第一印象は、危なっかしいなー、だった。
脇道で小休止している俺の前を、こんにちはーと言いながら追い抜いていった背中。
小柄な体に積まれたしっかりとした荷物。
登山初心者ではないとすぐわかったが、それにしても、女子一人とは。
次に会ったのは山小屋のお座敷で昼ごはんを食べた時だった。
カツカレーを食べ終わってひと息入れた俺の視界の先に、一人でチャーハンを食べている彼女が見えた。
俺より先に登ってきたのに、俺より食べ終わるのが遅い。
女子らしいな。
大学生くらいの彼女は程なくしてチャーハンを食べ終えた。
すると、すぐにリュックの中をごそごそと漁りだした。
出てきたのは、小さな桃の缶詰。
食後のデザートというわけか、さすが女子。
しかし、その女子、いざ開けようとして、もの凄い顔をしたまま固まっている。
あ、もしや。
俺は自分のウエストポーチから物を取り出し、よっこいしょと立ち上がって彼女の傍に行った。
「これ、使います?」
俺が出したのは、缶切りやフォーク、ナイフ、他にも色々付いてる万能ツールだ。
俺の声にビックリした顔をして見上げた彼女は、「えっ、あっ」とあたふたしたかと思うと、嬉しそうな声をあげた。
「ありがとうございます!」
ツールを受け取った彼女は、しかし、缶切りがどこにあるかわからずツールをくるくる回して首を傾げている。
「缶切りはこれだよ。缶も貸して」
我ながら優しくない言い方だ、と後悔しつつ、しゃがんでツールと缶を受け取り、慣れた手つきで開けてやった。
「何から何まですみません…。あの、お一つどうですか?」
これはちゃんと持ってきていたらしいフォークを添えて出された。
3つくらいしか入ってないだろうに、その一つを貰っていいのだろうか。
俺が戸惑っていると、彼女は取りにくかったと勘違いしたのだろうか、桃の一つにフォークを刺し、はいと渡してきた。
「すみません…ありがとうございます」
そう言って桃を頬張る俺を前に、彼女はふふっと笑った。
「お礼を言うのはこっちです。缶切りを忘れたの気付いてくださって助かりました」
「いえいえ。ありがとうございました。では」
彼女の第二印象は、笑顔が可愛らしい人、になった。
彼女に貰った桃のお陰か、はたまた彼女の存在自体のお陰か、ルートを順調に進むことができて宿泊予定の小屋には思いの外早く着けた。
残るは山頂だけだ、明日の朝も早い。
明日のルートを確認して、夕飯の時間までちょっと眠ることにした。
「あっ」
どれくらい寝ただろうか、まだ外が暗くなりきっていない室内で、聞き覚えのある声にふと目が覚めた。
彼女が、口を抑えて目の前にいた。
「すいません、起こしちゃいました?思わず見知った顔があったので声出ちゃって」
「いえいえ…」
寝ぼけ眼で返事する。
この山を登って俺と同じくらいのペースなら、そりゃ一番メジャーなこの小屋に泊まることになるだろうな。
理屈付けてこの状況を把握しようとしているが、心は踊っている。
静まれ心臓、この大人数の中で俺を見つけてくれたからって、期待するな。
なんせ俺はただの登山バカなだけで、女子と喋ったこともあまりないし、自分に魅力があるとも思わない。
彼女だって、ちょっと挨拶するつもりだけだったかもしれないし。
…と思ったのだが、そのまま彼女は会話を続けた。
途中のルートのどこがどうだったとか、登山サークルに入っていることとか、なんか、俺でもすごく話しやすい子だ。
「なんだ、あんたたちお連れさん?」
唐突に、山小屋のおばちゃんが声をかけてきた。
「それならちょうどよかった、あんたの隣りが一人分だけ空いちゃってるのよ、その子ここに移ってくれない?今日も繁盛期で混んでてさ、ありがとね~助かるわぁ」
こっちが何も言わないまま、というか言わせる間もないまま、おばちゃんは勝手に決めてしまった。
彼女が、俺の、隣りの布団に?
「なんか、ごめんなさい、私が話し込んじゃったから…」
「いえいえ、こちらこそ、なんかごめんね」
「いえ、その、正直移れて良かったです。私の隣り、強面のお兄さんでちょっと恐かったので」
イヤイヤ俺はいいのかよ?!
俺だって今日会ったばかりの男だよ?!?
男なんだよ?!??
