梟塚妖奇譚 ・ 雲外鏡 【拾伍】 | ぼくはきっと魔法を使う

ぼくはきっと魔法を使う

半分創作、半分事実。
幼い頃の想い出を基に、簡単な物語を書きます。
ちょっと不思議な、
ありそうで、なさそうな、そんな。


芽衣は我に返った。



五月に突然「曲をつくってくれ」と言われてから、もう随分長い時間が経ったように感じる。

実際には数秒も経っていないはずで、その証拠に枝を離れた木の葉が、今ようやく地面へと着地した。

呆気にとられた間抜け顔を至近距離でまじまじと眺められたその数秒間、その光景を想像して芽衣は思わず赤面した。


「いや、ごめん、あまりにも唐突過ぎたね」


芽衣が何も言えずにいると、五月は立ち上がり、胸の前で大げさに手を振った。


「君の曲を聴いたんだ。ほら、公民館で」


ああ、そんなこともあったな、と芽衣は思い返していた。

稀に自治体から声が掛かり、学校地域のイベント事に地域交流と称して参加する。

あのときは公民館の小さなステージで何曲かバンド演奏を披露した。

作詞作曲は芽衣だった。


「観てくださったんですか」

「正直、驚いた。
 あれは君がつくった曲なんだろう」

「はい」

「才能を感じたんだ。
 まさかこんなところで出会えるなんて。
 運命だね」


芽衣は、五月の言葉が素直に嬉しかった。


「まだギターは始めて二ヶ月くらいなんです。
 ピアノは習っていたことがあるんですが」

「そうなんだね。
 じゃあ作曲はピアノで?」

「いえ、あのときの曲はギターでつくりました」

「凄いね。
 いや、ギターでもピアノでも楽器は何でもいいんだ。
 君の曲が聴きたいんだ」

「はい」


五月は踵を返し、ベンチの方へと歩いていった。

芽衣も吸い寄せられるように後に続いた。

五月が両腕を掛けた低いフェンスは、静かに音を立てて揺れた。

フェンスの向こうには紫色の夕焼け空が広がり、その下には田畑や雑木林が遠くまで続く。

微かに鳥の鳴き声と、どこからか小学生らしき声が聞こえてきて、今自分が抱いていたちょっとした妄想が破られたことに、密かな可笑しさを味わった。

五月が長い右腕を前に伸ばした。


「ぼくの家はあそこなんだ。
 見えるかな、赤いレンガの家が見えるだろ」

「あ、はい」


周りの風景とは不釣り合いなほどお洒落な赤い煉瓦作り小さな家が、確かに見えた。

屋根からは煙突が飛び出している。


「あのう…」


芽衣の言葉に五月は返事をせずに振り返った。


「五月さんは曲をつくらないんですか?」


芽衣の問いを合図に、五月は再び歩き出した。


「理由があってね、曲はつくれるんだけど、楽器は弾けなくなったんだ」


公園には出入り口が二つあり、五月は芽衣が初めに入ってきたのとは逆方向の出入り口へと向かった。

再び進入防止のポールを抜けると、下へと伸びる長い階段となっていた。

足元を確認しながらゆっくりと降りていく。


五月は芽衣が付いて来ていることを確認すると、話し始めた。

デビューを控えたシンガーソングライターだった。

ギターと打楽器と、時々ピアノを駆使して、多彩な音楽を繰り出すこと、そしてビジュアルでも少しは注目されたミュージシャンになる、予定だった。

二年前、デビュー直前に交通事故に遭ってしまった。

いや、加害者だ。

歩行中の女性を轢いてしまった後、壁に衝突し、顔と腕の左半分に大怪我を負った。

左腕が不自由になり、ギターが思うように弾けなくなった。

顔にも深い傷が残った。


「かろうじて今でも音楽が続けられている。
 作詞や編曲の仕事をね。
 さあ、ここがぼくの家だよ」


公園を出てほんの数分歩いただけだったような気がする。

上から見た、あの
赤い煉瓦作り小さな二階建ての家が目の前にあった。

思いのほか古く、三匹の子豚にでも出てきそうな雰囲気だった。

でもそれがまた魅力的でもある。


「寄っていくかい」


芽衣は黙って頷いた。



梟印1