Redの未来は自分で創る -8ページ目

Redの未来は自分で創る

あなたは自分が変われると思ってますか?。時間が未来から現在に向かって流れている、この事を知ればあなたは変われる。


人間は「理性的」な生き物だと言われている。


地球上には約900万種の生物が存在していると言われているが、

その中で手を合わせて「神」に祈るのは人間だけである。


その人間が、理性を働かす事が出来ずに行動してしまう時がある。


それはどう言う時だと思いますか?。


そう、それは「怒り」を覚えたとき。


怒りを覚えたとき、普段は理性的で知的に見える人の態度が一変する。


よく、ニュースで事件を起こした当事者へ事件当時の状況を聞いた際、

「つい、カッとなってやってしまった。気が付いた時には相手が倒れていた」

と言うくだりが出て来る。


怒りは本能的な行動と言える。本能的な行動故に「気付いた時には、、」と

言う言葉が出て来るのだ。


つまり、「怒り」>「理性」と言うことになる。


では、怒りの感情は全て「悪」なのか?。


元々「怒り」を持つと言うは、先ほどお話ししたように、本能的な行動であると

言える。何かの危機に瀕したとき、自分自身の生命を守るために与えられた機能

なのかもしれない。


だとすると、お釈迦様やイエス様のように「悟り」を開かない限り、怒りを無く

してしまう事は難しい事のようだ。


だとすれば、怒りのエネルギーをいかに上手くコントロールする事が出来るか

と言うところに意識を向けるべきだろう。


この「怒り」のエネルギーを国家の体制維持のために利用しているK国、C国

と言う国もあるので個人においてもコントロールする方法はありそうだ。


ただし、コントロールを誤ると周りから嫌われる存在になるので、その辺りは

注意が必要だろう。


また、常に全く我慢する事なく「怒り」に任せてエネルギーを放出していると

いつしか「人相」が変わり、何事に対しても怒りをもって反応してしまうと言う

「別の人格」が出来てしまう恐れもあるのでこの辺りも注意が必要である。



それでは、この感情コントロールを私達の身近な例で見てみよう。


あなたには、お子さんがいるだろうか?。


それでは、お子さんを怒ったことは?。


子を持つ親であれば、子供を叱ったり怒ったりした事の1度や2度はあるだろう。


子供に関心のある親であれば尚更である。


それでは、感情に任せて子供を叱ったり怒ったりしたあと、あなたはどう思った

だろうか?。


「あー、言い過ぎた。あそこまで言う必要はなかったのに」


「私の方も悪かったのに、子供だけのせいにしてしまった」


などと落ち込んでしまった事はないだろうか?。



私達親が子供を叱ったり怒ったりする事の根底にあるのは、「子供の為を思って」

と言う想いのはずである。もし、自分のストレスのはけ口としての行為であれば

論外であり、今すぐ反省すべきである。


とは言っても、人間の感情は良い時もあれば、悪いときもある。


それでは、「子供がやるべき事をやっていなかった」時にどう接すればいいか?。


子供がそういう行動を起こした直後の親の気持ちは殆どが

「感情」>「理性」の状態になっている。


その時の対処法としては、


①心の中で「1、2、3」と数字を数えフォーカスする事象をずらす

②その場から離れ、強制的に「間」を作り冷静になる

③許すための呪文を唱える

※例)「しょうがないなぁ」と言う言葉とニコッとした笑顔をリンクさせる
   習慣を付け、怒りそうになったとき「しょうがないなぁ」とつぶやく。

④自身の子供の頃を振り返る

※②の際に実施しても効果あり

⑤子供の立場になって考えてみる

※もし、あなたが仕事で晩御飯の支度が遅くなり、頑張って急いでやろうとして

 いるのに子供から「まだぁ、早くしてよ」と何度も言われたらどう思うだろうか?。

 子供にも子供なりの「事情」や「言い分」があるのかも知れない。

➅あらかじめ「今日は何があっても怒らない」と言う日を決めておく



④に関しては、最近我が家でもあった事象で、休日に子供が朝に家を出たきり

お昼になっても帰って来ず、結局夕方帰って来たと言う事があった。


その際、妻は少々ご機嫌ななめであったが、私自身、休日は朝6時位に飛び出し

昼飯も食べず夕方まで遊びっぱなしと言う事がしょっちゅうあり、親から

「鉄砲玉」のような奴だ、と言われていた事もあるので、その気持ちは十分理解出来た。


「遊びに夢中なんだからいいじゃん」と言う事で妻を説得する事が出来たと言う事があった。



先程話したように、元々「叱ったり」「怒ったり」する事の根底にあるのは

子供の事を心配していると言う想いである。


だとすれば、子供も感情を持つ一人の人間。怒られれば心を閉ざし、本当に伝えたい

