うちの部署は月に一度、福岡への短期出張がある。
いつも同じ支社へ、同じホテルに泊まりで、日程も二泊三日は変わらない。
初めての出張の際、私の敬愛する上司と一緒だったのだが、その時に右も左もわからない私を上司は福岡でも人気だという屋台へ連れていってくれた。
そこは親子でやっている屋台で、ラーメンはもちろんのこといろんな惣菜も出してくれるお店で、人気なのも頷けるほど料理の味はどれもピカイチだった。
それ以来、出張の際は必ず寄るようになった。
「それでね、聞いてくれます?敦志さん!」
「聞いてますよぉ」
「そのお局さんったら、『なんでさっきの電話取らなかったの?』とか言ってくるんですよ!こちとら別の案件で大あらわになってるっていうのに!自分だって電話取らなきゃいけない身なのに!」
お酒の入った私は、いつしかこの屋台で愚痴ることが多くなった。
というか、もはや愚痴りに来ているようなものだ。
そんな私の話を、息子の敦志さんは嫌な顔一つせず聞いてくれて、アドバイスまでくれるのだ。
同年代とは思えない落ち着いた物腰に、私はつい甘えてしまう。
が、それも今日で終わりだ。
「…って、話をさんざ聞いてもらってきましたけど、そのお局さんのお相手ももうしなくてよくなるんですよ」
「というと?そのお局さんが辞められるんですか?」
「いえ、逆です。私が辞めるんです」
料理を用意される様子が好きでそれを眺めながら会話を進めていたが、ふと敦志さんの手が止まった。
「それは、本当ですか…?」
「はい。なので、ここにも来れなくなっちゃいますね。とっても残念です」
「なんとまあ、そうですか…」
敦志さんはとても驚いたようすで、悲しそうな顔をしてくれた。
こんな、お酒を呑みながらやんや喋る女でも、会えなくなることに寂しく思ってくれるのだろうか。
この人のそういう人柄がすごく、好きだ。
「とはいっても辞めるのはすぐではなくて、三ヶ月先なんですけどね。でも引き継ぎ作業をしたら、溜まっている有給を消化するのに休みをたくさん取るので会社にもほぼ行かなくなるんです。この出張も、来月から私の後輩が来るようになります」
「はあ…。あの、一つお聞きしてもいいですか?」
「なんでしょう?」
「辞められるのはその、寿退社、ですか?」
「コトブキタイシャ…」
自分には全然縁がない言葉だったので、すぐに返答できず復唱してしまった。
「っあははは!!違いますよ!そんな相手もずっと居ませんし。仕事一筋すぎて」
「そうですか、安心しました」
「なんで敦志さんが安心するんですか」
ジョークも小粋な敦志さんの言葉が嬉しい。
私はクスクス笑った。
「でも、最後にお父さんにもお会いしたかったな。最近お見かけしないですね。まさかお体を労って引退された、とか?」
「いいえ、そんなことありません。まだまだピンピンしてますよ。今日は試合なんで」
そう言って敦志さんが、屋台に飾られている福岡の球団のタオルを指差す。
「あ、なるほど!だからかぁ、お客さんもあまり来られないのは」
最近はいつも、人気店のはずなのに私が来るときはお客さんが全然いなかった。
何かあったのかとちょっと危惧していたけれど、いつも野球の試合の日だったのかもしれないと、ホッと安堵した。
「辞められたあとは、どうされるんですか?」
「うーん、実はまだ決まってないんです。ただ、辞めてからもひと月はゆっくりしたいなと思ってて。さっきも言ったように仕事一筋だったので、思いきり羽を伸ばしたくて。旅行とかを考えています」
「いいですね。真弓さんずっと頑張ってらしたし、存分に体を休めてもらいたいです」
「そんな…気遣っていただいてありがとうございます」
最後まで敦志さんは優しい言葉をくれた。
嬉しい反面、このやりとりがもうなくなってしまうと思うと、心臓がぎゅっと掴まれるような思いがした。
泣きそうな顔をしているのを見られたくなくて、下を向いて料理を食べることに集中した。
「真弓さん、もしよければ…」
「?なんでしょうか?」
いつもより声のトーンを落とした敦志さんの言葉に、ふと顔を上げた。
「僕のところに就職しにきませんか?」
「えっ、この屋台にですか?んー、ここのお料理は大好きですけど、私にできるかな?そもそも飲食系ってやったことなくて…」
そこまで言ったところで、私の携帯が鳴った。
「すみません!あ、部長からだ」
「どうぞ、出てもらって大丈夫ですよ」
「すみません…もしもし?」
