抱きしめられたら | ぼくはきっと魔法を使う

ぼくはきっと魔法を使う

半分創作、半分事実。
幼い頃の想い出を基に、簡単な物語を書きます。
ちょっと不思議な、
ありそうで、なさそうな、そんな。

仕事帰りに駅から歩いていたら、前方から親子が歩いてきた。
母親と小学校3、4年生くらいの男の子と、その子よりもちょっと小さい弟らしき男の子。
どうもその母親が子供にべったりな感じで、お兄ちゃんの方に抱きついたりしていた。
でも子供の方は嫌らしく、「やめろよ」といった感じで母親の腕を払い除けていた。

まあまあ、そんなもんだよね。
もし自分がそのお兄ちゃんの立場でも、きっとそうするだろうし。

そう思った後、最後に両親に抱きしめられたのはいつのことだろうか、と考えていた。

思い返すとどんどんと時が遡り、22年前、5歳になっていた。
幼稚園でのこと。
帰る間際に先生に怒られ(怒られた理由はよく覚えている。ここではあえて書かないが)、
その後幼稚園の門まで迎えに来てくれていた母親を見つけると、駆け寄っておもいっきり抱きついた。
母親は驚いていた。
それはそうだろう、だって抱きついた本人がその行動に一番驚いていたのだから。
母親は抱きしめ返して頭を撫でてくれた、何も訊かずに。

それ以来、両親(父親にも)に抱きしめられた記憶がない。
その後何度かあったかもしれないが、記憶にない。
それだけ珍しいことだったのだ。

妹が病気で、両親、特に母親は妹に掛かりっきりだった。
やきもち焼いたりする子もいるのだろうが、親戚に「やきもち焼かないんだね」と褒められたことがあるのだから、
きっと文句も言わずただただ大人しくしていたのだろう。
甘えることもあまりできず、でも時には我儘を言って両親に怒られることもあった。
親に迷惑かけたくないから(なのか?)、自分でできることは自分でやってきた。

『自分の脱出経路は自分で見つける』
知らず知らずにこんな座右の銘も生まれた。

女性に頭を撫でられることが好きだ。
両親に(この場合、特に母親に)そういうことあまりしてもらえなかった反動なのかどうかは定かではないが、
恋人に抱きしめられて頭を撫でてもらうと、幸せな気分になる。
きっとこれもマザコンもしくはファザコンの一種なのだろう。

少しだけ、自分が「人間」だということを再確認できた。