雨小僧 | ぼくはきっと魔法を使う

ぼくはきっと魔法を使う

半分創作、半分事実。
幼い頃の想い出を基に、簡単な物語を書きます。
ちょっと不思議な、
ありそうで、なさそうな、そんな。

父の遺体を霊柩車へと運ぶとき、家の木の影に少年がいるのに気付いた。

長袖のTシャツに半ズボンを履いた男の子。

見たことのない顔だった。

彼は傘も差さず、土砂降りの雨の中一人で佇みこちらをジッと眺めていた。


僕らの村では彼のことを雨小僧と呼んでいる。

死神のような存在なのだろうか。

土砂降りの、夏の終わりの葬式に必ず現れる。



ここ数年、異常な天候が多くなったように思える。

カラっと晴れた一日になるかと思いきや、昼頃に雨雲がやってきて土砂降りになる。

逆も然り。

朝とんでもない土砂降りかと思いきや、昼過ぎには何事もなかったように晴れ渡る。

ゲリラ雷雨とは上手く言ったものだ。


それにしてもこの土砂降りは酷い。

アスファルトに落ちる雨粒は四方八方に飛び散り、土に落ちる雨粒は地面を掘る。

屋根で弾けた雨粒が縁側まで入ってきたので、僕は濡れまいと慌てて部屋に戻った。


実際この土砂降りに遭うと、至極虚しい気持ちになるが、こうして眺めている分には決して悪い気分ではない。

むしろ清々しいというか、爽快な気分だ。

雨の音が好きで、子供の頃その音をカセットテープに録音して繰り返し聴いていた、というミュージシャンがいる。

僕はそれとは違うが、雨粒が地面に敲き付けられる様を視覚と聴覚で感じ取ることがとても愉快だった。

ああ、愉快と言ってしまうと不謹慎なのかもしれない。

僕らの村では、夏の終わりの土砂降りには意味がある。


「敬太、行くわよ」

「わかった」


今日はこれから葬式がある。

倉内のおじさんはとても優しい人だった。

村の酒屋の主人で、僕がまだ小さい時分、頻繁に遊びに行った。

ビール瓶を店内に運ぶ仕事を手伝って、よくラムネを貰った。

おじさんは仕事中に脳卒中で倒れた。

すぐに病院に運ばれ治療を受けたが、間もなく息を引き取ったらしい。


「今日もこんな土砂降り・・・」


玄関の戸を開け、母さんが嘆いた。

僕らは傘を手に取り、葬式の会場へと向かった。


“夏の終わりの葬式では必ず雨が降る”


僕らの村では昔からそういう言い伝えがある。

僕の父親も3年前に亡くなり、夏の終わりに葬式を行った。

その日もやはり、今日のような土砂降りだった。


「あっ」


受付で名簿に記帳した後、顔を上げると、あの時の少年が立っていた。

長袖のTシャツに半ズボン。

傘も差さず土砂降りの雨に打たれながら、葬儀の様子をジッと眺めていた。


「お前のせいだ!」


村上のおばさんが叫びながら家の中から飛び出してきた。

おばさんは手に持ったビール瓶を振り上げ、彼に向かって投げつけた。

彼は一歩後退りして、それをかわした。


「二度と現れないで!」


おばさんがそう言うと、彼は表情一つ変えずに去っていった。

土砂降りの闇に消えていった。