少し前に、鬼束ちひろをYUIと比較した文章
を書いた。YUIは母性的で、鬼束は父性的であると。その文章を書く過程で、実は鬼束について浮かんだ考えがある。しかし、それはやはり傲慢かなと、そして何より鬼束に失礼だと思って書かなかった。
書く事にしたのは、やはり彼女に戻ってきて欲しいと願う気持ちが根底にある。音楽を通じてあれほどの衝撃を与えた彼女の存在は、埋もれたままでは惜しいのだ。彼女はもはや私人ではない。活動休止中と言っても、何らかのニュースがあれば新聞や雑誌に取り上げられる公人なのだ。よって彼女には立ち直る責任もきっとある。
鬼束の登場は、日本がバブル崩壊によって疲れ果てていたどん底の時期だった。1990年からの10年を、経済を語る場合に「失われた10年」と呼ぶようだが、この間、日本はバブル崩壊によるマイナスマインドに留まらず、国内には衝撃的なニュースがいくつも駆け巡った。95年の1月には阪神淡路大震災が起こり、その傷も全く癒えず復興もこれからという時に、あのオウムによる地下鉄サリン事件だ。これは同じ年の3月20日の事。約二ヵ月後の5月に麻原が逮捕されるまで、いやその後も、巷の話題はオウム一色となった。景気の波はちっとも上向かず、人々の先行きへの不安は募るばかり。で、97年にはあの神戸連続児童殺傷事件(サカキバラ事件)が起こるのだ。もうお先真っ暗。
新しい世紀に入り、とにかく頑張らなきゃと遠くを見据えていた2000年の8月に、鬼束は月光を引っさげて僕らの前に現れる。その姿はまさにジャンヌダルクを思わせる雄々しさで、彼女は僕らに光を指し示したわけだ。翌年の2001年には小泉政権が誕生し、日本には明るい兆しが表面的とはいえ見えて、個人的には疑っているが、近頃はいざなぎ景気を超える好景気の状態だと言う。
が、当の鬼束は2004年あたりを最後に活動休止してしまった。彼女に力をもらって頑張れた人はたくさんいて、今でも掲示板を覗くと復活を待ち望むファンの声がやまない。僕もその一人だ。一度体調を崩してツアーをキャンセルしたりとか、そういうニュースは聞き知っていた。過密スケジュールが続けば、誰だっておかしくなる。その程度はある意味当然のことだ。しかし、その後所属事務所を替わったり、何やらどうもおかしい。僕は彼女だけを追いかける鬼束信奉者とは違うから、どうしたんだろ?と気にはなりながらもそのまま日々を過ごしてしまったのだ。
要するに、何故彼女は出てこれないのか?なのだ。
先に言おう。鬼束の心は折れたままだ。
何らかの病気で療養中という事ではないらしい。もうかなり前、自宅マンションが強盗に入られたというニュースもあったが、ほぼ完全な引きこもり状態だという。いったい何故なのか?
彼女の作品は詩・曲ともにほとんど自身のオリジナルだ。よって単なる歌手ではなくシンガーソングライターである。そして、これは何かのサイトにあったものだが、先に詩を書いてそこに曲を合わせる手法だという。何より詩を大切にしていて、曲作りの際、メロディに合わなくても詩をいじることは絶対にしないそうだ。生命線が詩である事を考えれば、その精神は芸術家のそれであり、そこに込められた彼女の思いは言うなれば鬼束自身の分身でもある。
そこで思い起こされるのが、2001年にアメリカで起こった同時多発テロだ。彼女の何枚目かのシングルが発売延期になった事を思わずにはいられなかった。
「爆破して飛び散った心の破片が」というフレーズがある。タイトルは確か「インフェクション」。あまりにもタイムリーだという事で、この時、歌詞の変更を促されたのではないか?と想像する。で、彼女は譲らなかった。これが所属先とのトラブルになったと考えてもおかしくはない。
そしてこの時、このシングルを巡るいさかいに留まらず、アメリカにおけるこの出来事が彼女にとてつもない衝撃を与えたのではないかと推測するのだ。あの、聳え立つ巨大なビルが数秒のうちに砕け散る様は、世界に大いなる衝撃を与えた。インテリジェンスなビルは文明の象徴であり、爆裂したあの炎はテロであり、暴力の象徴である。鬼束は僕らに一筋の光を指し示した。前に「月光」を分析したもの
を参照して頂きたいが、彼女の魂はまさに暴力の前に完全に砕かれたのではないだろうか?
「現実に負けないで!私も頑張るから!」
そういう思いで希望を歌う彼女の目の前で、努力や理性を結実させた象徴が暴力によって粉々に粉砕された。しかも、あれを見た人々は「まるで映画のようだ」とつぶやいた筈で、物語を作る側にとって、それを凌駕する現実を目の当たりにするほどショッキングな事はない。
私が作るものにいったい何の意味があるというのだろう?
そういう無力感に苛まれたのではないだろうか?
もう曲なんか作ったって意味ないわ。
急速に彼女の中から創作意欲が失われた可能性があるのだ。
もう、そういう考えに捉われている僕にはそうとしか思えない。鬼束が「こんな理由で休んでました」と公表して活動を再開するまでは「理由はきっとこれだ!」と思う。
彼女が人一倍繊細な芸術家で、あの出来事の影響をもろに受けた当事者で、だからこそかもしれないが、そこを乗り越えて欲しいのだ。
あのテロについて語る言葉を僕は持っていない。
本当にひどい行為で、人間とはなんと愚かで醜いものかと言わざるを得ない。
しかし、人間にはそうでない一面だってある。鬼束が歌ってくれたように、光は必ず差すのだと僕は思う。そうでないと本当に生きている意味なんてないし、現実のこの世界をウソにして欲しくはない。
復活を願う。