部長からの電話は、明日出張から戻る私が持って帰る資料を支社に忘れているという連絡だった。
慌てて、これから取りに行くと伝えて電話を切る。
どうせここはホテルと支社の間にある場所でとても近い。
「敦志さん、すみません、またすぐ戻るので、お会計は後でもいいですか?」
「いえ、餞別に今日の分はなしってことでいいですよ」
「えっ?!いや、それはダメです!また払いに戻ります!」
それだけ叫んで、鞄を引っ付かんで支社へと走った。
*****
「いやー、別にそんな急いでもらわなくてよかったんだけどね」
「いえ、退勤の時間なのにお待たせしてしまったら申し訳ないので」
私の初めての出張にあの屋台を紹介してくれた上司は、今や異動になってこの福岡支社にいる。
当時の名残で私はまだ部長と呼んでいるのを、彼はいいよと言ってくれた。
私は無事、資料を彼から受け取った。
「それにすぐそこの、敦志さんのお店にいたんです」
「おお、そうだったか。ああ、今日は敦志くんだけの日か」
「そうです。敦志さんにも退職の話を伝えました。そしたら彼、僕のところに就職しないか、なんて言うんですよ!私が屋台の店員さんなんて、ねえ?」
笑いながら話すと、部長はビックリした顔をした。
「え、君、それ…プロポーズじゃないの?」
「・・・え?」
今度は私が驚く番だった。
「あー、今の子はそういうこと言わないのかな?聞いたことない?僕に永久就職してくれ、なんて言葉」
そういえば、聞いたことあるようなないような…。
いや、まさか自分が言われることになるとは思わなくて、そういう方向に思考が全くいかなかった。
「…実はね、真弓くん。これ、僕が言ってもいいかわかんないけど、この際言っちゃうね」
「…はい」
「君があの屋台に行くってわかってる日は、親父さんはわざとお店に出ないようにしてて、お客さんも君以外はこっそりお断りしてるんだよ」
「え・・なぜですか?」
「敦志くんが、君とのお喋りを楽しみたいからだよ」
どくんと、身体が熱くなった。
「なんか、ごめんね、下世話なことしちゃったかな。とにかく君は、敦志くんに会いに行った方がいい」
「はい、あの、お代金払わなきゃいけないので戻るとは言ってあるんですが、その、突然のことで心の準備が…」
「なぁに高校生みたいなこと言ってんの!君も敦志くんのこと好きでしょ?ほら、行った行った!」
そう言うと部長は私の体を会社の外へ押し出した。
この前の道を5分ほど歩けば、屋台に辿り着く。
私はどんな顔をしたらいいのかわからないまま、夜道をよれよれと歩きだした。
*****
「た、ただいま戻りました…って、あれ?親父さん?!」
戻ったところでどんな顔をして敦志さんに会えばいいのか答えを見出だせないまま、夜道をとぼとぼと歩いていると屋台に着いてしまった。
仕方がないので、意を決して暖簾をくぐると、そこには敦志さんではなく親父さんがいた。
「おーっ!真弓ちゃん!ひっさしぶりだなぁ~!入って入って!!」
「ホントお久しぶりです!お元気そうでなによりです」
中に入って椅子に座りつつ親父さんの顔を見上げると、以前と変わらず屈託のないたくましい笑顔で見返してくれ、気持ちがほっこりした。
「元気も元気!定年なんてない仕事だからよぼよぼになるまで現役でがんばるよ!」
「ふふ、安心しました。それであの、敦志さんは…?」
「おお、敦志なら、そこに」
親父さんが指差したのは、お客さん側の方だった。
私の2つ右隣りの席で、そこにはカウンターテーブルに突っ伏して眠っている男性がいた。
確かに、エプロンをしたままの敦志さんだ。
敦志さんの隣りにいた男性が、強いお酒の匂いを漂わせつつ大きな声で話しかけてきた。
「君が真弓ちゃん?ごめんなあ、俺、呑ませすぎちゃったや!」
「ホント源さん、勘弁してくれよぉ」
「わりぃわりぃ!」
話を聞くと、私が去ったのと入れ違いでこの常連客の源さんが屋台にやって来て、人が戻ってくるからと制止する敦志さんの言葉も聞かずに注文を始めたらしい。
すぐお酒を出してくれたが、敦志さん自身元気がないようだったのでいつもやるようにキツい酒を勧めると、いつもは断るのに今日は一気に呑んでしまったそうだ。
当然すぐに酔いがまわった敦志さんは立っていられずお客側に座らされ、別のところで呑んでいた親父さんが呼び戻された、という経緯らしい。
「敦志は酒に弱いわけじゃないはずなんだけどなぁ」
