「〇〇力」で思いつく言葉は?
と問われたら、みなさんなら何と答えるだろう?。
「筋力」、「脚力」、「腕力」、「読解力」、「精神力」、
難しいところで「環境適応能力」など様々な答えが出て来るだろう。
これらに共通するある事とは何だと思いますか?。
ある人の言葉に「~力」と付くものはやりようによっちゃ鍛えられる。
と言うのがあった。
以前であれば、見知らぬ人に道を尋ねるのさえ「勇気」のいる行動
だっただろう。聞けばものの30秒で済む事でも、わざわざ案内板や
説明用ボードを探したりして時間をロスしていたかも知れない。
しかし、今は知らない人に「平気」で声をかけ、気が合えば談笑まで
してしまう自分がいる。
去年と比べ明らかに「精神力」「コミュニケーション能力」がアップしている。
※おばちゃん力のアップか?。
これは、自然に身に付いたものではない。
昨年までは、システム系、BP系の仕事であったため、特に見知らぬ人と
接する事がなくても、問題なく仕事をこなすことが出来ていた。
しかし、仕事が変わり、社内ではなく、一般の人と接する機会が増えたとき
見ず知らずの人に話しかける事に対し「抵抗感」がある事がはっきりと分かった。
何故、見ず知らずの人に話し掛けたり、話しをするのに抵抗感があるのか?。
それは、自分でも知らないうちにその事に対する「恐怖心」と言う物を持っている
からに他ならないと言う事に気が付いた。
「恐怖」と言うものは「幻想」である、と言った人がいた。
確かに人に声をかける時、或は人の前で話しをする時、私達は何故か
恐怖と言うものを感じで緊張で動けなくなったり、言葉が出なくなったり
喉が渇いて上手くしゃべれなかったりしてしまう。
それは何故なのか?。
人に話しかけた事による最大のデメリットは?。
せいぜい「無視」されることくらい?。当然それで傷つく人も中にはいる
だろう。しかし、それはまた「無視」されると言う事に重きをおいている
からである。
喫茶店でウェイトレスが「お水のおかわりいかがですか?」と言ったとする。
お客さんが「いやいいです」と言ったからと言っていちいちショックを受けて
いたら仕事などやっていられない。
「ガーン、ひどい私のお水を断るなんて。一体私はどうしたらいいの」などと
悲劇のヒロインを演じている場合ではない。
「あ、今は要らないのね、じゃまた後で聞いて見るか」と思う程度でいいのだ。
なのに何故そこに「恐怖」を感じるのか。
それはまさしく「幻想」でしかない。
断られると言う事の背後に「大きな幻想」を抱きそれが段々と私達の心を覆って行く
と言うことだ。
しかし、例えば訪問等でいざ断られた際の「デメリット」を書き出して見ると、
「居留守」「インターフォンで結構と言われる」「面と向かっていいと断られる」
etc、、、。
どれを取っても「あれ?、こんな事で立ち止まってたの?」と思う位大した事で
なかったりする。
この事に気が付いた人はあらゆることにチャレンジして成功を収め、より広い人間
関係を築ける人になるのだろう。
「俺が俺が」と言って出て来る奴は、ずうずうしい奴。
人のため、お客さんのためを思って出て来る人は「積極的」な人。
世の中見てないようで、よく見ているものだ。
あなたもあなた自身の「目的」に向かい自分に出来る「○○力」を鍛えると言う
ことにチャレンジして見てはどうだろうか?。
きっと、見える世界、出会える人間の質が変わってあなたの人生も大きく変わる
に違いない。
ただし、変わりたいと思っている人間であればだが。