親の気持ちなど知る由もない。それよりは、上記の方法を使ってでも冷静な状況で

その気持ちを伝える方がお互いにとって良い関係を築く事が出来ると言うことだ。


件の国のように「理性」よりも「感情」が先だった行動をしてしまうと、物事を

「客観的」「俯瞰的」に見る事が出来難い状況に自分を追い込んでしまう恐れがある。

そうなる事は、自分自信にとっても周りにとっても良い事はない。


「人のふり見て知らんぷり」ではなく、「人の振り見て我が振り直せ」の精神

で私達も自分自身の「理性値」を高めて「真の大人」を目指して頑張ろう!。

あなた或はあなたの家族や会社では、目標を持って物事に取り組んでいますか?。



●今年のうちの会社の上期売り上げ目標は○○億で利益目標は○千万円。


●今回のキャンペーンのお客様獲得目標は○○人、最低○○人は必達で頑張ろう。


●我が家の今年の目標は、家族でハワイ旅行に行くことにしよう。


●私の今年の個人目標は給料と副業で年収1000万円を稼ぐこと。



と世の中には、会社から家庭そして、個人に至るまでありとあらゆる目標と

呼ばれる物が存在する。


そして、目標の立て方や目標達成法に関する本なども本屋を覗けば、どれを

読もうかと目移りするほど多くの書籍が出版されている。


このブログを読まれているあなたも、これまで目標を立てて取り組んだ事が

1度や2度はあるだろう。


かく言う私も、以前は「宅建」「行政書士」「情報処理技術者」の資格取得、

英会話をマスターすると言う目標を立て、取り組んでは挫折を繰り返した人間。


毎日、腹筋100回、背筋100回、腕立て100回、ウォーキング30分などと

言う目標を立てては1ヶ月と持たず挫折と言う事も繰り返していた。


私達の普段の生活を見て見ると、こんか感じで目標を立てて行動を起こすと

言う事が頻繁に行われているように思われる。これは日本人に限った事なのか

或は外国人であれ、人間であればそうであるのかは、該当する資料が見当たらな

かったので、定かではない。みなさんの周りに外国人の知人や友人がいれば是非

聞いて見て欲しい。


さて、それではその目標は何のために立てたの?と問われると、、、。


明確な「目的」が無くなんとなーく、出来たらいいな、なんとなーくそのスキルを

持っていたら将来役に立ちそうと言うレベル。ひどい場合には、知らず知らずの内

に目標自体が目的化している場合も。



件の「今年の目標は家族でハワイ旅行に行く事」と言う物を例にとって見よう。


ハワイ旅行に行くために、旅費を稼がなければならないため、お父さんがいつも

より、残業で帰りが遅くなる。お父さんとしては、ハワイ旅行の旅費を捻出する

為に、夜遅く帰ったり、土日も休日出勤する事は当然の事。「俺は目標を達成する

為に頑張っているんだ」と思うだろう。ところがその過程で、家族との会話が減り

家族の状況が把握出来なくなる。奥さんやお子さんは色んな問題をお父さんに

相談したいと思っていてもお父さんはいつも家におらず、いつの間にか「お父さん

はいざと言う時、頼りにならない存在」と言う烙印を捺されてしまっているかも

知れない。


そんな状態で、目標である「家族でのハワイ旅行」が達成出来たとしよう。

もしかすると家族は、別にお父さんとハワイ旅行に行きたいと思っていないかも

知れない。お父さんが勝手に決めた事に何で従わないといけないの、と言う状況

になっているかも知れない。そうなるとそうした態度が自然とあらわれてくる。

お父さんとしては、「家族の為に」「家族が喜ぶ顔を見たいから」と思って

頑張って来たのになんだその態度はと怒ってしまうだろう。


こうして家族旅行は最悪の事態を招く、、、と言うストーリーもあながちない

とは言えないのでは?。


この結果は、お父さんが目標としていた「ハワイ旅行」を何の目的でやろうと

していたのかを家族と共有できず、尚且つ「ハワイ旅行」に行くと言う事が

何事にも優先する「目的」と化してしまったところに問題があったと言えよう。


もし、ハワイ旅行の目的が「家族と楽しく過ごす時間を持ちたい」と言うもので

あれば、家族と相談しお金のかかるハワイではなく、国内の羽合町でも良かったの

かも知れない。


つまり、達成すべきは「目的」であって、目標はそこへ到達するために立てられた

「一里塚」でしかないと言う事だ。その一里塚に向かう道が上記の例で言うと

家族をないがしろにしなければ達成出来ないものであれば、本末転倒となるので、

別の道、別の一里塚を目指すと言う選択肢も可能であろう。


この辺りの認識をしっかりと持てる人間は、目標を絶対視したり、目標に振り回され

目的を見失う事もないだろう。


さあ、今一度振り返って見よう。


あなたの立てた「3kg痩せる」と言う目標は何のために立てた目標か?


