者の利用法を提唱している。

医学生や研修医の診察の自習用、手術の練習用。

新薬の効果や副作用を試す素材。

癌を発生させたりウイルスを感染させて治療する実験台。

血液成分や移植のための臓器を保存する貯蔵庫。

血液や骨髄や皮膚を恒常的に再生する収穫源。

ホルモンや抗体を製造する工場。

筆者も80年代後半にこの論文を知り、脳死者を丸ごと徹底利用しようとする発想に仰天したものである。また、さらなる脳死者の利用法として、その精子や卵子を用いた人工授精や体外受精、全身を冷凍保存した半永久的な使用、既存の代理母に替わる脳死代理母・・・などが提起される事を予想していた。そして、2001年11月8日に開催された第46回「日本不妊学会」において、竹内一夫杏林大学名誉教授が「脳死出産に思う」という特別講演で、正に脳死者の代理母利用を公言したのである。これらは倫理的な障壁を取り除く事ができれば、いずれも実現可能なはずだ。(中略)

 このような脳死者の多角的利用は、多くの者には非常にグロテスクに感じられることだろう。しかし、臓器移植が世に登場したときには同種の感覚に見舞われた者も多かっただろうが、その感覚は徐々に薄らぎ、近年では移植はむしろ賛美される傾向にあることからすると、かかる拒絶意識が持続する保証はない。しかも、臓器移植を推進した論理は、新たな利用法に対してもそっくり当てはまるのだ。「医学の進歩のため」、「人類の幸福のため」、「救命のため」、「愛他精神」、「いのちの贈り物」、そして、「提供者本人が希望しているのだから他人が口出しすることはできない」という自己決定権の論理などである。逆に言うなら、脳死者の医学利用で臓器移植だけが認められ、他のものが認められない積極的な理由はたぶん見つからないだろう。


ここ↑まで、小松美彦氏の著書「脳死・臓器移植の本当の話」からの引用です。

若干の補足を致します。①については、現在は死体を使って行なわれていますが、それが脳死体となればその有用性は飛躍的に高くなるでしょう。②と③は、今はラットや何かの動物で行なわれているのは皆さんもご存知でしょう。それが人体で可能となれば、開発の成果は加速度的に上がると思われますね。④は倉庫代わりで、⑤と⑥は工場だと言うのですから、全くおぞましいことこのうえなしです。


医学が飛躍的に進歩するという、これだけならば素晴らしい事のようです。しかしながら、果たして受け入れられるでしょうか?脳死状態が徹頭徹尾に解明されて、世界中の100%全ての医者が従来の三兆項死(心停止、呼吸停止、瞳孔散大・固定)と全く変わらない(つまり死んでいる)と主張するのなら、まだあるいは倫理的な問題さえクリアすればとも考えられます。僕だってそう思います。けれども違うのですよ。未だに脳死そのものが未解明で、あくまでも臓器移植のための脳死なのですよ。脳死者の多角的利用としてこういう事が念頭に置かれているというのは、「あなおそろしや!」以外に言葉はありません。


更に、脳死判定基準を作成した竹内一夫杏林大学名誉教授が公言する脳死代理母です。これはつまり、様々な理由や原因で子供が産めないまたは出来ないケースの夫婦の為に、顕微受精(だと思いますが、ちょっとこれについては知識不足です。すみません!)を施した受精卵をその脳死した女性の子宮に入れて、そこで育てるというやり方です。受け入れられますか?僕には絶対に受け入れられません。

何年か前に、プライドの高田伸彦の子供を代理母の米女性が出産しましたよね?国籍の事でもめたらしいですが、これはこれで様々な問題がありはしますが。脳死代理母の場合は、胎児期の保育器代わり?として(生きた人間が)使われるわけですよ。


前の記事で書いたように、脳死判定は極めて曖昧なもので、またドナーカードによる臓器の提供意志もか・な・りいいかげんです。アメリカでは既に脳死状態は必要でなくて、脳死になってなくても臓器が取り出されています。そんな状態を日本は目指して日夜頑張っているそうです。


しつこいとかくどいとか言われそうですが、この問題はまだまだ続きます。


高田伸彦

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2005年07月29日 04時37分43秒

この臓器、使える?

