午後一番の大きな山が片付いた。
私はふーっと胸をなで下ろす。
こんな時は美味しいコーヒーが飲みたいな。
そう思ったら次の瞬間には体が勝手に動いていた。
一旦自分のデスクに荷物を置くと、コーヒーストックから一番値の張るものを取り出し、私は給湯室へ向かった。
「あっ!後藤さん!」
給湯室に着くと、先客がいた。
彼女、早川さんは、仕事を頼めば滞りなくやってくれる出来た後輩だ。
たまーにすっとぼけたミスをするが、かわいいものだ。
「おつかれさまです。コーヒーですか?」
「そ。あの案件が一応うまくいったから、一服しようと思って」
「うまくいきましたか~さすが後藤さん!またお話聞かせてくださいね」
彼女の偉いところは、私が終えた仕事をどう処理したか、聞いて自分の糧にしようとするところだ。
みんな彼女を見習ってそうなってほしいものなんだけど。
「そうね、また今度呑みに行きましょ」
自分用にコーヒーを入れ終えた彼女は、話が一段落ついても給湯室から出ず、何か思案している様子だった。
「どうかした?」
私はやかんを火にかけ、彼女の方へ向き直った。あまり悩まない質らしいのに、珍しいと思ったからだ。
「後藤さん、今日の鷹梨さんの件なんですけど」
「ああ、デスクにあった資料とメモは読んだわ。あれを用意してたなんて、彼はホント、侮れないわね」
私が行けない代わりに、彼女に行ってもらった打ち合わせの件だ。
相手の鷹梨くんは、渡せば済むように資料をまとめあげていたそうだ。
「その、鷹梨さんは、後藤さんはそれさえもわかってて私を寄越したんじゃないかって言ってました。そうなんですか?」
おお、相変わらず彼は鋭い。
まだ若いけれど、有力株だと思っている。
「そうだとしたら?」
「そうだとしたら‥‥そうだとしたら、なぜ私を行かせたのか、教えてもらいたくて。ご自分で取りに行かれることもできたんですよね?」
そう、私は彼が気を利かせて早く済ませることを予想していた。
なぜなら彼も私と同じく時間のない人間だからだ。
でも、そこまで聞いていて、なんで早川さんは浮かない顔をしているのかしら。
お喋りする時間ぐらいはあっただろうに。
…もしかしてこの子、そこまで鈍感、なの?
私でも気づいたというのに。
そう、あれは最初の打ち合わせで彼と二人で会ったときだった。
※※※
「鷹梨くんは、手当たり次第女性社員と仲良くしているの?」
打ち合わせを終えて、資料を片付けている時に聞いてみた。
彼はピクリと止まって、あの女子を虜にする笑顔で笑った。
「やだなぁ、俺がまるで節操なしみたいに言わないでくださいよ」
「だってそうじゃないの。あなたに泣かされた子もいっぱいいるって聞いたわ」
「困ったなぁ。単なる噂を信じないでくださいよ。後藤さんにそんなふうに誤解されたら俺、悲しいです」
よくもそんな、歯の浮くような台詞が言えるものね。
私にまで手を伸ばしてくるなんて。
「あ、私相手いるから。口説く対象に入れなくていいわよ」
「えっ、そうなんですか?残念だなぁ。初耳です」
「そうね、誰にも言ってないから。秘密ね」
人差し指を口の前で立てて、ウインクしておいた。
どうせ彼には必要ないことだけど、まぁ一応ね。
「秘密といえば、私、あなたの秘密に気づいちゃったんだけど」
「なんですかそれ?俺も知りたいです」
彼もにこやかな笑顔は崩さない。
私たちは人気者どうし、似たところがあるようだ。
「あなた、女子のいる部署には、仕事的に関係ないところでもしょっちゅう顔を出すそうね。それでお喋りして、冗談で女子をたぶらかしているとか」
「…なんか、言い方にトゲがありませんか?お喋りしにいろんな部署に行ってもいいじゃないですか。ちゃんと仕事の合間に、仕事に支障のない限りでやってますからね」
「いや、別にそれを咎めているわけではないのよ。ただ…」
「ただ?」
「なんで私の部署には来たことがないのかしらって思って」
それまでニコニコと笑顔をたやさずに聞いていた彼が、一瞬固まった。
やっぱり。
「別に、理由なんてありませんよ。後藤さんのとこがちょっと行きにくい場所にあるだけです」
「そうかしら?私隣りの部署の子にその話を聞いたんだけど。ちょっと足をのばせば来られるわよ」
珍しく彼が押し黙った。
痛いところを突かれているんだろう。もしくは、もう観念したのかもしれない。
「あなた多分、好きな子には自分から近寄れないタイプじゃない?いつもの冗談が言えるか自信がなくて」
「はは、なんですかそれ」
「早川さんはね、向かいのコーヒー屋がお気に入りよ」
突然にカマをかけてみた。
自分の後輩でもあるので、私は早川さんと一緒にいることが多い。
その時に感じたのが、鷹梨くんの違和感だ。
彼は、彼女を避けているようだった。
あからさまに避けたりはしないし、会ってしまえばいつもの冗談で会話を沸かせているようだったけれど、なんというか、彼女に対してだけ、彼は違った。
これは嫌いだからではなく、その真逆だ。
そう直感した。
「いつも一人で行くの。お昼ぐらいは一人になりたいのかもね。あと、イチゴが大好き。イチゴなら何でもいいの。イチゴ味はもちろん、イチゴ柄とか、イチゴの形とか。かわいいわよねぇ」
「ちょっと、後藤さん。なんで急に早川さんの話になってるんですか」
「こうなったら下着もイチゴ柄じゃないかしら。あっ、そういえば前の社員旅行のときは…」
「‥‥ときは、なんなんですか」
「あら、知りたい?でもプライベートなことだから言わないでおくわ。自分で聞いてみたら?」
「聞くわけないでしょう!まったく…。そもそも、なんで早川さんの話になったのか、訳が分かりません」
「そう?ま、よかったら彼女のデスク一度見てみたら?イチゴがいっぱいでかわいいわよ。私の部署に来られればだけど」
※※※
そんな会話を思い出していると、彼女が覗き込んできた。
「後藤さん…?私、変なこと聞きました?」
「あ、ううん、ごめんねちょっと考え事しちゃってた」
謝ると、不安そうな顔をしていた彼女はホッとしたようだった。
お湯が沸いたので、私はコーヒーを煎れながら彼女に聞いた。
「彼から仕事に関係ないことで、何か言われなかった?」
「えっ、あー、えっと、言われたような、言われてないような…」
途端に慌てた彼女は、顔を赤くさせた。
かわいいなぁもう。
「私は、早川さんも鷹梨くんとお話したそうに思えたから、代わりに行ってもらったの。余計なお世話だった?」
「いっ、いえっ!むしろ、ありがとうございました」
「ふふ、どういたしまして。じゃ、戻ろっか」
「はい!」
デスクに戻って一口飲む。
ん~!やっぱりここのコーヒーは美味しい!
ふと早川さんを見やると、イチゴの形をしたお菓子を出してきて、しげしげとそれを見ていた。
顔もなんだか嬉しそうに見える。
あ、あれ、絶対鷹梨くんに貰ったやつだ。
なんだかんだでうまくいっているらしい彼らに安心した。
コーヒーがさらに美味しく感じた。
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