「お前は、こっちにいちゃ駄目だ」
突然、手を引かれた。
そのままどんどんと連れて行かれ、駅のホームにいたはずなのに、今や交差点にいる。
さすが男の人の力はすごい。女の私が振りほどこうにも、びくともしなかった。
「放してください」
「駄目だっつってんだろ」
今度は睨まれてしまった。
凄みを利かせたかと思うと、はぁ~っと一つ重いため息をついて前を向いてしまった。
私はどうにか手を放してもらうよう抗うのをやめた。
そうして気づいた。
あれ、そもそもこの人、だれ?
じっと見つめる私に気づいたのか、彼はチラッとこっちを見て、またすぐに視線を前に戻した。
「…覚えていないんだろ?」
「あなたが誰だかわかりません」
「キッツいなぁ。どこにいてもその性格は変わらないな」
「答えになってないです。あなたは誰ですか?」
私の言葉が聞こえたのか聞こえていないのか、彼は交差点の信号ばかり見つめ、チッと舌打ちをした。
「なかなか信号かわんねぇな。そうか、お前の所為か。こっち行くぞ」
訳の分からないことを言ったかと思うと、再び手を引かれて移動した。
長い脚で大股で歩かれるので、私は走ってついて行かなくてはならなかった。
前の背中だけを見て進んでいたので周りは見ていなかったが、気がつくと信号など全くない、草花の薫る原っぱにいた。
「よし、あとはあの門をくぐるだけだ」
少し歩いた先にある古めかしい門を指差してそう言うと、彼はようやく私の手を放した。
温もりが突然消え、私は寂しく感じた。
「門をくぐったらどうなるんですか?っていうか、ここはどこですか?あなたは誰なんですか?」
私は矢継ぎ早に質問した。
彼は私を凝視して、やれやれといったように口を開いた。
「ここはいわゆる、三途の川みたいなもんだ。お前はいま死にかけている。でも、お前は生を諦めかけていた。言っとくけど、あのホームから電車に乗っていたらアウトだったんだからな。それを連れ戻してやったんだ、少しは感謝しろよ」
高い身長から首を傾げて見下ろし、彼は私の頭をポンポンと撫でた。
なぜか、懐かしさを感じた。
「あの門をくぐれば、お前は晴れて生き返る。さあ、行け」
彼が見たので、私もその視線の先を追った。
生命を分かつ門ならいてもおかしくなさそうな番人もいない。
古いだけの、何の変哲もない門だった。
「一つ、答えてもらっていないです。あなたは誰ですか?」
そう言いながら、私は無意識に彼の手を取っていた。
彼は一瞬ビクッとした。
自分は、ずっと放さず手を握って引っ張ってきたくせに。
「どうでもいいだろう、そんなこと」
「どうでもいい気がしません。なぜか懐かしいし、なぜかあなたに触れた温かさが嬉しい」
すると彼は、優しく微笑んだ。
睨んだ顔とは違って、愛くるしい。
私は、頬を涙が伝うのを感じた。
「ありがとう。ちょっとは思い出してくれたみたいだな。それだけで十分だ」
私がまだ会話を続けようとしたのを遮って、彼は私の身体を持ち上げた。
私は全力でもがいてみせたが、抵抗も虚しく門の目の前に来てしまった。
「じゃあな。一年振りに会えて嬉しかったぜ。あと、いつも墓にビール、ありがとな」
私は涙で視界がぼやける中、背中を押されながらもなんとか振り返って彼を見た。
最後まで、あの愛おしい優しい笑顔だった。
05152013