最後の海 | ぼくはきっと魔法を使う

ぼくはきっと魔法を使う

半分創作、半分事実。
幼い頃の想い出を基に、簡単な物語を書きます。
ちょっと不思議な、
ありそうで、なさそうな、そんな。

目の前に海が広がった。

防波堤の向こうに船が見える。

海岸沿いの道路をしばらく車で走り、大きなカーブを過ぎると長い直線が続く。

僕はその丁度中間辺りで車を止めた。

車から出てガードレールを跨いで下へ降り、足を滑らせないように注意しながらテトラポッドの上を歩く。

その上に腰を下ろすと、フッと潮風が吹いた。


ここには以前来たことがある。

3、4年前のことだ。

この港町は僕の恋人だった人の故郷だ。


大学のゼミで出会い、就職してからも3年、4年と付き合い続けた僕達は、結婚をする予定だった。

しかし、その予定は彼女の両親によって阻まれた。

僕の何が気に入らなかったのか、おそらく僕の親の身分だろうが、結婚を認めてもらうのは相当困難と予想できた。

僕達は何度も足を運んで彼女の両親に結婚の懇願をしたが、やはり了承を得ることは出来なかった。


やがて彼女の妊娠が発覚した。

初めはこのまま駆落ちをしてでも結婚して、二人で暮らしていこうと考えた。

だが、現実はそんなに甘くはないことは、解っていた。

妊娠9ヶ月を過ぎ、いよいよ彼女は里帰りして出産することを決意した。

もちろん僕もそれを受け入れた。

彼女の誕生日の翌々日、彼女を駅まで送り、見送った後、あの事故は起こった。



「それ、なぁに?」


後ろに振り向くと女の子が一人、佇んでいた。

今年から幼稚園に通い始めた、その年齢の女の子だ。


「それ、なぁに?」


彼女はそう言いながらガードレールを潜り、スルリと下へ降りた。

そして、慣れたようにテトラポッドの上をぴょんぴょん歩いてくる。


「おい、気を付けなよ、お嬢ちゃん」

「ねぇ、それ、なぁに?」


彼女はその一点張りだ。

僕は初め、彼女が何に対して質問を投げ掛けているのか全くわからなかったのだが、今ようやく謎が解けた。

僕の右手にはハーモニカが握られていた。

そのブリキのボディは、太陽の光を反射してきらきらと輝いていた。

気が付くと女の子は僕の隣に立っていた。


「それ、なぁに?」

「これはハーモニカだよ」

「ハーモニカ?」


女の子は僕の隣に腰を下ろした。


「そう、これは楽器」

「おじさん、なにか演奏できるの?」


ハーモニカを口に当て、演奏してみせた。


「それ知ってるよー!」


彼女はそう言い、ハーモニカの音色に合わせて歌いだした。



しゃぼん玉飛んだ 屋根まで飛んだ

屋根まで飛んで 壊れて消えた



この歌の中での“しゃぼん玉”とは“魂”を表した言葉。

作詞者の子供は産まれて間もなく亡くなってしまい、その悲しみを歌に書いた。

だから「壊れて消えた」という、悲しい歌詞になっている。



バスの転落事故が起きたのはM県とF県の県境、彼女は幸運にも自分の故郷の病院へと運ばれた。

この事故をカーラジオで知った僕は、急いで彼女の搬送先の病院へと向かった。

しかし、僕が着いたときにはもう、この世に彼女の魂はなかった。

病院に搬送された時点でほぼ意識は無く、絶望的な状態だったそうだ。

ただ、幸運にもお腹の中の赤ちゃんは無事だった。

僕が手術室の前に立ったとき、その部屋の中から大きな、元気な泣き声が聞えた。


産まれた赤ちゃんは彼女の両親が引き取ることになった。

「父親と母親は死んだ」、そう聞かせて育てると彼らは言った。

僕の顔など見たくもないだろう。

あれ以来、彼らには会っていない。


あの日、僕はこのテトラポッドの上で、泣いた。

ここに来るのは、そうだ、4年振りだ。



僕はハーモニカを吹き続けた。

そうしないと、またあの日のように泣いてしまいそうだったからだ。


私の娘は今、僕の隣にいる。

僕の隣で歌を歌っている。