EXILE系に対して妙な偏見持ってない? | コードチェンジのために

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好かれたいけど媚びたくないまだ考えているノート

EXILE本体及びEXILE系のミュージシャンとその楽曲、けっこう偏見の目で見られているのではないだろうか。実を言うと、私も偏見を持っていたクチの一人である。ろくに注意して楽曲を聴いたこともなかったのだが、EXILE本体及びEXILE系は「シャッターに火を付けろ」とか「クソッたれの頭を吹っ飛ばせ」とか「構うもんかやっちまえ」みたいな、ある種のアナーキーで反社会的なことばかりを歌っているのだろうとばかり思っていた。

 

しかし、そんなに親しくない知人から勧められて渋々何曲か聴いてみて、自分の考えが偏見であったことに気付かされた。「みんなで頑張ろう」とか「仲間を大切にしよう」とか「夢を追いかけよう」とか「挫けそうなことがあっても大丈夫」とか、私が考えていたよりも遥かに倫理的で健全で前向きなことを歌っているのである。このギャップには驚いた。こんなにも社会の秩序に服することを潔しとしなさそうなビジュアルを呈していながら、その歌う内容は実に社会に適合した、倫理的な内容なのだ。この落差。

いや、もしかしたら当然なのかもしれない。彼らは単独ではなくグループでの活動が主であり、だからこそそこに属するメンバーの個々人に対しては一般社会よりも大きな圧力として倫理的なエネルギーが課せられているということも考えられる。

 

あるいはこういうことが言えるかもしれない。どれだけオラついていても、ヤンキーめいていても、EXILE等のファンでありさえすれば、ある一定の倫理感については堅持されるのではないか、と。ひょっとしてこのグループは、そういう社会的な機能を担っているのではないか、とも疑ってみたりしている。