心の中で散々叫びつつ、照れ笑いする彼女に「そっか、じゃよかった」と言ってしまう俺は相当ヘタレだなと思った。
彼女の印象は、という以前に、俺は惹かれつつあった。
とはいっても、大学がどことか聞いてないし、聞かれてないし、付き合ってる人がいるかどうかも知らないし、俺も聞かれてないし、今仲良くしてくれてるのもこの登山の間だけかもしれないし。
一緒に夕飯を食べて、寝支度を終え布団に入り、俺は悶々と考えていた。
俺は今仰向けになっている。
だが、寝るときは横に向く派なのだ、そうなのだけれど、右を向いたら彼女が見えて寝れたもんじゃないし、左を向いたら彼女の存在を拒否してるみたいで彼女が悲しまないか心配になるし、どっちも向けなくてそのまま仰向けだ。
寝られるわけがない。
いや、でも駄目だ。
今日も朝早かったし、一日登山して体もしっかり疲れているし、明日も早い。
けど、でも、いやしかし…。
そうこうしているうちに、全身の疲労感には抗えなかったのだろう、思考の渦に沈みながら仰向けのまま俺は眠りについた。
自分の携帯のバイブ音で目を覚ました。
まだあたりは真っ暗だが、既に起きて身支度している人もチラホラいた。
ごく僅かな光の中、自分も準備をしないと。
彼女は、と見ると、こちら側を向いて寝ていた。
ねっ、寝顔、暗いからよくは見えないけど、でも、寝顔、かわいい…。
小さなすうすうという寝息も聞こえてくる。
叶うならば、このままずっと見つめていたい。
そんな欲にかられつつも何とか抑え、着々と着替えていく。
ふと、俺と彼女の布団の間に、何かがあることに気づいた。
手に取り光を当てて見るとそれはお菓子の箱で、上に付箋が貼られていて「お帰りの際にでも召し上がって下さい。たくさんお話させていただいてありがとうございました!」と書かれていた。
うわぁ…彼女、天使かな…??
有り難く頂戴し、自分も非常食で持ってきていたスニッカーズ…ってなんともかわいくないものだけど…それを置いて、山小屋を出た。
書くものを持ってなくて、書き置きで感謝の気持ちを伝えられなかったのが心残りだ。
それから暗闇の中を登って、頂上で御来光を拝んだ。
帰りに彼女から貰ったお菓子を食べられると思うと、足取りが軽かった。
なんて現金なヤツなんだろう、俺は。
しかしだ。
頂上を経て再び同じ道を下山しながら俺は思い返していた。
彼女とたくさん会話をした。
今までどんな山に登ってきたかとか、これからどこに登りたいとか、すごく語り合った。
でも、肝心の、彼女の名前すら聞いていない。
ましてや、連絡先もだ。
自分とこれほどまでに趣味の合う女子なんて出会ったこともなかったし、またこの先出会えるかもわからない。
彼女にまた山で会える確率なんて、0.の後ろに0がいくつ並ぶかっていうくらいのパーセントだ。
……なんで俺、連絡先聞かなかったんだろう・・・。
下山している間はただただ降りるだけなので物思いにふけることが多いが、今回はもうずっと後悔ばかりしていた。
途中休憩を挟みつつも、ただひたすら下山しながら、自責の念にかられていた。
道中で彼女とまた会ったりしないか、と期待もしたが、結局最後まで出会えなかった。
黙々と降りていたので順調に、予定より早く下山できた。
登山口で待とうかと一瞬迷ったが、同じ登山口に降りてくるとは限らないし、そもそもどこから来ていたのかも聞いていないし、違うルートで帰っている可能性もあるのでやめた。
大好きな登山を終えて達成感はあるのに、なんだか胸にぽっかり穴があいたようだ。
帰りは山道を走るバスに揺られた後、駅から本数の少ない電車に乗る。
ここがラストチャンスだ、タイミングよく彼女が現れてくれないか…!?
電車がホームに着いて出発するまで神に祈るような思いだったが、無情にも数えられるほどの人だけ乗せて電車は発車した。
ああ・・・俺の青春は終わった・・・。
しばらく空虚な気持ちで外の景色を眺めていたが、自分のお腹がぐーっと、こちらも空虚なことを伝えてきたので、彼女のお菓子をいただくことにした。
箱入りのそれは、ビスケットにチョコレートがかかったもので、今の自分の空腹にぴったりでお腹もも一つぐう、と鳴った。
…あれ?箱がすでに開封されてる?
まあ分けてもらったものだし、個包装のものだったので問題ないなと蓋を開けた。
「…う、そだろ・・・」
一人なのに、思わず声が出てしまった。
中に、彼女の文字でメモが入っていた。
名前と、連絡先と、メッセージ。
『登山お疲れ様です!またお話できたら嬉しいなと思い、連絡先を入れさせていただきました。よければまたよろしくお願いします♪』
あの子は神か…神なのか…?!??
他の乗客もいるので叫ぶことはやめたが、俺は小さくガッツポーズをしまくった。
急いで携帯を取り、連絡先を入力する。
興奮して指が震える…!
俺の青春は、まだまだ始まったばっかりだぜ!!!
10122016