私の設計したロケットが墜落したのは、皮肉にも私たち家族が暮らす街だった。
海沿いの、昔ながらの街並が美しい、静かな街だ。
私はこの街で生まれ育ち、妻もまた同じだった。
妻と出合ったのは市立図書館で、良くある話だが、図書館で働いていた妻に一目惚れし、そこに足蹴なく通い果敢にアタックしたのが私たち馴初めである。
私たちには息子が1人いた。
彼も私に負けず劣らず宇宙が好きで、夜になると海沿いのテトラポットに座り、一緒に星を眺めた。
よく遊んだ、一等星当てゲームも、星座当てゲームも、いつも私の大勝だった。
しかし、妻も息子もこの事故で他界した。
私は黒焦げの大地に立ちすくみ、呆然と辺りを眺めた。
自慢の昔ながらな街並は跡形もなく、息子とよく行った海沿いのテトラポットも無残に崩れ去り、海にはロケットや家屋の破片がプカプカと浮いている。
人々は疲れた顔をして座り込み、白い服を着た救助隊は彼らに優しく話しかける。
私はその間を潜り抜け、自分の家を探した。
「おい」
私が振り返ると、男が私の胸ぐらを掴んだ。
煤で真っ黒になっていたが、真っ赤な顔をして起こっていることがはっきりとわかった。
「知ってるぞ、お前がロケット設計したんだろ」
彼の拳が私の脳天を揺さぶった。
「あいつが殺人ロケットの設計者だ」
「人殺しめ」
「悪魔だ」
這いずるようにして、その場から逃げた。
私は逃げた。
今でも夢に見る、あの光景と彼らの殺意に満ちた表情を。
あの時の彼らの表情は、一生忘れる事はないだろう。
妻と息子の葬儀を終える前に、私は街を出た。
街の人たちの冷たい視線が、いや、私の勝手な思い込みだったのかもしれないが、突き刺さった。
私は逃げたのだ。
それ以来、この街に戻ることはなかった。
今日は10年振りにこの地に足を踏み入れた。
事故被災者の墓と慰霊碑は、街が見下ろせるようにと小高い丘の上に建てられることになった。
毎年7月、つまり事故の起こった日の晩には、慰霊碑へと続く石段に多くの明かりが灯る。
被災者の霊を鎮める行事として、灯篭を持った遺族たちが石段を登り、慰霊碑の前で祈りを捧げるのだ。
街から見るその光景が、まるで天の川に登っていくように見えるため、この行事はいつからか「天登り(あまのぼり)」と呼ばれるようになった。
私がこの石段を登るのはもちろん初めてだ。
聞くところによると200段はあるらしい。
老体には堪える長さだ。
確かに、小高い丘はあった。
当時は石段などなく、林の中にけもの道がつらつらと続いていたような気がする。
丘の隅には小さな寺があった。
子供の頃にみんなでよく遊んだのを覚えている。
登りきるとまずは大きな慰霊碑が、そしてそれを囲む数えきれないほどの墓石が、視界に飛び込んできた。
テレビで見るのと、実際に見るのとでは大違いであることを、このとき改めて実感した。
私はその中から妻と息子の名前を探した。
彼らの墓は隅の方にひっそりと佇んでいた。
「遠野くんかな?」
墓石の埃を手で払っていると、ふいに声を掛けられた。
作務衣を着ている彼は、寺の住職だ。
「お久しぶりです」
私は頭を下げた。