「今年中に1000万の収入を得る」と言う目標は何の為に立てた目標か?


この目的が明確になって来ると達成のための道は一つでない。一度失敗しても道が

閉ざされた訳ではないと言う事が分かるだろう。


こうしてあなたは、例え立てた目標が万が一達成できなかったとしても、落ち込む

事なく、次なる目標を目指し、目的達成へと歩み続ける事が出来るだろう。


あなたの「夢」、やりたい事はなんですか?。


と聞かれたら、あなたなら何と答えるだろうか。


「私の夢は、豆腐を1丁2丁と数えるような〇兆円企業を創る事です」


あるいは、


「私の夢は、世界中をバックパッカーで旅する事です」


「私の夢は、教育が行き届いていない東南アジアの国々に学校を作ることです」


「私の夢は、日本列島にモーターを取り付けて太平洋の真ん中まで移動させ、

隣国といざこざのない本当の島国を作る事です」


と言う方もいるかも知れない。



しかし、中には「う~ん、急に夢と言われてもなぁ」と言葉に詰まってしまう方

もいるだろう。



それでは、こう質問を変えて見よう。


「もし、あなたのやる事が絶対に失敗しないとしたら、あなたは何をしたいですか?」と。




多くの「大成功者」と呼ばれる人達に共通しているのは、その行動によって

もたらされた結果に対し、決して「失敗した」と言う思いを持たないと言う

ことだ。そもそも、彼らには「失敗」と言う概念がなく、出て来たのは単なる

行動をした「結果」にしか過ぎないのだ。つまり、逆に考え上手く行かない

方法を1つ見つけた(by エジソン)に過ぎないのだ。


この方法は上手く行かなかった。それじゃ、これ以外の方法を試せばいいと

言う事だな、とゴールにたどり着けない余計な選択肢が一つ減って、成功出来

る確立がまた上がったと言う捉え方をするのだ。


こうして彼らは、出来ない事にフォーカスするのではなく、どうすれば成功の

可能性を上げる事が出来るのかと言うことにのみフォーカスする事により、彼ら

の脳(潜在意識)も自然と成功する方法のみを探し求めていたのではないだろうか。


「そうは言っても、実際上手く行かなかったんだし、失敗した事には変わりないじゃ

ないか」と言う方がいるかも知れない。


しかし、物事を断定して捉えるのは余り宜しくない。何故なら日々全てが変化して

いるからだ。つまり、例えその行動が失敗だったとしても、次の行動でそれがより

良い物になったなら、それはもはや「失敗」ではなく、単なる一過程に過ぎなく

なると言うことだ。


例えば、あなたが会社へ行く道すがら、いつも通っている道がたまたま工事中で

通行できなかったとする。


その時あなたは「あー失敗した、まさかこの道が通行止めになってるとは知らなかった。

俺はとんでもない事をしてしまった」と嘆き悲しむだろうか?。


恐らく、「エーッ!」とガックリくるだろうが、それ以上は何事も無かったかのように

別の道を探すのでは
ないだろうか?。


何故なら、その道を通る事が目的ではなく、それは目的地へ向かう「通過点」に

過ぎないからだ。


例えば、私達の最終目的が「幸せになること」であるとしたならば、「事業に成功する

こと」もその一通過点に過ぎないかも知れない。そうであれば、先程の通行止めの道に

直面した時の如く


「この道がダメなら別の道を探すか」と考えるのが普通なのかも知れない。そして、

それまで、そこが一番の近道だと思っていたのが、実は他にもっと近道がある事を

見つけてしまうかも知れない。、



成功者と呼ばれる人達とて、我々と同じ人間。


彼らと私達の間に、人間としての資質にそれほど決定的な「差」があるとは

思えない(傲慢か?)。


であれば、私の「夢」は良く分からない、、、と思っているそこのあなた!。


先ずは、「絶対に失敗しないとしたら何をしたい?」と自分に問いかけて見て欲しい。


そして出て来た答えを今の自分の立ち位置で否定せず、取り組んで見てはどうだろうか?。


脳機能学者の苫米地博士曰く「その目標は大きければ大きいほど良い」のだそうだ。


是非皆さんも「世界征服」をたくらむショッカーの如く、大きな野望を抱いて

途方もない「夢」にチャレンジして見てはどうだろうか?。