予定の無い休日の食事、どうしてる? | コードチェンジのために

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好かれたいけど媚びたくないまだ考えているノート

予定の無い休日の食事は、何となく自分の体の具合を確認しながら食べる、ということを結構やる。

習慣として三食摂る、ということから脱したいような気がする。

 

 

例えば実家で生活していた頃は、習慣として家族の食事の時間に合わせて私も食事をした。メニューも量も、基本的には出されたものを黙って食べる格好である。そのため、結果としてそんなに食べたくない気分や空腹でない時に食事をすることもあったし、特に食べたいと思ってはいないモノを食べる場合もあった。要するに習慣に従って食べていた。

一人暮らしを始めた学生時代やサラリーマンになってからも、この習慣に従って食べる、という状態は続く。例えば通学前/出勤前、それほど空腹でなかったとしても、「○○時までは食べられないから」という打算でとりあえず食べたり、あるいは完全に習慣として何も考えずに食べたりしてきた。昼休憩も同様である。特に食べたいものでなくても、それほど空腹でなくても、「この時間を逃せばもう少なくとも〇〇時までは食べられないから」という打算で食べる。

 

で、予定の無い休日である。

わりと最近気付いたのだが、私は長らく、この予定の無い休日においても習慣に従って食事をとってきていた。そんなに空腹でなくても習慣で朝食をとり、昼食をとり、夕食をとる。逆に、空腹で「ああ○○が食べたいな」と思っても、いわゆる食事の時間まで我慢したりする。でもこんなことって何か意味があるのだろうか?と疑問に思ったのだ。

 

予定の無い休日の朝、空腹でないなら朝食なんて食べなくてもいいと思う。空腹を感じたら、そのとき食べたらいいのだ。予定は無いのだから。逆に、起床時にすでに空腹で、自分が食べたいと思うのであればラーメンでもカレーでも食べたらいいと思う。

習慣に従って、朝昼晩の相応の時間に三食摂る必要はないし、三食それぞれに似つかわしいと一般的に言われているメニューに固執する必要も、特になかったのだ。空腹を感じるなら三食に限る必要もない。

 

そういうわけで、予定の無い休日、私は折々自分の状態を確認して、食べるものと食べる時間と食べる回数を決めている。結果として一日一食になったり、一日五食になったりする。起床後間もなく空腹に駆られて山盛りのパスタを食べたり、日没以降に豆腐だけ食べたり、3時間おきに何か食べたりする。すべて体の具合と気分に応じて食べたりやめたりしている。

 

好きな時に好きなものを好きなだけ食べられる、という環境にほぼ、私はいるのだけど、不思議とそのことに気付いていなかったし、それを実行しようとも思わなかった。だがこの自由を活用しようとすると、よくよく自分の体の状態を観察してからでないと上手くできない。習慣に従って食べるのであれば何も考えなくていいのだが、自由を享受するには自分を観察して自分に問わねばならない。