テーマ:脳死 臓器移植

続きを書かねばと思いながら延ばし延ばしになっていました。最近トラックバックステーションにもこの問題がとりあげられています。


まず、前回のお話(数々の疑惑 その3 )の最後に予告した事は、

「杜撰な脳死判定や数々の不備があったにも拘らず、何故問題にされないのか?」についてでした。


・・・以上のような事態を徹底検証する使命を担った委員会や作業班も、本来の使命を果たしたとは言いがたい。そればかりか、問題を隠蔽ないしは正当化するように機能していると見なせるだろう。そもそも、「臓器移植専門委員会」の20名のメンバーは、1人ないしは2人を例外として、脳死・臓器移植推進論者で固められており、また、「厚生省基準」そのものをも含めて検討対象とすべき「医学的評価作業班」も、班長自体が「厚生省基準」作成の最高責任者でもあった。検証システムのメンバー構成がこうでは、真っ当な検証など望めるはずはないだろう。


これは、小松美彦著「脳死・臓器移植の本当の話」からの引用です。

つまり、臓器移植の問題点は、ガラス張りでないことです。中で何が行なわれているのかを医師や病院側でないサイドには知らされないのです。更に、スリと疑われた人物をスリ犯が裁くとすれば、それは真っ当な真実の結果が導き出されるとは到底思えません。臓器移植が適正に行なわれたかどうかを検証する人が臓器移植推進派によって固められていれば、「適正」という答えが出る事は誰が考えても明らかなのです。これは検証という形をとった「事後承諾」のシステムに過ぎません。そもそも「厚生省基準」自体、問題があると認識している医者が多くいるのにも拘わらず、現行の基準が通されています。今回(高知赤十字病院における第1例)の現場においても基準の怪しさが露呈し、それは移植推進派や基準作成側によってうやむやにされました。


僕はこの問題を知るほどに、まさに戦慄を覚えるのです

しかも、善意、命のリレー、愛などといった美辞麗句を並べ立て、臓器移植を推進する事は博愛精神に満ちた崇高な行為であるという文脈でその全てが語られるのです。


これはちょっと言い過ぎかもしれませんが、あえて言いましょう。臓器移植はテレビマスコミや雑誌、媒体、PR活動における表の顔に対して、ドナーカードを見て、「いざ鎌倉」とばかりに臓器移植の現場に入った途端、明らかに裏の顔が覗くのです。


「この命、助ける!」から「この臓器、使える?」への移行です。


さて、次回はおぞましい「臓器移植の行き先」を話します。

小松 美彦
脳死・臓器移植の本当の話

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2005年07月07日 02時46分10秒

数々の疑惑 その3

テーマ:脳死 臓器移植

このドナーに関して小松美彦氏は、さらに救命医療が不充分であった疑いについて書いています。


①まずCT撮影がなされた

→初期治療が不適切であったという疑い。CT撮影の前に一刻も早く施すべき呼吸の確保や昇圧剤の投与は行なわれていない。


②血種を取り除く開頭手術が行なわれなかった

→この症例はグレード5(症状の程度を示し、数字が上がるほど重篤)であったとし、手術は不適応、つまりやっても意味がないとの判断がなされた。しかしながら、この症例について全国353箇所の臓器提供指定病院に日本テレビがアンケートを行なっており、その結果50%の医師が手術で改善の見込みありと解答している。また、前出の初期治療についての不適切を指摘した医師(日本救急医学会認定医である近藤孝氏)によれば、この症例のグレードは4でしかなく、当然手術を行なうべきであるとしている。グレード4におけるアンケートの結果は、手術適応70%。


