あの夕暮れの紙芝居 VOL.5
アンカー(錨)ってものがある
おいらは
こう思うんだよ、、、、
そうだなぁ、、、、
例えばおじょうちゃんにとっちゃ
『おかあちゃん』ってとこかなぁ、、、、
自分て名前のお船と
世の中って名前の海を繋ぎとめてるもんさ、、、、、、
そのアンカーってやつが
恋人のやつもいれば
友達なやつもいる
趣味だってやつもいりゃ
仕事のやつもいる
金な奴もいりゃ
地位のやつもいる
酒だってやつもいれば
ヘンテコな薬だってやつもいる
神様だって人もいりゃ
プロ野球のチームだっってやつもいるんだ
でも あるだけマシなんだぜ !!!
なーーーんも ねーやつは
どっかに流されて見えなくなっちまった
おじょうちゃんも
将来
おかーちゃんじゃなくて
新しいアンカーを見つけなければなんねぇんだぞ、、、、
そう
自分の居場所を知るために
難しいこといっちまったな、、、、、
ま
いつか
その時がくんだ、、、、
おじょうちゃんにもな、、、、、
おじちゃんか?
おじちゃんにとってのアンカーねぇ
そいつはなぁ、、、、
おまえさんかな、、、、
いや いや なんでもねぇ、、、
こいつかな!
Uno
アンコーナではこれまでの過酷な移動を一段落させるため
2日間ほど滞在、、、
ほぼ何もせずにゆっくりし
アンコーナラインという鉄道で
目指すはローマ、、
チャリダーの太郎君とも別れ
一人旅再開!!
しっかし金、金言うのは 好きじゃないけど、、物価がほぼ東京級になってきたな、、、汗
さすが先進国イタリア
燃えてくるぜーーーーうおおおおおおおおおおっ!!
やってきました
ローマ!!!!!!!
落書きだらけの地下鉄もかっこいい!!
日本の伊達男燃えてまいりました、、、、美女率高いしw
Tシャツが膨らむように胸毛が生えてくるのが解ります
「俺にあんまり近づくなよ、、、、惚れちゃっても知らないよ!、、、、、、俺がね♪ なんつって。」
うっわ チャッラー 「なんつって」 ちゃっらーーー!!
昨年、、唯一の女性従兄弟に電話の「もっしもーし」 だけでチャラいと言われた私
そんな事を頭で呟きながら
平成のBIGちゃら男 岩崎 安宿を求め彷徨う。。。
が、、、
「ねーし!!!!!」プンプン
いや、、、結論から言えばある
でも3000円から5000円台がザラ、、、
僕の流儀に反します
2000円以上の宿を安宿とは呼びません
それはもうホテルです
僕はホテルには泊まらないことを声高に宣言します!!!!
チャラ男で ニートで なおかつケチです
もはや救いようの無い僕は
ローマの新宿テルミニ駅の 片隅で ホームレスのおばーちゃんや終電逃した若者達の
傍で寝袋をひらげ眠ったのでした
そして早朝6時に
「このままじゃ駄目だ!!」と奮起し起床
この街で、、
このキャピタルで
居住権を勝ち取るため街中を彷徨う
現代の十得ナイフことI POD TOUCH(ネット可)を片手に
そして もう片手には永遠の百薬の長ことビールを持ち
そしてたった一つの信念のもとに!!(はいはい、、、)
合わせて111の力を武器に(やかましーわ!!)
無線インターネットのノラ電波が落ちているところを探す
そしてノラ人間が
ノラ電波を拾う 見つけたぞ 俺の住むべきところを!!!
テルミニを新宿とするならば
列車で府中くらいには来ただろうか
駅からまたイタリアの方の伊達な説明に翻弄されつつ
行ったり来たりを繰り返す
荷物の重量、、、推定25kg
歩いた距離5km
単純に計算すれば125キロを歩いた計算になる、、、、、 (なんでなんでー?(さとみちゃん風に)
林道をひた歩く途中トッティ専用???
もしくはトッティの寄付でできたグラウンドなどもあり
朝から始めた宿探しも日が暮れるころ
目当てのキャンプサイトに到着
自分のテントがあれば13ユーロで泊まれる
シャワーやプール、インターネットにBBQ用の鉄板など
トルコ、イスタンブールにて
頂いた、、旅人の残したテントを
初めてひらげる、、、、、どれどれ?
