人間は「理性的」な生き物だと言われている。
地球上には約900万種の生物が存在していると言われているが、
その中で手を合わせて「神」に祈るのは人間だけである。
その人間が、理性を働かす事が出来ずに行動してしまう時がある。
それはどう言う時だと思いますか?。
そう、それは「怒り」を覚えたとき。
怒りを覚えたとき、普段は理性的で知的に見える人の態度が一変する。
よく、ニュースで事件を起こした当事者へ事件当時の状況を聞いた際、
「つい、カッとなってやってしまった。気が付いた時には相手が倒れていた」
と言うくだりが出て来る。
怒りは本能的な行動と言える。本能的な行動故に「気付いた時には、、」と
言う言葉が出て来るのだ。
つまり、「怒り」>「理性」と言うことになる。
では、怒りの感情は全て「悪」なのか?。
元々「怒り」を持つと言うは、先ほどお話ししたように、本能的な行動であると
言える。何かの危機に瀕したとき、自分自身の生命を守るために与えられた機能
なのかもしれない。
だとすると、お釈迦様やイエス様のように「悟り」を開かない限り、怒りを無く
してしまう事は難しい事のようだ。
だとすれば、怒りのエネルギーをいかに上手くコントロールする事が出来るか
と言うところに意識を向けるべきだろう。
この「怒り」のエネルギーを国家の体制維持のために利用しているK国、C国
と言う国もあるので個人においてもコントロールする方法はありそうだ。
ただし、コントロールを誤ると周りから嫌われる存在になるので、その辺りは
注意が必要だろう。
また、常に全く我慢する事なく「怒り」に任せてエネルギーを放出していると
いつしか「人相」が変わり、何事に対しても怒りをもって反応してしまうと言う
「別の人格」が出来てしまう恐れもあるのでこの辺りも注意が必要である。
それでは、この感情コントロールを私達の身近な例で見てみよう。
あなたには、お子さんがいるだろうか?。
それでは、お子さんを怒ったことは?。
子を持つ親であれば、子供を叱ったり怒ったりした事の1度や2度はあるだろう。
子供に関心のある親であれば尚更である。
それでは、感情に任せて子供を叱ったり怒ったりしたあと、あなたはどう思った
だろうか?。
「あー、言い過ぎた。あそこまで言う必要はなかったのに」
「私の方も悪かったのに、子供だけのせいにしてしまった」
などと落ち込んでしまった事はないだろうか?。
私達親が子供を叱ったり怒ったりする事の根底にあるのは、「子供の為を思って」
と言う想いのはずである。もし、自分のストレスのはけ口としての行為であれば
論外であり、今すぐ反省すべきである。
とは言っても、人間の感情は良い時もあれば、悪いときもある。
それでは、「子供がやるべき事をやっていなかった」時にどう接すればいいか?。
子供がそういう行動を起こした直後の親の気持ちは殆どが
「感情」>「理性」の状態になっている。
その時の対処法としては、
①心の中で「1、2、3」と数字を数えフォーカスする事象をずらす
②その場から離れ、強制的に「間」を作り冷静になる
③許すための呪文を唱える
※例)「しょうがないなぁ」と言う言葉とニコッとした笑顔をリンクさせる
習慣を付け、怒りそうになったとき「しょうがないなぁ」とつぶやく。
④自身の子供の頃を振り返る
※②の際に実施しても効果あり
⑤子供の立場になって考えてみる
※もし、あなたが仕事で晩御飯の支度が遅くなり、頑張って急いでやろうとして
いるのに子供から「まだぁ、早くしてよ」と何度も言われたらどう思うだろうか?。
子供にも子供なりの「事情」や「言い分」があるのかも知れない。
➅あらかじめ「今日は何があっても怒らない」と言う日を決めておく
④に関しては、最近我が家でもあった事象で、休日に子供が朝に家を出たきり
お昼になっても帰って来ず、結局夕方帰って来たと言う事があった。
その際、妻は少々ご機嫌ななめであったが、私自身、休日は朝6時位に飛び出し
昼飯も食べず夕方まで遊びっぱなしと言う事がしょっちゅうあり、親から
「鉄砲玉」のような奴だ、と言われていた事もあるので、その気持ちは十分理解出来た。
「遊びに夢中なんだからいいじゃん」と言う事で妻を説得する事が出来たと言う事があった。
先程話したように、元々「叱ったり」「怒ったり」する事の根底にあるのは
子供の事を心配していると言う想いである。
だとすれば、子供も感情を持つ一人の人間。怒られれば心を閉ざし、本当に伝えたい
親の気持ちなど知る由もない。それよりは、上記の方法を使ってでも冷静な状況で
その気持ちを伝える方がお互いにとって良い関係を築く事が出来ると言うことだ。
件の国のように「理性」よりも「感情」が先だった行動をしてしまうと、物事を
「客観的」「俯瞰的」に見る事が出来難い状況に自分を追い込んでしまう恐れがある。
そうなる事は、自分自信にとっても周りにとっても良い事はない。
「人のふり見て知らんぷり」ではなく、「人の振り見て我が振り直せ」の精神
で私達も自分自身の「理性値」を高めて「真の大人」を目指して頑張ろう!。