夢の焼失とそのつづき | ぼくはきっと魔法を使う

ぼくはきっと魔法を使う

半分創作、半分事実。
幼い頃の想い出を基に、簡単な物語を書きます。
ちょっと不思議な、
ありそうで、なさそうな、そんな。


おばあちゃんの家が全焼した。

先週の水曜日、母親から連絡がありました。
そのいい方に何か違和感があったのですが、考えずとも、燃えたのは母親の実家なのです。

祖母は無事でした。

この三連休は一旦実家に戻り、諸々の物資を積み込み、難を逃れた祖母のもとへ。
近くのアパートが借りれたらしく、そこで先に現地入りした母親とも合流。

その日、家の枠組みだけ残って見事に焼けたというその現場を見てきました。

  

ほぼ同じアングルで撮った二つの写真。
敷地面積約370平米。
本当に、何もなくなっていた。

薪炊きのお風呂だったのですが、どうやら火のついた薪が何かの弾みで飛び火したよう。
祖母はこういいました。

「三十年間気い付けてきたのになあ。
 あっという間に燃えてきれいになって、
 全部何もかも燃えて悲しいけども、
 今となっては全部きれいにしてもらってよかったなあ」

この写真を撮った直後、丁度母親の従姉妹も駆けつけてくれました。
つまりは祖母には姪にあたる方です。

「伯母さんが無事でよかったあ」

そういって二人は駆け寄り、抱きしめ合いました。
そのとき初めて、祖母の涙を見ました。
人と人の繋がりって、凄いですね。


このブログでは拙い小説を掲載していますが、その舞台となっているのがこの母親の実家でした。

超ド田舎に建つ、築百年は超えている古い木造の家でした。
母親は三人姉妹。
本当に広い家で、親戚が全員泊まっても部屋が余るし、居間に二十人近く集まっても平気。
あの親戚一同の団欒は楽しかった。

子供の頃、夏休みや冬休み、大きな休みには長期滞在しました。
窓の開け放たれた広い縁側で寝転ぶと、夏でも気持ちが良かった。
かつては乳牛や食用のうさぎを飼っていて、一つ年上の従兄と一緒に祖父母の手伝いをしました。
田畑もあって、お米や果物、野菜の収穫の手伝いをしました。
ネズミやキツネ、タヌキ、ハクビシン、イタチが現れることも。
もちろん星は綺麗、都会では観られないような小さな星々がここでは確かに観える。
自由研究には困らず、昆虫や植物、石の採集、他のみんなができないことを経験し発表しては、その度に注目を集めました。

たくさんのことを経験し、自分自信で観て、聴いて、感じた。
他の人と同じことをすることを極度に嫌い、プライドが高くて負けず嫌い。
自分が好きなのことに少しでもケチがつくとすぐに嫌になってしまう子供っぽいところもある。
いつも自信満々で、目立ちたがり屋。
クールを気取るも、実はやきもち焼きで、おだてられると嬉しくなってすぐに調子に乗る一面もあり。
どこかロマンチストで夢見がち。
それ故ときに無鉄砲で自身も周囲もびっくりするような決断をすることも。
でも、祖母のいうように

「優しい子に育ったねえ。
 孫の中で一番優しい子」


今のぼくがあるのは、あの場所があったからです。

何をしても続かない子供の頃のぼくは、
これぞってモノって訊かれても答えに困ってた。
そんなぼくにでも与えられたものがあるというんなら、
迷い立ち止まった自分自身も、信じていたいな。

スキマスイッチの『ボクノート』を歌って泣くときは、相当弱っている証拠だ。

あの場所は、もう二度と戻らないそうです。