「そうだろ?!だから俺も付き合ってもらおうと思ったのに、まさか一気しちまうなんてさ」
ああ…もしかして、もしかしなくても、私のせいなのかしら…。
私がおとおどと気を揉んでると、隣りの源さんがトントンと肩を叩いてきた。
「ひょっとして君、敦志の彼女?」
「かっ…!?!」
私は途端に真っ赤になる。
「あははは!源さん違うよ!敦志のカ・タ・オ・モ・イ」
「ちょっ、親父さんまで!」
「そーかそーか、てことはこいつ、フラれてこんななってんのか?」
「いえっ、フってません!私が勘違いして…」
「あれえ?でも敦志のやつ、『真弓さんが行っちゃう~』って何度もぼやいてたぜ?」
もはや私はゆでダコ状態だ、顔の熱が沸点を越えてしまった。
私はおもむろに立ち上がり、空いていた敦志さんの右隣りの席に移動した。
「敦志さん、敦志さん!私、戻ってきました!行っちゃわないですよ!お代金もまだ払えてませんし」
彼の大きな背中をトントン叩きながら起こそうとすると、彼はもぞもぞと動いた。
「ん…真弓さん…?」
寝ぼけ眼でこちらを見てくる彼がとても色っぽくて、私はドキッとして近づけていた顔を離してしまった。
「や…いかないで」
その私の肩を、彼の右腕が引き寄せた。
「俺、月に一度だけでも、愚痴でもなんでも、真弓さんと話すのが好きだったんです」
息がかかるくらいの近さで熱っぽく語られ、私の心臓は早く強く打っていてその鼓動さえもうるさかった。
「さっきは、変なこと言ってごめんなさい。あれ、就職って、屋台で働いてとかそういう意味じゃなくて、」
「あ、はい、私も勘違いして変なお答えして、すみませんでした…」
「いや、俺が悪い。ただ伝えればよかったんだ、好きだから、そばにいてほしいって」
左半身をカウンターに預けたままで、酔いが覚めてないとろんとした目で、それでもちゃんと本音を伝えてくれたのが嬉しくて、そう思った時に、ああ自分もこの人が必要なんだと、改めて感じた。
そうしたら自然と涙が溢れてきて、私は気づいたら彼に抱きついていた。
彼の背後からヒューヒューと、おじさん二人がはやしてくる声が聞こえる。
なかなか抱きつき返してくれないなと、彼の胸に埋めていた顔をあげると、さっきまでの艶っぽいとろんとした目付きはどこへやら、見開いた目で驚きを顔全体で表していた。
「え?あれ?これ、あの、どういう状況…??」
「おー敦志、好きな子に抱きつかれて酔いが覚めたか」
「酔いが…??あの、俺、夢の中で真弓さんとお喋りしてたんだけど…んん?おかしいな?」
冷静になった敦志さんにこっちも恥ずかしくなって、私は体を離した。
「真弓さん、俺、またなにか変なこと言いました…?」
「いえ、変なことはなにも!」
「好きって言ってたぞー」
「そばにいてほしいって言ったぞー」
おじさんたちは楽しそうにはやし立てる。
「ええっ?!」
「お前、今までさんざ俺に、真弓ちゃんが出張で来る時は自分が喋りたいから店に出るなとか協力させておいて、今さらさっきの告白は酔った勢いでしたーとか言わないよな?!」
「わぁーーっ!?!!親父!!それ言うなよ!!」
両手を広げてばたばたと慌てふためく敦志さんは真っ赤だ。
やっぱり本当だったんだ…と私まで赤面してしまった。
「もういいじゃねえか。なんだったら、お前が真弓ちゃんの連絡先をどうやったら聞けるか悩んでたのも教えとくか?」
「バカか親父!!もういい!真弓さん、外出よう、ここは色々と駄目だ」
慌てて出る敦志さんに肩を抱かれながら夜道へ出た。
少し歩いた先の、高台になっていて夜景を見下ろせる一角まできた。
「あの、色々とすみませんでした。改めて言うと、俺ずっと前から真弓さんのことが好きで、親父とかお客さんにまで協力してもらって、真弓さんと会うのを楽しみにしてて。なので、急に会えなくなると思うとすごくショックで、さっきみたいなこと言ってしまいました、すみません」
深々とお辞儀する彼に、思わず笑ってしまった。
「なんで謝るんですか。私も、この出張が毎月の楽しみだったんです。それって敦志さんに会えるからだったんだって、さっき気づきました。遅くてごめんなさい」
彼の真似をして、私もお辞儀をした。
「遅くなんかない。嬉しいです。とっても」
そう言って彼は私の体をおこさせた。
「会社辞めても、これからもずっと、よろしくね」
「はい!ゆくゆくは永久就職させてください」
私が冗談混じりにそう言うと、彼の顔もまたゆでダコのようになった。
2016