ベッドから跳ね起きたのは何年振りだろうか。
何かに上から顔を覗かれているような、そんな妙な気配があった。
時刻は午前四時。
再びベッドに戻り見上げると、そこには壁に掛かったコートの袖口があった。
寝ている間、袖口に見つめられていた。
袖の奥は真っ暗で、そこに鬼(穏ん)を見たような気がした。
そんな風に始まった休日の午後、久しぶりにカメラを携え撮影に出掛けた。
対象は桜である。
昔から春や桜は苦手である。
春はどこか浮足立ったような気配で、せわしない。
同じ過ごしやすい気候であれば、秋の方が好きだ。
秋空という言葉があるように、秋の空は澄み渡っているし、
肌寒くなっていく感じも哀愁があって良い。
桜も桜で、ぱっと咲いてぱっと散る、慌ただしい印象がある。
そんなわけなので、花見の経験は人生でまだ二度である。
桜などじっくり観るのは何年振りだろうか。
動植物が好きなくせに、それが何という名前なのかはよく知らない。
今回撮ったものが本当に桜なのか、それとも梅なのか、少々自信がない。
それでも美しいと思えれば、美しいという感情を得た自分自身は自分だけのものであり、
それでいいのだと思う。
最近では、このブログに素人小説を投稿しなくなった。
理由は色々あるのだが、追い打ちをかけたのは祖母の家の焼失である。
今まで書いていた素人小説の舞台が祖母の家だったのだ。
またいつか行けると思っていたのにあんなことになってしまい、相当ショックだったらしく、
投稿はしなくとも一応は書き続けていたそのシリーズは、今や手付かずになっている。
代わりに別のものを細々と書き始めた。
最近では小説だけでなく、ちょっとした冊子に記事を書く活動もしている。
二月に手がけたカフェ紹介は「妙に魅かれる」「紹介の仕方が上手い」などと評判がよく、
久しぶりに自分の文章を褒められる経験をして、懐かしい気持ちになった。
先々週も取材で自家焙煎コーヒーの専門店に出掛け、美味しいコーヒーを淹れる秘密を探ってきた。
美味しいコーヒーを淹れるファクターは五つある。
ここでは多くを語らないが、その中の一つ、『コーヒーを淹れる温度』による味の違いを実際に体験してきた。
比較は沸騰状態に近い92℃と、それに差し水をした83℃の二温度。
高温で入れた方は苦味が強めで、低音で入れた方はそれよりもまろやかな口当たりだった。
どちらが美味しいコーヒーか、それは人それぞれ。
なので、好みに合った淹れ方をすればいい。
そんな記事を書くためにメモを残したが、それとは別にさらに一行書き加えた。
92℃のコーヒーは恋の味。
92℃で淹れたコーヒーを飲んだ瞬間、ほとんど忘れかけていた恋の味がした。
92℃で淹れたコーヒーの味が、昔恋人が淹れてくれたコーヒーにとてもよく似ていたのだ。
たった二回しか飲めなかった彼女のコーヒーは、きっと沸騰したてのお湯で淹れられた。
今では確かめるすべもない。
でも、92℃のコーヒーであの肌寒い秋の朝を思い出し、あの幸せは夢ではなかったのかもしれないと、
そう思えたことが嬉しかった。