ほしのこえ・1 | ぼくはきっと魔法を使う

ぼくはきっと魔法を使う

半分創作、半分事実。
幼い頃の想い出を基に、簡単な物語を書きます。
ちょっと不思議な、
ありそうで、なさそうな、そんな。

長い長い石段を登りきると、そこには墓石がずらっと並んでいた。

あまりにも規則正しく並んでいるため、幽霊云々の不気味さとは違った別のそれがそこには漂っていた。

墓石に囲まれるように、大きな慰霊碑が建てられている。

 

2017年。

日本初の純国産有人ロケット「ほしのこえ」が完成した。

 

海外の大手企業が突然破綻したことから始まった大不況。

それからなんとか抜け出そうと、国が提案したのが、火星探査用純国産ロケットの開発・打ち上げ計画、それが「ほしのこえプロジェクト」だった。

 

当時、このプロジェクトの始動を知った多く国民は、国に反感を抱いた。

国会議事堂前は数週間に渡り「打ち上げ反対」のプレートを人たちで溢れ、死者こそ出なかったものの、一触即発の大騒動となった。

その模様は各国メディアが取り上げ、同時に多くの国がほしのこえプロジェクトを批判した。

日本には“純国産”など無理だ、と。

しかし、国は批判に一切耳を傾けなかった。

弱気な姿勢を一切見せず、プロジェクトは着実に進められた。

 

しばらくするとプロジェクトの影響が各方面にあらわれるようになってきた。

日本産業に、自動車産業やエレクトロニクス産業の他に、航空宇宙産業が加わることとなったのが一番の要因だろう。。

航空宇宙産業から技術移転を受けた民間企業は目覚しく発展した。

それらの企業が国際市場へ次々と進出し、成功を収めていったことによって、日本経済は大きく変貌した。

確かな経済効果を確認した国民たちは、次第にプロジェクトへ協力的になってきた。

再び日本に活気が戻ってきたのだ。

 

打ち上げが行われたのは2017年7月7日のことだ。

港から5Kmの地点に作られた人工島で打ち上げは行われた。

 

宇宙飛行士ももちろん、全員日本人で構成された。

5人の宇宙飛行士の内1人は至上最年少、18歳の宇宙飛行士だった。

宇宙飛行士選出直後のインタビュー中、彼がハーモニカで『星に願いを』を演奏する映像はあまりにも有名だ。

 

天候に恵まれ、打ち上げは予定通りの日時で行われた。

港へ見物に訪れた多くの国民が、午前1038分、大きな音と眩い光を発しながら真っ青な空へと吸い込まれていくロケットに歓喜した。。

誰もが成功したと確信した。

しかし、打ち上がったロケットから白い煙の他に、別の何かが。

私はそれに気付いた。

それはまるで流星のように、キラキラと輝きながら零れ落ちていた。


――燃料漏れだ。


私の声は皆に届いたのだろうか。

いや、届いていたとしても何も変わりはしなかっただろう。

私の声は、打ち上げ時のものと比較にならないほどの爆音に掻き消され、辺りは閃光に包まれた。

うずくまっていた私はゆっくりと顔を上げ、窓に近寄った。

黒煙を発したロケットと共に、砕けたロケットの破片が次々と港町に落下していく。

その光景は、地獄絵図のようだった。

 

「そんな、バカな」

 

私はこれらの光景を目の当たりにし、小さく呟いた。

当時私は管制塔で打ち上げを見守っていた、ロケット技師として。

 

そう、「ほしのこえ」を設計したのは、私だ。