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「ああああああ」
課長。
小さき蛙の、いまわの際に発するがごとき、無垢な恐怖の叫び。その半開きの口から、破れ障子から漏れるスキマ風になって、ひゅー・・・、ああ、もう、だめだ!
課長は気を失いました。意識が暗転しました。課長は真っ暗なところへ消えてしまった・・・
・・・・
明るくなってみると、そこは東京駅の前です。
丸の内側の北出口をでたところ。晴れた昼前の時間、人影がない。
誰もいないのかと思ったら、道路端に、失われたと思っていた人々が座っていました。
靴磨き。
数人いました。みんな乞食のようないでたちで、うつむいて座り、客を待っているのです。
課長は靴磨きなど利用したことはありません。磨かれるような立派なピカピカの靴など履いたことがないのです。
しかしなぜか靴磨きのもとへ歩いていきました。客席に座って足を台のうえに載せました。
頭にスカーフをした靴磨きのおばさんが、うつむいたまま頭を下げ、仕事にとりかかりました。
そうして課長はあたりを見まわしました。そして驚きました。
そこは課長の知っている、あの新しい高層ビルで切り刻まれた街ではなかった。
ビルはまばらで空き地も多い。そのビルの背丈は十階だてぐらいに行儀よく揃っていて、さっぱりした、全然に別の街だったのです。
「ここは東京か、東京駅の、前か・・・」
驚き、ひとりで呟くと、靴磨きのおばさんが、「ええ」と相槌を打つのでした。
「何だか別の街みたいだ。まるで変わってしまった・・・」
「ええ。やられちまったですからね。負けると、みじめですね。駅の天井も、丸屋根が吹っ飛ばされて、三角屋根になっちまったね」
「やられちまった。負けた・・・?」
「でもね、復興がすすんでるよ、あのビルだって、きれいに修理したよ」
おばさんの指差すビルは、たしかに真っ白で綺麗。横長の十階だて。靴磨きをしながら、おばさんは言葉を続けました。
「復興金融公庫のおかげだね。私は、昔、あそこで働いてたのよ。でも、クビになったのよ、飛び降り自殺があってね」
「飛び降り自殺・・・」
「私たちにとっては大事件でしたが、なぜか新聞には出なかった。
帝銀の青酸カリ事件や国鉄の脱線事件にくらべたら、たいしたことのない、
一山いくらの事件だったんでしょうね」
・・・このおばさんの声。別人のように、はきはき喋るものだから、最初は気づかなかったが、課長は間違いないと思った。
「なぜ課長が飛び降りたのかも、私たちにはわかってる。警視庁の連中も気づいてる。もちろんGHQもね。
でも、でも、もう逆コースのご時勢でしょ、
共産党も頭を押さえられて、組合もゼネストは中止だし、
わかってることを、うかつにいったら、何されるかわからない。・・・
・・・・つづく
音楽を貼ろうとしたら
「エラーが発生しました。
時間を置いてからお試しください。」
とのメッセージが、今日もでました!
だから今日もノー音楽です。ノー音楽、ノーライフ。