衝撃が走る
そいつは腹の底から久しぶりにきた、、、
この旅を初めて以来、一番の爆笑
俺は耐え切れずにうずくまった、、、、
「テントちっちぇーし!」 誰もいないのに 小声ながら声に出ていた
「荷物はいんねーし!」 雨が降ったら一巻の終わりだがこの時遠くの空から雷鳴が聞こえていた、、、
幸いにして雨は降らず
キャンプ生活が幕を開けた
しかし馬鹿でかい施設
というよりも
一つの町として機能しているんではないかと思うほどのこの施設
バンガローにキャンピングカーにあらゆるアウトドア好き達が集まり、その生活を満喫していた。
スーパーやBBQ用の食材&酒売り場まで内部に
完備していた、、、
1.5リッターにおよぶ赤ワイン
ソーセージ×3
パン×2
これが今夜の晩餐 しめて5ユーロ 外のレストランなどから比べれば破格だった
初めての一人でのキャンプ生活と行き届いた設備に心は躍った
安ワインに酔い 最高の時をおくった
2重寝袋か!と突っ込みたくなるマイホームでの暮らしも
文句言うほど嫌では無かった
テントの中でのインターネットに違和感を覚えつつも
『やっと 旅らしくなってきたぞぉ』と
一人で呟いていていた
そして買ってきた単三電池を
ポータブルスピーカーに突っ込み
曲をかけた、、、、
酩酊状態の中テントに向かい呟いた
『俺はもっと潜りたいんだ、、、、宜しくな!!』
その後にテントにつけた名前と
かけた曲の名前は一緒だった、、、、。
ビートルズの#イエローサブマリン
ジョンとポールが
ジョージとリンゴが
そしてソーセージとワインが
俺を深い眠りへと導いてくれた
黄色い潜水艇の中、、、、、
船上のギタリスト
どれほど歩いただろうか、、、
もう汗だくだった、、、
だいたいがフェリー乗り場の方向すら解らない
だけどタクシーなんかに乗ってる場合じゃなかった
しばらく歩くとホテルを発見
中で聞き込みをすると親切に教えてくれ
電車での行き方と駅の場所を教えてくれた、、、
駅に着くとまたひとつ問題が
ストライキで電車が来ないとか、、、
ついてない。
夕方5時までには港につかなければ
しかし捨てる神あれば
拾う神あり
そこに停車したバスに
船便のチケットを見せると
『乗れ!』と一言
3本ほど乗り継いだが
なんとかフェリーターミナルに着いた
アテネで安いピタサンドを教えてくれた
チャリダーのタロウくんとフェリー乗り場で待ち合わせていた
かれはアテネからここまでもちろん自転車で来ていた
お互いのこれまでの経緯を話しながらも
太郎君は自前の携帯コンロでインスタントラーメンを作り食べている
逞しいつわものだ、、、
そして出航、、70€(7000円強)という値段で部屋なしのデッキ箔という値段
に見合い
船はそれなりの豪華客船だった
おそらく時速80から100キロはでているんではないかと思われるスピード
どっしりとでかく揺れもほぼ感じない
内部は11階建てにもなっておりいくつかのBARや売店にカジノまで
レストランコーナーでビールを楽しむ人達
僕らヒッピーは持ち込みの自家製ツナサンドで腹ごしらえ
船の中の物価ときたら異常だったからね
しかし21時間もの船旅
0時を回るころ、、また空腹は訪れた
もう食料もつきていた、、、
ふと周りを見ると、、結構にでかい声でしゃべり笑っている酔っ払った集団と
テーブルにもてあましている食料軍を見つけた
チャンス!!
バイタリティーが爆発した
ギターを取り出し
彼らの横に座り歌いだす、、、それはもう愛嬌たっぷりにね
その後も彼ら(どうやら(ブルガリア人)の専属 船上音楽師と化した僕は
報酬にたらふくのピザと肉類そしてウオッカを頂いた、、、
(後から太郎君も起こして連れてきた。)
彼らがおそらくSEXの類のスラングを僕に覚えこませ言わせて
笑うというコーナーにも
甘んじて付き合い
それはそれなりに楽しい宴会になった
女を欲している彼らの為に率先してナンパするふりなどもして
ウケも上々
ちょっとした若手芸人の接待張りによく働いたもんだ、、、
我ながら関心
芸は身をたすくとはこのことだった、、、
外はあまりにも寒いので船内の階段の踊り場のようなところで寝袋で眠り
そして翌日の15時に船はイタリアのアンコーナへと到着した。
そこに人がいればこそ
アテネを絶ち バスの中でりんごを剥いて食べていた
海沿いに走っていたのか
窓からの景色はとても綺麗だったけど
なんだかウトウトしていてすぐに寝た、、、、
しかも、、かなりぐっすり寝た、、、、
バスの添乗員に
「ジャポン!! ジャポン!!!!」
と唐突に起こされた
「んだよ!! 」日本語で言いながら不機嫌な俺はグズッていた
添乗員
「降りろ パトナだ!」
え??
