稜威の高鞆/Discovery | 鞆の浦二千年の歴史を紐解く“鞆の浦研究室”/Discovery! 鞆の浦

稜威の高鞆/Discovery

【稜威の高鞆(いづのたかとも)NEW
(このページは継続して書き足していきます)

鞆の浦


鞆の浦は、瀬戸内海に突き出た沼隈(ぬまくま)半島の東南端に位置し、
背後には急峻な山々が海岸まで迫り、わずかな平地に家々が軒を連ねて建ち並んでいます。
また、鞆は瀬戸内海のほぼ中央に位置するため、古くから潮待ちの港として栄えてきました。

東は紀伊水道から,西は豊後水道からの満ち潮は鞆の沖合いでぶつかります。
その潮に乗って、船は鞆の港へ入り、引き潮に乗って再び船出していくのです。
しかも、仙酔島(せんすいじま)、大可島(たいがしま)、玉津島(たまつしま)、
明神山(みょうじんやま)などの島々が防波堤となり、天然の良港でもありました。


沼名前神社(ぬなくまじんじゃ)は、鞆祇園宮(ともぎおんぐう)とも称され、
大綿津見命(おおわたつみのみこと)、須佐之男命(すさのおのみこと)を祀る。



第十四代仲哀天皇の2年、神功皇后が西国へ御下向の際この浦に寄泊する。
その際この地に社の無きことを知り、斎場を設け、
この浦の海中より涌出た霊石を神璽とした。
綿津見命を祀り海路の安全を祈ったのが始まりとされる。

神功皇后御還幸の折、再びこの浦に寄り、綿津見神の大前に
稜威の高鞆(いづのたかとも:弓を射る時に使った武具の一種)を納め、
お礼をしたところから、この地が鞆と呼ばれるようになる。

鞆の浦


【稜威の高鞆(いづのたかとも)/解説】
秦の始皇帝の兵馬俑抗(へいばようこう)から発掘された弓(弩機)は、
木の弓で張力を増すために、弓鞘に革ひもを捲き、その上に赤漆がかけてあった。
日本で使った弓は、竹に皮ひもを巻いたものだった。
この弓を、伊都之竹鞆(いとのたけとも)といった。
伊都之尾羽張(いとのおはばり)と言うと、中国の刀剣のこと。
伊都之竹鞆と伊都尾羽張で、矢と剣がセットになる。
この伊都は伊都国の伊都。
帯方郡から、魏の使者が駐在していたのが伊都国(福岡県糸島)。
中国物品の揚陸後、この地で検品をした。
とうぜん伊都国に、この弩弓は集中していた。
伊都の・・・といえば中国から運ばれた製品という暗黙の意味だったのだろう。
伊都之竹鞆(いとのたけとも)は、紀では稜威之高鞆(いつのたかとも)と記される。
稜威(いつ)は伊都(いつ)と同じで、伊都は、伊斗、怡土など、いくつかの文字がある。




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