2021年2月17日のFBへの投稿

 

昨日の東京新聞。

大切なのはロックダウンするかどうかっていうことじゃない。表面的なやり方だけ真似するのはアホだ。

アーダン首相が連日SNSで国民に発信・・・「政府も情報開示を徹底し、感染者根絶に向けた戦略を分かりやすく丁寧に説明し続けた」

・・・「対策の科学的根拠が明快。政府が説明責任を果たしたことで、国民の側も納得して受け止めている。相互の信頼関係が築かれていることが日本との大きな違いだ」

 

 ずいぶん間が空いちゃったな。4月の5日に、父の移動先として前もって話をしておいた老人健康施設に面談に行った。実家からは車で20分ほどかかるところで、決して近くはないが、なかなか雰囲気のいいところだった。3か月間は、週5日、集中的にリハビリをやり、その後は、そのままお世話になることもできるが、その場合はリハビリの回数はぐっと減るとのことだ。今さらどれだけ回復するかは極めてあやしいけど、リハビリをするということ自体に意味があるはずだ。まずは3か月間、そこでお世話になることにし、4月の終わりぐらいに移ることになった。

 ところが、東京に戻って数日後、父が入院したとの連絡があった。食事が上手く採れず栄養失調が疑われるとのことで病院に行ったところ、それが原因で心臓に負担がかかり、さらに肺炎も発症しているとのことだった。この時も、最初に母が病院に行ったんだけど、医師の説明がしっかり理解できなかったようで、もう二度と戻ることはないかのような騒ぎだった。

 僕も多少、覚悟したんだけど、父はまたまた復活して、昨日、ついに新しい生活の場となる老健に入所した。認知症は相当進んでいるようだけど、明日から頑張ってリハビリに励んでもらいたい。

 

 父は、当然のことながら、うちの娘をめちゃくちゃに愛した。今はもう24歳になっているけど、なぜか「なごじいちゃん」には優しく接してくれて、2人のことは安心してみていられた。父は、普段からベイビーに会ったら何を話そうかと考え、メモをとっていたようだ。家族で会う機会があると、チャンスをうかがっていたかのように、手帳を見ながら2人だけの会話を始めた。ボソボソしゃべってるんで、内容は分からないけど、結構長い話をベイビーは黙って聞いていて、時々、何かを答えると父が「そうそう。よう分かっとるなあ」とか言いながら、嬉しそうにしてたな。

 娘のおかげで、いい親孝行ができたと思ってる。

 

 秀征さんとの出会いは、1994年頃、新党さきがけが主催し、秀征さんが塾長となって立ち上げたさきがけ塾に参加したことがきかっけだ。そして、さらに1~3期の合計500人ぐらいいた塾生から2~30人の専修科を作ることになり、相当な倍率にもかかわらず、そこに選んでもらったことで、個人的にも話をするようになった。月に1回の勉強会があり、最初は石橋湛山に関する本を何冊も読む所から始まったと記憶している。

 

 僕が秀征さんにいつも感心するのは、固定観念に捕らわれない「政治の見方」だ。

 例えば、今回も、ロシアがウクライナに対して、中立化、非武装化を求めていることについて。そんな要求を受け入れたら、ウクライナはあっという間にロシアの領土にされてしまうだろうと考えるのが普通だ。

ところが、秀征さんはそうはならないと断言する。

プーチンは、非武装中立の国となったウクライナをそのまま存続させるに違いないという。部屋と部屋の間に空き室を作る、つまり、ロシアとNATO加盟国との間に、緩衝地帯を作り出すことに大きな意味があるというわけだ。

 こういった深い洞察の反面、シャラポワのウクライナ支持の表明には手を打って喜んだという。そんなことの積み重ねにこそ希望を見出せると言っちゃうのも、秀征さんらしい。

 

 第1部の配信アーカイブは以下で観ることができる。

 今回はサロン1回目ということで、ちょっと特別な回となったが、次回以降は、意見や考えというより、現場を持つ人たちに、その現場を語ってもらう予定だ。