前とうら | ぼくはきっと魔法を使う

ぼくはきっと魔法を使う

半分創作、半分事実。
幼い頃の想い出を基に、簡単な物語を書きます。
ちょっと不思議な、
ありそうで、なさそうな、そんな。

春休み。

実家から滋賀の下宿先へと戻る電車内。

僕が電車に乗り込んだ時には座席は既にいっぱいで、僕はいつものように閉じた扉に右半身を寄り掛け、窓の外を眺めていた。

暮れゆく空に何を思う?

なぜ夕焼けは赤いのか。

確か僕がまだ小さい頃、その理由を父さんが教えてくれた。

太陽光の波長が関係していたような。


過ぎる景色が走る景色に変わり始めた頃、不意に、“うら”からの冷たい風に巻き付かれた。

振り返ると電車の扉が開いていた。

まだ少し雪の残る関が原。

乗り込んでくる数人の乗客達の中、一組のカップルが目に付いた。

仲が良さそうなカップルだった。

彼らは車内を見渡し二人分の席がないことを確かめた後、僕とは反対側の扉に、僕と同じように寄り掛かかった。

そして二人は仲良さそうに話を始めた。

僕は元の方に向き直った。

太陽は沈み、窓の外は闇に包まれ始めていた。

鏡のようになった窓ガラスには、僕の“うら”のカップルが映っていた。


電車の窓に映るカップル。

僕はしばらくそれを眺めていた。

電車の音でどんな会話をしているのか、はっきりとは理解できなかったが、その様子からどうやらヘアスタイルの話のようだった。

あまりに仲が良さそうだったので僕は少し羨ましくなり、一瞬、自分の足元に視線を落した。

しかし、その一瞬で鏡の中の彼らの様子は一変していた。

男の太い腕は女の首へと伸び、その大きな手でじわりじわりと喉元を締め付け始めていた。

驚いた僕は慌てて振り返った。

しかし、そこにいたのは、にこやかに話を続けるそのカップルだった。

僕はもう一度、鏡のようになっている窓ガラスを見る。

苦しそうな女、恐ろしい形相の男がそこに映っている。

男の鬼のような形相、憎しみの篭ったその顔に僕の背筋は凍りつきそうだった。

気味が悪くなった僕は、その車両を後にすることにした。

隣の車両に移ると運よく空席があり、そこに腰を下ろした。

窓は見ず、ただ自分の足元を眺めていた。

気付くと僕は眠っていた。


全てが発覚したのはその翌日。

大型電機店へ買い物に出掛けた。

そして視聴用で店内に置かれているテレビに目が行った。

ちょうどニュースの時間だった。


『今朝、滋賀県のマンションの一室で女性が殺されていると110通報がありました。亡くなったのは…』


僕は画面に映った女の写真を見て驚いた。

昨日電車で見た女だ。


『…さんは、何者かに首を絞められて殺害されており、争った形跡がないことから…』


犯人は、まさかあの男か?

窓ガラスに映ったのは男が女を殺害する現場だった?


そうか、


鏡か…


『なんで鏡は右と左が逆に映るの?』


昔、父さんにそう質問したことを思い出した。



『右と左が逆?違うぞ。“そう見える”だけだ』

『え?でも見てよ!鏡に映った自分、』


そう言って僕は姿見の前に立つ。

そして右手をあげてみた。


『ほら、鏡の中の僕は左手をあげてる』


父さんの顔だけがヌっと鏡の中に現れ、ニヤリと微笑んだ。


『確かに。だがな、それは“上と下を固定した像”と比較しているからそうなるんだ』

『言ってる意味がわからないよ…』

『よし、もっと解りやすく説明しよう』


父さんは真っ白な紙とサインペンを持って来た。


『ここに文字を書く。何がいいかな…』


父さんが選んだ文字は“焼”。

なぜこの字を選んだのかは、わからない。


『いいか、この“焼”は通常の“焼”、だ。』

『うん』

『これを鏡に映した状態にしてみよう』

『うん』

『じゃあ、これをうらから見てみろ』


父さんは文字の書かれた紙をうら向きにして、蛍光灯の光にかざした。


『見ろ、これはまさしく鏡に映したときの“焼”だろ?』

『ホントだ!』


そこには確かに右と左が逆に見える“焼”があった。


『これでわかることは、鏡は右と左を逆に映しているわけではない。前と“うら”を逆に映している、ということだ』



鏡に映るのは“うら”。

僕は父さんにそう教えてもらった。


ちなみに父さんの使う“うら”は少し特殊だ。

三河の出身である父さんは「後ろ」のことを「うら」と言った。

「前⇔後」、「表⇔裏」に対し、父さんは「前⇔うら」。

これは三河の方言のようだ。



しかし、あの日、僕は目の当たりにした。

鏡が映すのは像の“うら”だけではない。

鏡は人間の心のうらまで映すのだと…