あなたは、自動車を購入したことがあるだろうか?。
購入前、ディーラーの展示場に展示されている状態の時は「新車」
と呼んでいる。
一旦ナンバーが登録され、未使用の状態で市場に出回っているのが
いわゆる「新古車(未使用車)」。
誰かの手に渡り、僅かであっても走行したものを「中古車」
と呼んでいる。
それでは、上記3種類の車のうち、一番「価値」が高い物は
どれだろうか?。
誰に問うてもヴィンテージ物の車でない限り、「新車」と答える
はずだ。
それでは、パソコンはどうだろう?。
「新品」の店先に並んでいるパソコンと、誰かが使用し通販番組
で下取りされた「中古品」とどちらの方に価値を持つだろう?。
こちらも当然「新品」パソコンと答えるだろう。
このように、物の世界においては、ジーンズや家具、クラッシック
カー等の、一部のヴィンテージ商品を除き、物の価値と言う物は
時と共にその価値を下げていくものである。
ところがここに、時と共にその価値を高めて行くものがある。
それは何だと思われますか?。
それは、「人間」と「情報」。
一般的に、人間は成長と共に「知識」を深め物事を思慮深く見る事が出来
るようになり、同じ環境であれば、大人と子供とではその生み出す価値に
雲泥とも言える程、大きな差が出て来る。
同じ大人であっても、20代と40代では、その経験値と知識量の違いから
通常は生み出す価値も大分差がある事だろう。
情報に関して言えば、単に「ひとつの情報」と言う観点で見たなら「新鮮な
情報」、「賞味期限切れの情報」と言う区分けもする事が出来るだろう。
ところが、情報はその情報単体で流されると言う事は少ない。
一つの情報は、他の情報とミックスされ必要な形に加工されて配信されて
行く。そして、時とともに形を変えた「情報」はより洗練されより価値の
ある「情報」の一部、あるいは補完的な立場としてブラッシュアップされて
ゆく。
つまり情報とは、足したり、引いたり、積み重ねたりしながらより価値の
高いものへの作りあげられて行くと言うことだ。
また、Aさんから発せられた情報は、Bさんと言う別の知識を持つ者の
フィルターを通す事により、そこにプラスαが加えられ異なった形へと
変化を遂げて行くことも可能である。
車やパソコンなどは、時間と共に古くなり、その価値を下げて行くのに
対し、情報は常に変化しその価値を高める事が可能である。
おまけにこの情報は、その気になれば、いつでもどこでも誰でも手に
入れる事が可能なものである。
それをより価値ある物として提供できるかは、それを扱う人間次第と
言う事である。
もし、その情報を扱う人間が「価値」ある物として情報を扱えば、相手も
そのような気持ちや観点で情報を見るであろうし、その人間が情報は価値
のないものとして扱うのであれば、相手もそのような気持ちや観点で情報
と言う物を見ることだろう。
かの有名は「スティーブ・ジョブズ」は、情報の重要性を認識し、アイフォン
等の売り出しに際して、情報をコントロールし、最大限の効果を出す形での
広告を打ったと言われている。
故に情報を扱う者は、常にその情報の価値と言う物を意識しながら丁寧に
扱う必要があるだろう。情報に価値を見いだせない人間に、情報を扱う
資格があるのか、はなはだ疑問である。
今一度、私達の周りにある「情報」の価値について考えて見る必要が
あるかも知れない。
私達が当たり前と思っている情報の中にも、キラリと光を放つものが
眠っているかも知れない。