③脳低温療法も行なわれなかった

→脳低温療法は、脳死判定の前段階で施すべき医療として「臓器移植法」の附帯決議に特記されている。簡単に言うと、脳は障害を受けると温度が上昇して膨れ上がり、それに伴って脳細胞の活動が却ってダメージを広げていってしまう。ここでいったん脳温を下げる事でその進行を食い止める効果が期待できるというもの。行なわなかった理由については、「脳低温療法は脳挫傷に対して有効であって、この症例はくも膜下出血なので適応ではない」と答えている。確かに脳挫傷に対する場合に、より効果が認められるのは間違いがない。しかしながら、この治療法の開発者(日本大学医学部教授、林成之氏)が平成9年6月に発表した論文によれば、「グレード4~5のくも膜下出血患者10人に対して脳低温療法を試みたところ、7人(70%)を救命し、そのうち良好な回復3人、中程度の後遺症2人、(重い後遺症1人、植物状態1人)という成果を上げた」とある。高知赤十字病院では、それ以前に20例の脳低温療法の実績があり、実施するのに支障はなかったはずです。ところが、手術と脳低温療法を実施しうる二人の脳外科医はその日、宿直の救急医に任せてなんと!帰宅・・・しているのです。


やってはいけない事をやり、脳死にさせようとしたとも、脳死の判定欲しさにした、ともとれる、極めて怪しい脳死判定。心臓の提供意志なんて初めからなかったかもしれない(それがあったという確証がない)未公表のドナーカード。生死に関わる、ある意味最も重要であったのになされなかった初期治療。10人のうち5~7人の医師が行なうべきと答えた手術は行なわれず、普通であれば24時間状態を注視すべき脳外科医は揃って帰宅。


みなさんどう思われますか?


次回は、これほどまでに杜撰な脳死判定や数々の不備があったにも拘わらず、いったい何故問題にされないのか?について話します。

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2005年07月06日 02時57分44秒

数々の疑惑 その2

テーマ:脳死 臓器移植

昨日の続きです。


問題はまだ終わりません。このドナーが所持していたとされるドナーカードが、未だに公開されていないのです。プライバシーに抵触するという理由ですが、それは名前を伏せれば済むはずです。これに関して、ひょんなところから重大な証言と言える論文が出ています。


高知赤十字病院集中治療室婦長・東洋子執筆による

「脳死による臓器提供を選んだ人への看護のかかわり」(看護学雑誌、平成11年10月、63巻10号より)です。

「カードの提示があったあと、夫から『腎バンク登録・アイバンク登録は前からしていました。臓器提供意志表示カードは平成8年5月にテレビを見て、すぐ県腎バンク協会から送ってもらったようです。その時にサインをしました』との情報を得ました」とあります。

これは、見逃せない重大な事実を示しているのです。つまり、法的には無効なカードに基づいて脳死状態からの臓器摘出が行なわれたことを示すのです。


説明します。臓器移植法が施行されたのは平成9年10月です。従って、ドナーが所持していたカードは旧式のもの。旧式のものに記載されている項目は心停止後の角膜と腎臓だけであり、脳死状態からの項目は一切ありません。もちろん、法的に認められていたのも心停止後の角膜と腎臓だけでした。東婦長の記載が事実で、また夫の記憶違いなどがなければ、そのドナーは脳死状態における心臓の提供意志を示してはいないということです。

どうりで、ドナーカードは名前を伏せたところで公表できるはずありませんよね?

そして笑ってしまうのは、これです。

看護学雑誌、平成12年4月号(問題の論文発表から半年後!!)において、[おわびと訂正]として、「平成8年→1998年」との編集部の訂正が小さく記されています。元号表示をわざわざ西暦に置き換えてわかりにくくしてあります(としか思えません)が、平成8年でなくて法施行後の平成10年だと。不自然ですよね?極めて不自然です。もちろん、ドナーカードは未だに公開されませんから、真相は闇の中です。


おまけとして付け加えるなら、「こわい話 まず」で記したように、この患者も執刀時には急激な血圧上昇があってベッド上でのた打ち回った為、麻酔を投与した上で心臓を摘出されています。


明日もこの話です。読みたい方だけ読んで下さい。
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