終点じゃないの?? パトナって?
なんか知らないけど終点はパトナではないらしく
俺、一人がバスから降ろされた
PM11時
しかも
ちょ、、高速の上じゃん!!!!!
やってくれるよなぁ、、、
あったまきた
フツー異国人、見知らぬ土地の高速の上に落とすかよ
ぶつぶつ言いながら歩いた
とにかく自力で高速を降り
明かりを探してひた歩いた
1キロほど歩くとガソリンスタンドが見えてきた
ここが24時間営業なら、、ここで朝を待って動き出そうとしたが
後、1時間で閉めるからどっか行けだと、、、
つめてーな おい。
でもスタンドの親父が教えてくれたけど
イタリア行きのフェリー乗り場まで
あと15キロくらいあるらしい、、、
チクショーだよ、、とほほ
しかし真っ暗で身動きのできない以上
このあたりで夜を明かして動かないとな、、、
明かりを求めさらに1キロは歩いたか
海にでた、、、
後で聞いたが、、ローカルフェリーの船着場らしい
そこに車を改造した移動式の売店がでていた
車で通る人たちの良い休憩所になっていた
聞くと24時間営業だ
よし、、、近くに人がいるなら何かと安全だ
売店のお兄ちゃんといくらか話をして
少しは顔見知りになると
近くの空き地に移動して寝袋を広げた
ここなら何か起きても大声を出せば人に届くし
買ったばかりの寝袋
暖かかった
そして包まれるとなんだかすごい安心感を感じる
思いのほか良く寝れた
久しぶりの野宿だ、、、
夜が明ける
買っておいたピタパンにランチョンミートとマヨネーズそしてオレンジジュース
夜明けの海を見ながらの優雅な朝食をすませ
また港を目指して
Blue & White
ブルガリアのとあるバスステーションでカメラマンのヒロくんと別れた
久しぶりにまた一人になり、目指すわアテネ
しかしバスはフルで翌日にならないと無いと言われ
ビジネスホテルで一泊して時間を潰してからのアテネ入り
一昼夜バスに揺られ随分、夜遅くに付いたけど
目当ての安宿も見つかり一安心だ、、、
宿泊したホテル Hotel Sun Lemo ドミトリー 12€
ギリシャについてお金が€になる、ここからが本当のユーロ圏内
物価も格段に上がった
大げさかもしれないけどブルガリアから比べればば倍近く上がった
でも臆するどころかテンションも上がった
貧困な旅もまた楽しいとは
10年前に知ったこと
人とも繋がりやすく
いや、繋がらざるをえなくなるからね、、、
宿にいた日本人チャリダー<自転車旅の人の総称>
に教わった安くて美味しいピタサンド
もう、、とてもレストランでは食えないからね、、
毎日のようにこれを食べたよ
どうやら日本のニュースでも知れているくらい
今、アテネの不況は深刻らしい、、、
心なしか人も暗い、路地を一本入れば危険な香りもした、、、
何日かはギターを弾きながらのんびり過ごし
アテネ滞在、最終日に
路上ライブと
アクロポリスの見物に出かけた
街中での演奏
やはりあまり反応は良くない
目が肥えているせいもあるのだろうか
まだまだ僕のパフォーマンスが足りないせいもあるんだろうけども
やはり人々はそれどころではございませんよ、という印象も感じた
こういう厳しい環境で揉まれることが大事だなとも思った
とにかく青い空に白い雲
白い神殿に家家
国旗の色そのままに
アテネは日中はま真夏のような暑さだった
アクロポリスに祈りを捧げるジプシー
彼の吹くリコーダーの音色は今もすぐに思い出せる
イタリアへの船便のチケットを取っていた
2日後にギリシャの西端パトナという港町から出る
その船に間に合うために
僕はアテネを出発した
スーパーで2日分の水とパン ツナ缶とマヨネーズを買って、、、